130 英戦艦エリンとその未成の同型艦について質問いたします。
世界の艦船増刊イギリス戦艦史ではエリンはレシャド5世がレシャディと名を変え更にエリンとして接収されたという変遷をたどり、バルカン戦争終結で建造中止になった同型艦レシャディーハミスがあると解説されています。
ところが英Wikiには読み間違ってなければヴィッカース社にレシャディが、アームストロング社にマフムードレシャド5世が発注されたが財政難で後者は放棄、代わりにリオデジャネイロを引き継ぎ、さらに三隻目のファティがヴィッカースへの発注されたが開戦で中止された、とあります。
これは前述の資料とレシャディの艦名以外は名前も隻数も(2番艦中止の経緯はバルカン戦争の結果領土を失って財政難になった?)一致していませんが実際はどういう経緯を辿ったのでしょうか?
minerba

  1. ご指摘の英Wikiの記述は予定艦名などよりConway's All the World's Fighting Ships 1906-1921中の記事に拠ったモノと思われますケド、同記事には「Fatikはギリシャ海軍2隻目のド級艦として1914年4月29日に毘社にオーダーされ、トルコ海軍向けの2隻とレイアウト・装甲・防御は同様ながら若干大型であった」とあります
    がんらいレシャドイハミス級2隻は1911年トルコ海軍より英国に発注され、安社・毘社・ヂョンブラウン社が共同で受注し、基本計画は幹事会社たる安社の造船部門技師長ペレットが取りまとめ、ネームシップを安社、2番艦(レシャド5世→レシャディエ)を毘社で建造中、第1次バルカン戦争勃発によりトルコの財政が不如意となったため、前者は1912年にキャンセルされ、後者は翌年5月より工程督促されたものの、WWI勃発に伴って英に接収されたモノです
    駄レス国務長官

  2. 詳しい解説をありがとうございます。
    艦名のブレは拠った資料に大きいと言うことで日本の書籍ではあまり解説を見
    かけない少し大型の3隻目の発注があり、元来はReshad-I-Hammissのほうがネームシップで二隻発注されているからといってヴィッカース主導ではないのですね。
    ネームシップがReshad-I-Hammissの艦名がトルコ語圏でとんと記述を見つけられなかったので余計にどの記事が正しいのか見失っておりました。
    ギリシア海軍あたりになるととたんに国内書籍では扱いが小さくなるので理解が乏しいのですが、そうするとギリシャは英仏独に超ド級を各一隻ずつ建造依頼していたと言うことになるんですね。

    だとするとちょっとした疑問として3隻目は記事により表記ブレ?がありますがFatik/Fatihは何れもトルコ語(Fatikなら疲労、Fatihは征服)ということでギリシャ艦としては暫定だとしてもあまり相応しくない感じもします。
    トルコ経由で発注がなされたとかなのか…それとも記事中で使われているだけで予定艦名としての根拠は特にない名称なのでしょうか?
    minerba

  3. >1.に小職の誤訳がありましたのでお詫びして下記のように訂正します
    「Fatikはギリシャ海軍2隻目のド級艦への対抗として1914年4月29日に毘社にオーダーされ、他の2隻とレイアウト・装甲・防御は同様ながら若干大型であった」
    なお当時のNYタイムズ紙
    http://query.nytimes.com/mem/archive-free/pdf?res=9F02E6DF103FE433A25750C2A9679C946996D6CF
    に拠りますと艦名はFatihのようです
    また
    http://www.bobhenneman.info/EXPORT.htm
    に拠りますと常備排水量は他の2隻の23,000トンに対して24,700トンとのコトです
    駄レス国務長官

  4. 補足ありがとうございました。
    ギリシャへの対抗艦となるとBasileus Konstantinosの発注に呼応したということですね。
    英独ほど派手ではありませんがこの時期はあちこちで建艦競争が行われている訳ですね。
    minerba


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