63 空母赤城、加賀の艦形に関してお願いします。
巡洋戦艦、戦艦からの改造時に3段飛行甲板以外、全通甲板のようなものは検討されなかったのでしょうか。
世界的に見ても全通甲板がより一般的だったわけですから、検討対象にはなっていてもよさそうなものです。
よろしくお願いいたします。
chosan

  1.  勿論、検討されたようですよ。
     僕が見た図案は、確かに全通甲板なのですが、艦尾から艦中央付近まで登り傾斜が付いたなんとも怪しいものでした。
     恐らく、その傾斜を利用して着艦した艦載機の速度を落とそうと考えたのではないかと思います。
     今、出先で正確な本の名前は分かりませんが…
    ひよっ子

  2. あのー実際の改装後の一段甲板になった赤城も中央部を頂点に前後に傾斜が付いているんですが・・・
    コウジ

  3. 「戦前船舶」第31号に「天城・加賀設計経過」として全通甲板を含む各種検討案が掲載されてます
    元は東大平賀資料ですからネット(平賀譲アーカイブ)でも見られると思います
    駄レス国務長官

  4. コウジ様
    >実際の改装後の一段甲板になった赤城も中央部を頂点に…
     確かにその通りですが、表現が良くなかったですね、すみません。
     改装後の傾斜の比ではないほどのです。
     『急坂』という表現が良いかも知れません。

    ひよっ子

  5. 申し訳ありません。
    新規のほうに投稿してしまいました。
    chosan

  6. >3何故平賀アーカイブにそんな資料が有るのですかね?
    赤城の改造は藤本 鈴木両氏がかなり苦労してまとめたと言われてます。
    その設計が平賀氏に渡るのは何とも不可解です。

    金剛代艦艦本案ファイナル見たいに平賀シンパから非合法で入手しましたかね?

    研究家としてちゃんと検証しましたか?


  7. 「金剛代艦」とは時期が違います。
    平賀譲は1923(大正12)年10月1日まで艦政本部第四部計画主任でしたから、空母赤城の設計に深く関わっているのではありませんか?
     
    私としては、平賀譲がこのような極秘資料を個人で所有していることの方が不思議です。(おかげで、当時の貴重な資料が見ることができるわけですが・・・。)
    よしまさ

  8. 追記
    「平賀譲デジタルアーカイブ」でも駄レス国務長官様が紹介されている資料に、海軍艦政本部第四部の計画主任の承認欄に平賀の印が押されていることが確認できます。
    よしまさ

  9. 「金剛代艦」の検討時も平賀は技術研究所所長として新型戦艦の検討会議への出席資格をもっています(だから「平賀案」をぶつけることができたのです)から、「金剛代艦」の資料も、必ずしもインフォーマルな手段で入手したとは限りません。
    むしろ技術会議に提出されたと思われる=平賀が直接目にすることが出来た設計案である、「艦本ファイナル」以前の艦政本部案の資料や諸元、設計データが平賀アーカイブに一切含まれない点に、平賀の艦政本部へのアクセスの限界を感じます。
    平賀が艦政本部で設計中の新型戦艦の情報をある程度知っていたことは、「平賀案」を提案した際の文書から明らかですが、公式な文書や図面まで所持していたわけではないというのが、妥当な見方のように思います。

    逆に言えば、平賀が計画主任として艦政本部に所属していた時期に立案されている赤城の改造案に関しては、平賀アーカイブにある案が、当時検討された有力な試案のかなりの部分を押さえている可能性が高いように思います。

    なお、平賀が個人で多数の資料を所蔵していた理由は不明ですが、個人的な資質とは別に、可能性としては平賀が海軍退官後も東京帝大で造船、工学を教授していたことも関連があるかもしれません。
    東京の人

  10. >6.
    質問者様が訊かれてるのは「史実の三段型の設計内容」でなく「三段型決定以前の各種検討試案の有無」であり、平賀はまさにその当時の計画主任(在任1920.12.1〜1923.10.1)であったコトは理解なさってますか?
    駄レス国務長官


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