11 ここで良いかどうか分からないのですが一応艦船絡みなのでここで質問させていただきます。
ウソ特集を見て思いついたのですが
ガダルカナル戦の際日本海軍は輸送艦不足を補う為に駆逐艦を使った
所謂「ねずみ輸送」を行ったのですが
1,これはそもそも誰の発案なのでしょうか?
2,米軍(というか連合軍側)はこのねずみ輸送に何時頃気が付いたのでしょうか?
3,それに対して例えば『「ねずみ輸送」を行っている駆逐艦を優先的に叩け』というような対策は出されたのでしょうか?

霧番

  1.  ねずみ輸送は輸送船の不足からではなく、輸送船の速度性能不足から行われたもので、武装と速度に優れる軍艦を危険水域を突破しての強行輸送・上陸に用いるということは古今東西普遍的に行われてきたもので、誰の発案というほどもなく、常識的な手立てです。
     またガダルカナル戦では、最初の一木支隊第一陣の輸送からして駆逐艦によるものでしたが、駆逐艦に移譲するまで一木支隊は輸送船(商船)に乗ってましたし、その商船は第二陣の輸送に投じられてます(そして鈍足ゆえに日中に空襲を受けて退避を余儀なくされ、商船による輸送はこの時点で事実上諦めざるを得なくなり、以降の輸送作戦の主体が駆逐艦によるものとなっていくわけです)
     駆逐艦輸送は8/27の輸送船によるものを断念して以降、8/29に駆逐艦5、哨戒艇4によるもの、8/30駆逐艦1、8/31駆逐艦8と延べ14+4隻は無事に成功してますが、9/1の駆逐艦4隻は、深夜の揚陸にも関わらず空襲を食らって1隻が損傷し揚陸を中断してますから、この時点で米軍側も日本軍駆逐艦が夜間にやってきて揚陸してることを察知し、またそれを阻止妨害するつもりであったことは確実でしょう。
     その他の対ねずみ輸送処置としては10月末には魚雷艇が登場しますが、艦隊による迎撃は11月末のルンガ沖夜戦ぐらいです。米艦隊がねずみ輸送を積極的に襲うようになるのは、ガダルカナル戦終結後のニュージョージア島やコロンバンガラ島等の戦いになります。ガダルカナル戦の時は関連して大きな海戦が数度起こっており、その殆どの戦いで米艦隊も消耗を余儀なくされてますから、日本軍の空母や戦艦までがやってくる状況下で、駆逐艦の小規模な輸送にまで貴重な艦艇を回せる余裕は無かったということではないかと。
    SUDO

  2.  なお、輸送そのものを妨害するのではなく、夜明け後に揚陸された物資を狙っての対地射撃を米艦艇は盛んにやってます。
     機械力等に乏しい日本軍は、揚陸物資を奥地の隠蔽倉庫にまで運び込む時間的(もしくは体力・労力的な)余裕も少なく、せっかく苦労して運び込まれた物資の多くは、海岸で吹っ飛ばされてしまったのです。夜間に日本駆逐艦を襲うのは危険極まりない行為ですから、ガダルカナルの場合では、物資がまだ沿岸に滞留してるところを狙うほうが安全かつ効率的であったともいえますね。
    SUDO

  3. なるほど特に誰の発案という事はないのですね、ありがとうございます。
    ところで
    >武装と速度に優れる軍艦(中略)古今東西普遍的に行われてきたもので

    すいませんこの日本海軍のねずみ輸送以外でこういう事例って他にどんなのがあるんでしょうか?
    霧番

  4. >3
    ドイツのノルウェー侵攻(ヴェーザー演習作戦)などが上げられるでしょうね。
    また、実戦は無いようですがイタリアの装甲艦「イタリア」級(1885年完成)は当時最大(満載15000トン)・最速(17.8ノット)・最強(17インチ砲連装2基)級の艦艇でしたが、異様に容積が大きく多数の陸兵を収容でき、多数の艦載艇を搭載していたので強襲揚陸艦的に使用される予定だったらしいです。

    きっど

  5. >3
     1000年前のバイキングのように、戦闘艦船搭載人員による陸地襲撃は、洋上での船舶襲撃より一般的に普通のことなんです(洋上で獲物になる船と遭遇できる可能性はあまりないので)
     近代日本の事例に限っても、例えば戊辰戦争末期の榎本武揚らの蝦夷共和国の人員は、幕府軍船によって江戸湾から北海道に輸送されてます。同時期の外国では南北戦争の河川経由の侵攻部隊は河川砲艦に乗り込んで、一種の歩兵戦闘車の河川版みたいな形で殴りこみをして進んでいますし、ボーア戦争の英軍を運んだのは巡洋艦です。
     一次大戦でも様々な形で戦闘艦による襲撃は行われ、有名なゼーブルッヘの運河攻撃でも、巡洋艦が閉塞船と一緒に殴りこんで海兵隊を上陸させてます。
    SUDO

  6. >4
    >5
    結構な頻度でやってるんですね情報ありがとうございます
    霧番


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