1902 零観(零式観測機)の塗装の変遷についての質問です。

これまであまり零観について深く調べたことがなかったのですが、写真を眺めていると思いのほか色々な塗装があることに気が付きました。

初期の全体が明色(J3灰色?M2灰緑色?)のもの、おそらく2色で上面迷彩が施されたもの、良く知られている濃緑色で上面が塗られたもの。
また、迷彩色の塗分ラインの違いや、機体が濃緑色でフロートが灰色など、細かい部分での違いもかなりあるようです。

この塗装の変遷と種類については、下記のような解釈で良いのでしょうか。



@:試作機
J3灰色またはM2灰緑色で全体を塗装

A:量産開始〜S16年12月ごろ
J3灰色で機体全体を塗装

B:S17年前半?
機体に迷彩塗粧を施す。色についてはS13年の航本機密第251番電で指定された「陸上攻撃機及び艦上機の迷彩塗粧様式は現地において刺繍の状況に応じ枯れ草色に漸次草色を配する事を配する等適宜変更することを得る」に準拠?(しかし準拠していたとしたら結構暗く写っている写真が多いですね)
フロート支柱が暗色で塗られているものもこの時期?

C:S17年中期頃〜?
D2濃緑色による迷彩塗粧が工場出荷時から施される(フロートの塗装が前方から緑、灰、緑となっているもの)

D:フロートが明色、機体が暗色のもの
Bのような部隊で迷彩を施された機体で、フロートの塗装は行われなかったもの。
もしくはAの時期の機体のフロートをBかCにつけたもの。


零観の情報をあまり沢山発見できておらず、塗装の変更に関する資料は全く見つけることができていません。

そもそも、中国戦線で水上機に迷彩を施す事になっているにも関わらず、零観や三座水偵は灰色で登場した後に迷彩を施す事になっており、ちょっと不思議に思っています。
迷彩効果で言えば周囲の状況に応じて現地で迷彩を行うことがベストではあるのですが、もしかしてS13年の航本機密第251番電とは根拠が異なる迷彩塗粧で、零戦の応急迷彩等と同じ根拠のものであるが、航本機密第251番電の経験がある部隊で似たような迷彩にされただけなのでしょうか。


零観のみならず、他の水上機の運用や塗装の移り変わりについても素人ですので、なにかご存知のことがある方がいらっしゃいましたら、教えて頂けませんでしょうか。
Shusui

  1. 訂正
    刺繍の状況に応じ
    *四周の状況に応じ

    改めて読み直した所、質問点がぼやけてしまっていたので改めてお尋ねしたいことをまとめます。

    質問1:塗装の移り変わりは、このように解釈して問題ないか
    質問2:一部に見られる2色迷彩は中国戦線で行われた迷彩と直接関係があるのか
    お願い:海軍の水上機の塗装遍歴についてご存じの方がいらっしゃいましたら、教えて下さいませ。

    以上です。
    何卒よろしくお願いいたします。
    Shusui

  2. すみません、2色迷彩に見えていた写真(https://pbs.twimg.com/media/GXCBM9dakAAyBaL?format=jpg&name=medium)ですが、今になって見てみると、機首側の暗部は影、排気管より後ろ側は排気汚れかもしれません。
    Shusui

  3. 連投申し訳ありません。
    リンクが切れていたので別URLを。https://x.com/zero2152c/status/1833112380592517586/photo/2
    Shusui

  4. 戦闘機では、九五戦や九六戦で一時期Bの迷彩が施されましたが、性能定格を招くため、中止されています。
    以降に登場した新型複座戦闘機である零式観測機には、Bのような迷彩は行われていません。


  5. ×性能定格 ○性能低下


  6. >>片さん
    ご返信ありがとうございます。
    高速性を重視する機体においては迷彩塗装が中止され、平滑性を重視した状態に戻されたのですね。
    グレーの状態で登場し、その後に緑色に塗装されるのは別の流れであるとのことで大変勉強になりました。
    Shusui

  7. はい。零式観測機登場の頃にはすでに、迷彩塗粧の実施が全機種横並びではなく、必要な機種から迷彩し、迷彩が弊害となる機種では迷彩の必要性が生じるまで後回しにする、という方針になっています。
    対米戦用の海洋迷彩と思われるD2迷彩にしても、真珠湾攻撃時点では飛行艇、艦攻、陸攻、その後17年初頭に九九艦爆、18年春に零戦、と、時期を違えて実施されています。



Back