1963 |
P63戦闘機ですが、P47、P51に性能が及ばないからソ連に送られた と言うのが通説ですが、ベル社も最初は営業目標は米軍採用だったと思いますが、P39の好評を踏まえ、営業目標をソ連に変更したと言うのは、あり得るのでしょうか?P63の開発にソ連の技術者が参加したと言う動画を観たり、航続距離などの性能は、ソ連にあってる気がしたので質問してみました まさのり |
- Wkipedia英語・仏語・露語版などから抜粋すると
・1941年6月に試作機2機がUSAAFから発注される。
・1942年12月に試作機初飛行。
・1943年10月に量産型P-63A納入開始。USAAFでは使用されないのでレンドリース用として量産命令。
・1944年2月、ソ連からテストパイロットのアンドレイ・G・コチェトコフと技術者のフョードル・P・シュプルーンがベル社に派遣されP-63Aの開発に参加するが、当初は米側の技術者達に無視されていた。
・同年4月、コチェトコフによるスピンテストで機体が座屈し、コチェトフは脱出生還。機体構造強化の必要性に米側も納得。
・以後ベル社はソ連の提案をすぐ実行するようになり、A型サブバリアントはほとんどソ連の要望で改良された。たとえば、A-5のパイロット装甲と胴体ハードポイントの増加、A-6の翼下のハードポイントと追加燃料タンクなど。
超音速
- 超音速さんありがとうございます。1943年10月のレンドリース用ってソ連専用かな。ソ連以外のレンドリースならP-40K〜Nが有るし。何気にP-39とP-40の最大生産型って、日本には馴染みのないP-39Q、P-40Nなどの最終型。
まさのり