189  翔鶴、瑞鶴と真珠湾攻撃作戦について質問します。両艦は真珠湾攻撃に参加しますが。非常に若い艦齢です。竣工が、翔鶴は昭和16年8月8日、瑞鶴にいたっては9月25日です。
 一方、真珠湾攻撃のために機動部隊が単冠湾を出撃したのは11月26日です。特に大型の艦(両艦とも機関出力16万馬力は海軍艦艇にあっては最高の出力)は慣熟期間をおいて、初期故障等を直し、それから実戦に参加するものと考えております。
 しかし、上述のような竣工時期ですので、(特に瑞鶴は)慣熟期間など無きに等しい状況です。
 そのような若い艦を真珠湾攻撃作戦に参加させることを不安視する或いは反対する意見は海軍内になかったのでしょうか、また対策として造船所の工員を真珠湾攻撃に同行させるというような手段を取ったのでしょうか。
二一斎

  1. 「瑞鶴」においては、造船所の工員(川崎重工業神戸造船所)は、
    呉にての海軍引渡の際に下艦している様です。同様に戦艦「武蔵」に
    携わった三菱重工長崎造船所の工員も下艦している様です。
    更に言えば、航空母艦「大鳳」の場合も「瑞鶴」と同様に海軍引渡の際に
    工員は下艦している様ですね。
    艦船の慣熟度については、以前もココで話が上りましたが、
    日本海軍の場合は、この作戦に於いて必要で有れば、使うと言う様ですね。
    (勿論、目標とする作戦構想の発動の時期や情勢が絡む話です。
    実際、真珠湾作戦以前に翔鶴,瑞鶴を南方方面に向ける検討が
    軍令部内でも行われています。建造工期も時局に併せ短縮されています。)
    更に「大鳳」,「雲竜」,「天城」の航空母艦の完成時期と
    実戦参加までの期間や戦局等が、どう関連したかを見てみると
    良く分ると思います。




    無限


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