978 大戦間期の航空機関銃に関する質問です。
30年代中頃まで多くの戦闘機では7.62~7.92mmの機関銃2挺装備が多く見られます。
しかし、これを例えば12.7mm機関銃1挺にすることで一発の威力を高めより短い射撃時間で敵機を破壊する・爆撃機防御銃座の8mm級機関銃に撃ち勝つといった発想は生まれなかったのでしょうか?
また爆撃機側の防御銃座も、双発大型機で8mm級機関銃座3-4カ所程度が主流なのですが、燃料や爆弾の搭載量を削ってでももっと大口径大威力の機関銃に換えて敵戦闘機を圧倒するのは性能バランス的に現実的では無かったのでしょうか?
最後にもう一つ、アメリカの戦闘機だけは複葉時代から7.62mm1挺+12.7mm1挺の混載装備がしばしば見られますが、他国がこれを真似ず8mm級2挺の武装でよしとしたのはやはり12.7mmの発射速度や重量に難点があったからで、アメリカはその欠点を呑んででも12.7mmの装備を強硬した、という認識で正しいでしょうか。
tellus

  1. 当サイト別館「真実一路」
    http://www.warbirds.jp/truth/
    「KANON in the AIR」というささき氏の著作を参照してください。
    超音速

  2. 胴体に装備する前方固定銃2挺がスタンダードに見えるのは複葉機時代の主翼に機関銃を搭載することが難しかったからです。
    前方固定銃2挺と同じ重量でより大威力の機関砲を搭載できる、という提案が1930年代初頭に生まれたモーターカノンです。そこには大口径の武装を搭載できる強度があるのはエンジンブロックだけだった、という事情があります。
    BUN

  3. >超音速様
    そのページを読んで出た疑問です。

    >BUN様
    帆布張り主翼に武装を装備するのが難しいのはその通りですが、胴体装備の8mm2挺を位置はそのままで12.7mm1挺に換えるというのは実施例が無かったのでしょうか。
    銃の反動による強度の問題は盲点でしたが、それを20年代のアメリカ戦闘機がどう解決していたのか、他国では12.7mmの装備が試みられなかった理由はどこにあるのか気になります。
    tellus

  4. 機銃というのは意外と故障しやすいものです。WWIの戦闘機が初期の1挺装備から後期の2挺装備になったのは、単純に火力増強という以外に機銃の故障に備えた物です。
    12.7mm1挺では故障すると何もできなくなってしまいます。WWI末期に37mmモーターカノンを装備したスパッドS.XIIが登場しましたが、この機は相当な重量増を忍びつつ副武装として7.7mm機銃1挺を備えています。

    >そのページを読んで出た疑問です。
    失礼しました。しかしながら、
    戦間期の爆撃機の防御火器にも大口径機関砲の例があること、米国以外で13mm級中口径機銃が流行らなかった理由、これらは紹介したページに書かれているため、よく読んでから質問された様には見えませんでしたので。
    超音速

  5. >超音速様
    該当の部分は読んでいます。

    >しかし、アメリカは早くから 12.7mm 機銃を採用していますね。1925 年のカーチス P-1 ですら 7.62mm + 12.7mm 一挺づつを搭載しています。他にはイタリアが 1932 年のフィアット CR.32 で 12.7mm 連装機銃を採用していますね。

    >だが、世界的には 7.7mm 連装ないし四連装が圧倒的多数を占めていた。何も旧弊主義ばかりが影響したわけではない。機関部の軽さ、装備弾数の多さ、発射速度の高さなどのファクターを総合すれば 7.7mm には利点が多いと考えられていたのだ。木製羽布張りの機体の撃たれ弱さを考えれば、それはむしろ合理的とも言えるだろう。

    これだけでは12.7mmを早くから装備したアメリカや試したイタリアが非合理的としか読めません。彼らが欠点を忍んで12.7mmを装備した動機が知りたいです。他国より破壊力を重視する理由があったのでしょうか。

    >あと中口径がイマイチ流行らなかったのは、頑丈な全金属機を破壊する為に炸裂弾が必要だと考えられたことも理由だろう。炸裂弾の効果は口径の三乗以上で向上するからな。

    これも中口径機関銃が使われなかった理由の1つとして述べられていますが、これは全金属機が登場してからの話であり、帆布張り時代の敵機を撃つ場合の12.7mmの有効性については触れられていません。理想の20mmが積めなくても、8mmよりは炸裂弾の威力が大きい中口径機関銃が積める二択ならばそちらを選ぶのではないでしょうか。

    爆撃機の銃座に関しても中口径・大口径の装備例がありますが、それでも主流にはなっていません。B-17ですら試作時は7.62mmのみです。やはり防御上の死角を失くすために最低3-4箇所以上必要で、加えて速度や燃料・爆弾搭載量を優先した結果、20年代~30年代前半の技術力では8mmしか載せられなかったのでしょうか?

    1挺だけ積んだ機関銃が故障する可能性は考えていませんでした。確かに故障時に備えて2挺以上が必要ならばアメリカも2挺装備を維持したのも納得です。
    tellus

  6. 著者ご本人に登場いただければ最高なんですが・・・
    カーチスP-1は1925年配備開始ですが、この時点で12.7mmを装備というのは、私は疑問に思っています。
    先に引用したページ以外に、野原茂氏の著書の中のカーチスP-1のデータに武装7.7mm×1・12.7mm×1の記述があるのですが、この根拠がよくわかりません。同書にカーチスP-1の透視図として描かれたイラストには7.7mm機銃が描かれており、隣に12.7mmが並んでいるようには見えず、スペース的に装備可能には見えません。本機の後に続く戦闘機も7.7mmのみの装備で12.7mmは1932年のボーイングP-26ピーシューターまで装備されていないのも不可解です。カーチスP-1の発展型で排気タービン装備のXP-23の武装は7.7mm×1・12.7mm×1となっていますが機銃搭載位置は機種上部から胴体側面に移動しています。同機の完成も1932年。海軍戦闘機のほうも12.7mmが装備されるのは1935年のグラマンF3Fからです。(ブローニングCal.30 M2の口径は7.62mmだが野原氏は7.7mm機銃と書いている)
    ブローニングM1921 12.7mm機銃は当初水冷式銃身で対空火器として採用されており、生産に入ったのは1929年からです。この機銃が航空機搭載用に改良されCal.50M2として採用されたのが1933年ごろです。
    したがって1920年代の米軍機に12.7mm装備はありえず、1932年以降にXP-23(あるいはYP-23)に試験搭載されるなどして1933年にCal.50M2が採用。既に生産中のP-26に装備されていった、という経緯だと考えます。
    スパッドS.XII以降同様の機種が続かず1930年代初頭までモーターカノンがなかったのは、同機は飛行船攻撃を目的としているため重量増加が許容されたがやはり速度・運動性・操縦性低下が甚だしかったのと、モーターカノンは、エンジン・火器双方が対応でないと成立しないため、WWI後エンジンが高性能化でどんどん複雑化していくなかで技術的に難しい(予算的にも)こともあったからだと思います。
    超音速

  7. ブローニングの50口径機関砲を機首に装備した場合、当時の同調装置の問題で発射速度が400〜500/分に低下する欠点があります。これを解決するために翼内装備が進むのですが、機首装備である内は理想の武装とは言い難いということでしょう。
    BUN

  8. 30口径2挺または30口径と50口径各1挺づつと言うのが当時の米国戦闘機の標準だったそうで、P−1もその前身PW−8の時からこの組み合わせでした。
    Putnum社のCurtiss Aircraft 1907-1947のP.240、Aero Publisher社のU.S. Fighters Army-Air Force 1925 to 1980のP.11およびHistorical Aviation AlbumのPaul MattのPW-8図面にもそう書いてあります。ボーイングではP-12、F4Bも同じ武装でAero Series 5のP-12, F4Bに載っているF4B-4の写真では50口径、30口径を1挺づつ装備しているのがはっきりと判ります。また、ボーイング社のオフィシャルサイトでも50口径を装備したF4Bの写真が見られます。
    http://www.boeingimages.com/C.aspx?VP3=SearchResult&VBID=2JRSN2PPAC4I
    怪鳥

  9. ネット検索すると(信頼のおける書籍や論文でなくでごめんなさい)
    確かにPW-8は「0.3inと0.5inの機関銃を1挺ずつ装備した」と解説しているサイトが複数見られます。これだけでは、M2が出来上がってからの武装強化でそれ以前は7.62mm2挺ということなのか、M2とはまた別の12.7mm機関銃が存在してそれを装備したのか判断が出来ません。「ブローニングの0.5in」という表記が多いので、恐らく前者だとはおもいますが。

    よって、皆様のレスを含めこの話をまとめると
    @20年代のアメリカ戦闘機は基本的にどれも7.62mm2挺装備だった
    A1933年に航空機関銃としてのM2が登場
    B7.62mmと比べての発射速度や重量の欠点を忍んで機首に1挺装備した
    C新型機だけでなく既存の20年代の戦闘機も武装強化として同様に換装した
    ということでよろしいでしょうか?

    自分が一番知りたいのはBなのですが、翼内装備で発射速度を高められる前から12.7mmを無理に装備するのは米軍に何かそれが求められる運用思想があったのか、それとも優秀な新型機関銃が完成したからと特に定見もなく混載したのか、気になります。
    他国で同様の動きが生まれなかったのは、30年代前半にはM2に匹敵する性能の中口径機関銃が生まれなかったというのと、中口径では小口径と比べ威力と射程で勝ろうとも投射弾重量で圧倒的に劣っていたため、20mm級機関砲の装備が実現するまで小口径だけで対応することとした、という認識でよろしいでしょうか。
    tellus


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