19 1940年前後に日本の外洋貨客船が一新されます。
サンフランシスコ航路に出雲丸級、欧州航路に新田丸、そのほかアフリカ、シアトル、豪州等軒並みに新造船が竣工もしくは計画されています。
さて、この場合、既存の貨客船はどのような扱いになったのでしょうか。
欧州や豪州航路などの大正期竣工船は廃船?、浅間丸や氷川丸級は10年落ちですから廃船にはもったいない、それぞれに事情もありましょう、他航路への配転、売却を含めご存知の諸賢のご教授を仰ぎます。
chosan

  1. とりあえず判る範囲のみ

    欧州航路
    香取丸(1913)、鹿島丸(1913)、諏訪丸(1914)、伏見丸(1914)の代船として新田丸、八幡丸、春日丸が建造されました

    豪州航路
    賀茂丸(1908)、熱田丸(1909)、北野丸(1909)の代船として阿波丸、三島丸が建造されました
    なお賀茂丸、熱田丸、北野丸はがんらい欧州航路用に建造されたモノの転用です

    桑港航路
    浅間丸型3隻の他に大洋丸(1911)が就航しており、出雲丸、橿原丸はこの代船+航路改善が建前と思われ(本音は有事の空母改造)
    駄レス国務長官

  2.  ご質問の範囲が広いので全てにはお答えできないと思いますが、以前調べた辺りを中心に。

     東洋汽船から北米航路を引継いだ日本郵船は船質改善の為、1930年初頭にかけて浅間丸級3隻と氷川丸級3隻を建造し、それぞれサンフランシスコ線とシアトル線に就航させます。当時北大西洋航路で競争関係にあった外国船に対抗するためで、前者は天洋丸級、大洋丸等の代船、後者も老朽船の代船になります。
     1930年代後半になりますと、ニューヨーク線に大阪商船の畿内丸級を初めとする高速貨物船が就航するなど物流の変化や、外国船の輸送力強化により、シアトル線の改善が必要になりました。ここに新造船2隻を投入して氷川丸級3隻のうち2隻を南米西岸線に転用し、この航路に就航していた老朽船の代船とする計画でした。この新造船が三池丸級2隻(1隻未成)になります。

     一方、同時期に豪州航路の老朽船を代替することを目的とし、三池丸級の準同型安芸丸級2隻(1隻未成)が豪州航路に投入される予定でした。この航路に就航していたのは、1900年代後半の完成当時日本最大級の船舶だった賀茂丸級のうち3隻で、これは照国丸級2隻の就航に伴って豪州航路に配転されたものでした。
     ちなみにこの時欧州航路には就航順に(賀茂丸級の次の)香取丸級2隻、諏訪丸級3隻、箱根丸級3隻、照国丸級2隻の計10隻が就航しており、新田丸級3隻が計画通り就航していれば、船齢の高い船から順に代替されたものと思われます。
    天翔

  3. 駄レス国務長官様 天翔様
    ご教示ありがとうございます。
    商船の経済上理想的な寿命が10〜15年といわれていた当時、欧州航路、豪州航路の船齢の高さには驚かされます。
    照国丸以外は石炭焚き、細長い煙突から黒煙をもくもく出していたわけですから、どうにもお粗末です。そこにフランスやドイツの新田丸に相応する、彼らの方が先に登場する中で、劣勢は免れませんね。
    更にご教授いただきたいのは、欧州航路は独仏伊船は大体分かったのですが、英国はどのような船を持っていたのでしょうか。
    CPLは香港止まりだと思いますが、インド経由で香港、日本まで来る船は無かったのでしょうか。
    この航路は採算的に17,8000t、20ノット程度が限度だったようですね。
    桑港航路の大洋丸は南米に転用という話も聞きましたが、さすがに老朽船、まだ老骨に鞭打たせるつもりだったのでしょうか。
    豪州航路は阿波丸級2隻に置き換えるにしても、この航路に需要があったのでしょうか。
    それはアフリカ航路の愛国丸級も同様です。
    今後ともよろしくご指導お願いいたします。


    chosan

  4. #理想的な寿命が10〜15年
     状況によると思いますが、一線級航路の定期船であればその通りかもしれません。比較対象をどこに置くかですが、1920年代〜の大不況を考慮すれば、そこまで卑下したものでもないかと思います>どうにもお粗末

    #外国船
     はあまり詳しくないので参考までに。欧州極東航路には「欧州極東往航/復航同盟」他の運賃同盟がいくつかあり、その協定により英国船が定期客船として配船されてない可能性はあります。
     ただ、神戸大学付属図書館の新聞記事文庫で当時の新聞記事を検索してみると、英国船が欧州極東航路に配船されている旨を記した記事が見つかります。おそらくは貨物船で、定期船かどうかも定かではありませんが。

    #大洋丸
     浅間丸と同じく、貨客船というよりは純客船としての性格が強い船です。郵船が転用先を持て余していた感もありますね。

    #採算限度
     当時の極東航路は貨物輸送が主体です。人間は勝手に乗降してくれますが、貨物は積んだり降ろしたりしなければなりません。普通貨物船がある一定以上のサイズになれない原因で、海上貨物輸送がコンテナに切り替わった理由でもあります。

    #航路の需要
     航路は大きく2つに分類できます。客貨の輸送量が少なく採算が取れない「儲からない航路」と、採算に見合うだけの輸送量がある「儲かる航路」です。
     前者は放っておけば誰も配船しようとしないので、定期連絡の確保や貿易活性化の為に、政府省庁が航路開設を奨励したりします。これが「命令航路」で、補助金が出る代わりにその運航期間、便数、隻数や船齢などが規定されていました。最後の「船齢」で15〜25年未満の船を用いなければならない旨が規定されている場合があり、上記中で氷川丸級が配転されることになったのは、命令航路である南米西岸線に当時就航していた船舶が老齢の為、この補助を受けられなくなる為でした。
     後者は放っておいても誰もが配船したがるので、「自由航路」と呼ばれます。値下げ競争が勃発したりするので、国境を越えた船会社間で価格カルテルや新規参入阻止の協定が結ばれます。これが「運賃同盟」です。

     大雑把に主に日本の例を挙げましたが、命令航路の制度をうまく使って開設当初の不採算期をこれで補填し、航路が活性化してからは自由航路とした例もあります。逆に、新規開拓を目指して開設した自由航路が、後に命令航路となって補填された例もありますけれど。
    天翔

  5.  ようやく本題ですが、豪州航路は当初命令航路として日本郵船が明治後期に開設、大阪商船が大正中期に自力配船して以後、貨物船による定期航路が維持されています。郵船も何もないところにいきなり安芸丸級を投入している訳ではなく、主力貨物である羊毛の輸送量増加をにらみつつ、商船が投入した高速貨物船かんべら丸級2隻に対抗するべくの計画です。ちなみに、この航路にも郵船、商船と外国会社の運賃同盟が結成されています。

     アフリカ航路は大阪商船が大正末期に東岸線を逓信省命令航路として開設、インドへの寄港も多くインド航路の延長といった性格の航路ですが、郵商協調により郵船が南米東岸線から撤退したので南米まで延長され、南米航路の補完も果たす役割も持つようになりました。はわい丸以下5隻が就航していましたが、これらの代替・補強を図る為に報国丸級3隻の投入が計画されています。

     ご質問を拝見しておりますと、著名な貨客船にしか着目されておられないようにお見受けします。当時の「客船」がどのような性格であったかは、各等級の定員と載貨重量にも表れています。豪華さを競う旅客設備やサービスに目を向けがちですが、「貨物船」と「客船」を切り離して考えると、縦糸と横糸が繋がりません。その点を考慮して頂くと、より理解が進むかと思います。
     また、日本であれば、一度日本郵船か大阪商船の社史のいずれかをご覧になると、国内だけでなく外国船との競争の中、各航路がどのように発展していったかがよく分かると思います。ご質問の転用先にまで触れられませんでしたが、ご容赦下さい。

     長文失礼しました>各位
    天翔

  6. 天翔様
    懇切なご教授ありがとうございます。
    天翔艦隊の「日の丸船隊」も拝見しました。
    知りたかったことが、これでもかと詳細に記載されています。
    著名な貨客船にしか着目されておられないようにお見受けします>>
    まさに目から鱗です。一概に貨客船とは言っても貨物も運ぶ客船と客も運ぶ貨物船的な色分けが出来ますね。
    英国船が定期客船として配船されてない可能性>>こんな可能性があったと全く青天の霹靂です。定期の英国船があるのは当然と考えていました。

    今後ともよろしくご指導願います。
    chosan

  7. #英国船が定期客船〜
    ごめんなさい、冷静に考えればそんな訳ないです。見てた資料に欧州大戦開戦後のが混じってました。
    P&OやBlue Funnelが中国航路に客船を配船しておりまして、中には15,000トン級もいます。その雷は忘れてください。。。
    天翔


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