149 日本陸軍の特殊船丙型、いわゆる陸軍空母について教えてください。
これらは、当時から空母だと認識して作られたものなのでしょうか。それとも、後の研究者等によって空母と判断されたものなのでしょうか。
ご教示をお願い致します。
ゆきのん

  1. 初心者ですが///
    揚陸艦として計画されたんだったと思います。
    haru

  2. 陸軍空母と言われているあきつ丸は、丙型特殊船(舟艇母船)として計画されています。特殊船には甲型、丙型、乙型の3種類があり、丙型は有事に飛行甲板を装着し、航空機を搭載する様に最初から計画されていました。ただし、この場合発艦のみを考えたものであり、収容は上陸部隊が占領した陸地に設営隊が応急飛行場を作り、そこへ着陸させる計画でした。

    大東亜戦争が始まると次第に敵潜水艦による商船隊の被害が増え、陸軍は自らの徴用商船を守るために飛行甲板を持つあきつ丸を護衛空母に改造し、対潜哨戒を行うよう海軍と協議し改造にこぎ着けました。
    熊野丸は、あきつ丸だけでは少なすぎると海軍と協議し護衛空母として、建造される事が決定しますが舟艇母船の格納庫は残されました。

    以上の事を考えると、空母兼舟艇母船と言うのが正確であろうと思います。現在で言う強襲揚陸艦ですね。
    GO

  3.  船団護衛用の特2TL船「山汐丸」と上陸用舟艇母艦に支援用の航空機を搭載した丙型船「あきつ丸」と特殊船「熊野丸」が完成してる様です。
     特2TL船は、油槽船に航空機が運用できる能力が与えられた感じ・・・
     あきつ丸・熊野丸は上陸用舟艇母艦に支援用航空機を搭載した感じ・・・
     あきつ丸の搭載機は、3式観測機8機。萱場式オートジャイロなら30機搭載。
     熊野丸は、3式観測機8機
     特2TL船はイギリスのCAMシップやMACシップと同類じゃないでしょうか。そう考えると商船空母扱いでしょうか。
     あきつ丸と熊野丸は、空母と言うより強襲揚陸艦の扱いになるんじゃないでしょうか。
     搭載機数や搭載機から当時の人間が空母として考えていたとは、考えにくいのですが・・・想像の域は出ません。
     ちなみに、終戦時現存していた熊野丸は類似空母とみなされて解体されたそうです。
    hanp

  4. 陸軍が「あきつ丸」を空母と思っていたか、というお話なら、半分YESです。
    開戦前、この船を空母として運用できるかどうか、海軍に検討を依頼し、その改造案を研究しています。
    海軍の答は艦型が小型に過ぎることから外洋での空母としての運用には不適という簡単なものでしたが、陸軍は「あきつ丸」を空母類似の潜在能力を持つ船と認識していたことが判ります。
    BUN

  5. 初心者(中学一年のガキ)ですが…。
    hanpさんの「特2TL船はイギリスのCAMシップやMACシップと同類」という件ですが特2TL船とMACシップはほとんどおなじですがCAMシップは商船に特設のカタパルトを設置し、敵機が来たらそこから陸上戦闘機(ホーカーハリケーン)を脚をひっこめたままで射出し、その後戦闘機は
    着水または搭乗員が落下傘で降り、搭乗員だけを救助するというもので全く違うものだと思いますがいかがでしょうか。
    同じくhanpさんの「あきつ丸の搭載機は、3式観測機8機。萱場式オートジャイロなら30機搭載」という件ですが萱場式オートジャイロを30機
    は無理だと思います。三式観測機と萱場式オートジャイロのスパンはほぼ同じであり差が大きすぎると思います。予測ですが30機という数字は航空機輸送任務のときの最大搭載数だと思います。つまり離艦用のスペースを考えずに積める最大搭載数ということです。

    すみません。ずいぶんと話題がそれてしまいました。
    tokusetukansen

  6.  CAMシップですが、運用面という意味で同類と・・・まぁ船団護衛の急造船仲間って意味です。
     MACシップが建造される前はCAMシップが同様の任務をこなしていたわけですから、米製空母完成までのつなぎ仲間として・・・存在を避けるのもあれなんで・・・

     搭載機数ですが、参考にした空母名鑑に搭載機数として記述されてましたので、8機と30機の差に怪訝に思いましたが、勝手な解釈を入れるのはどうかと思い、そのまま記載いたしました。
     補用機にすれば、行けるかもしれませんし・・・離着艦距離の差もあるかもしれません。想像の域はでませんが・・・
    hanp

  7. hanpさん、CAMシップの件、了解しました。

    搭載機のことですがDeAGOSTINIの「世界の軍艦 DATAFILE」に「航空機運送船として活動を開始した。約30機の航空機を分解なしで搭載する船体は、輸送船としては申し分ない能力」と書かれています。
    まあ私にはどちらが正しいかを判断することはできませんが。

    それと、同じ「世界の軍艦」のページに「完成当初は旧式の九七式戦闘機を13機搭載する予定だった」と書いてあります。しかし、実際には飛行甲板の長さが足りなかったり、船の速度が遅かったりするため搭載されなかったようです。でも完成時から航空機を搭載することが考えられていたことはよくわかります。
    tokusetukansen

  8. お礼が遅れてしまい、申し訳ありません。
    みなさま、ご教示ありがとうございました。

    当初から空母として建造された物であるかどうか、というだけならば、答えはNoである、と言うことですね。
    敢えて言うなら、熊野丸が連合軍側からは空母の一種と見なされたことが、「空母説」のはじめと言うところでしょうか。

    それにしましても、BUN様のご教示には興味をそそられました。
    そのような研究が行われたということは、陸軍は外洋で空母を運用する気があった、という事であろうと思います。
    いったい、どういう使い方をするつもりだったのでしょう。まさか艦隊決戦を挑むつもりでもあるまいし…。
    ゆきのん


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