413 秋月型は元々直衛艦として計画されたと言われていますが、当初は魚雷装備も無い予定だったと聞いています。
直衛艦は艦隊を守る目的だと思われるのですが、何故防空艦的な艦で計画が始まったのでしょうか。
艦隊を守るからこそ強力な砲雷戦能力が求められる気がしますし、直衛艦の魚雷装備無しや甲駆逐艦より小口径砲の選択がちょっと腑に落ちません。

直衛艦とはどういう目的、運用を期待された艦なのであり、どういった理由で当初は雷装を無くしてまで防空戦闘に特化しているっぽい艦を建造しようとしたのでしょうか。
天ヶ崎

  1.  昭和14年(1939)における秋月型の当初の任務は、
    1.空母任務部隊の対空直衛
    2.同部隊の対戦護衛
    3.自隊航空機の警戒と救難
    であり、よって「直衛艦」と言われた訳です。
     軍令部としては、日本海軍が置かれている財政的な立場から、防空と対潜能力しかない高価格の艦は、費用対効果という点で贅沢だとの結論をだし、この型に魚雷発射管の装備を打ち出した訳です。
    因みに、同じ趣旨の艦である英のダイドー級や米のアトランタ級も魚雷発射管を装備し、駆逐隊指揮も期待されていたので、当時の大きな海軍国の趨勢としては一概に的外れとも言えないでしょう。
    改丸五計画で計画された秋月型の改良型も仮称三式61センチ六連装発射管六型を1基搭載(予備魚雷無し)する予定でしたので、軍令部としては多機能艦として使う積もりだったのでしょう。



  2.  簡単に言えば、航空機の脅威が強まったからです。そして、航空機を攻撃するのなら、大口径砲より、砲弾が軽く、発射速度の速い小口径砲のほうが有利だからです。航空機の移動速度が速いからです。また、このため、目標に到達する速度が重要になり、俯仰角速度と世界速度を速くして、追尾する能力を高める必要があります。しかし、大口径砲では、砲身重量が増えますので、旧日本海軍は127mm連装高角砲の後に、約20%口径を減少させた65口径98式10サンチ高角砲を開発します。
     そして、空母直衛用に、この砲を4基8門を装備する艦を計画しました。この高角砲が非常に優秀だったこともありますが、空母の飛行甲板が非常に脆弱だったからです。つまり、本来、空母は戦闘機という航空機に対して素晴らしい攻撃力を持つ兵器を持っていますが、同時に、甲板に爆弾を1発受けるだけで、それを使用できなくなるのです。このため、航空機を近づけさせないことが肝要であると考えられ、そのためには対空弾幕をはること、つまり、多数の砲を持つことが重要と考えられたのです。

     直衛艦は、搭載機にほとんどすべての力を頼っている空母を守るのが目的でありまして、水上決戦を目的とする「艦隊」を守るのが目的ではありません。そして、空母は水上決戦となりましたら退避するのですから、水上攻撃を行う兵器を装備する必要はないのです。
     それが魚雷を搭載するようになったのは、昔、お世話になった方から譲り受けた遠藤昭著「高角砲と防空艦」(1975年原書房)の79ページには「財政的な面から、在来の駆逐艦(甲)の建造隻数を減らして、建造予算を確保せねばならない関係から、魚雷兵装を装備し、駆逐艦任務を兼ねさせることに改められ、駆逐艦に分類し、駆逐艦(乙)と呼ぶことになった」と、あります。
     
    hush

  3. 昭和10年頃より以前では、空母は夜戦に応じて艦攻を発進させた後自らは後方へ避退させるなどその脆弱さを考慮した運用を考えられていましたが、11年頃に艦隊決戦の初段を空母搭載機による敵空母先制空襲をもってなすことと定められ、空母を昼間、敵艦爆の脅威下に積極的に曝さなければならい状況が当然のものとなって来ます。そこで整備が求められたのが、大鳳以降の重空母(装甲飛行甲板を持つ空母)と、防空艦、さらには自方艦爆の大航続力化(いわゆるアウトレンジ可能なように)だったわけです。
    つまりは大鳳、秋月型、彗星をセットで考えるとよいわけです。
    九八式一〇糎高角砲は、それ以前の八九式十二糎七高角砲に比べ、口径こそ小さいですが、最大射程、最大射高、発射速度が大きく、対空射撃時に弾幕を形成するのに有利と考えられていました。


  4. 伸様、hush様、片様ありがとうございます。
    つまり纏めると、
    ・直衛艦は空母を守る事を目的とした艦種
    ・空母を守る為に最も必要とされたのは防空能力であり、直衛艦は対空弾幕を張れる事が第一とされた
    ・空母は脆弱である事から後方に退避する事になっており、また艦爆の大航続力化による敵艦との距離遠大により空母部隊が敵艦と交戦する可能性は低い。だから直衛艦に対艦攻撃能力は必要とされなかった

    このような理解でよろしいのでしょうか。
    天ヶ崎

  5. 敵空母の先制攻撃に成功して制空権を抑えちゃった側はもはや自由に振舞える、ということなのかもしれませんね。
    接近してくる敵艦に対しては飛行機隊を発進させて攻撃させれば良い状況であるわけですから。


  6. 私の書き出しが昭和14年の秋月型計画当初の内容だったので空母中心で話が進んでいますが…元々の日本海軍での直衛艦(防空艦)の直衛対象は空母では無く戦艦でした。
    昭和10年から防空を主務とした艦について、日本海軍は構想を練りだします。
    当初は、昭和11年に英海軍で行った旧式なC級軽巡の備砲を全て高角砲に換装した改装例に範をとった物でした。
    天龍級の備砲と水雷兵装を全て降ろして高角砲を中心とした兵装に改装する案が昭和11年に作られます。
    この時の主務が丸三計画で建造される大和級の防空・対潜直衛でした。
    つまり、
    1.戦艦戦隊の対空直衛
    2.同戦隊の対潜護衛
    3.艦隊決戦における主力艦砲戦時の超煙幕射撃を実施する為の敵艦隊との間に煙幕のを展張
    と言う任務内容です。
    天龍級の改装費用は丸三計画で要求されはした様ですが、要する工事量や費用が大きな割に効果が少ないと言う事で天龍級改装予算は成立しません。
    結局、昭和10年から始まった直衛艦の計画は昭和15年まで続く訳ですが、この間に改装する対象が天龍級から5500t型軽巡に変わり、更に専用艦(後の秋月型)に変わると言う変遷を歴ます。直衛対象も戦艦から、より敵の攻撃に脆弱な空母へと変わっていきます。
    この辺は空母が生きていれば、直掩戦闘機による水上打撃部隊へのエアカバーがあるから、直衛対象が戦艦から空母に変わった物と思います。
    秋月型の当初の任務は、対空・対潜で水上戦闘は余技程度と言う昭和10年の計画当初からの武装の流れに則った物だったと言えるでしょう。



  7. マル四以降の戦時編制案ではC駆乙、つまり秋月型は第二艦隊の航空戦隊内に配属されることとされています。ですから、秋月型については「空母中心」で大丈夫です。
    戦艦を中核とする第一艦隊には甲型駆逐艦の水雷戦隊がつき、そのほかに天龍・龍田(防空巡)や防空戦力としての特空母がつくのです。


  8. 空母部隊にマル四計画分の乙型駆逐艦が充足してのち、マル五、マル六の乙型は戦艦部隊に付属されるように考えられています。
    戦艦は後回しなんですよ。


  9. こうしたものは昭和11年の国防所用兵力量第三次改訂に則してプランされているものであり、ここではすでに決戦は空母部隊による敵空母先制攻撃から始まり、制空権下で主力艦が出てくるというドクトリンが定まっています。対空戦闘に曝される可能性が大きいのは空母部隊なのです。


  10. >6-9
     つまり、戦艦直掩から空母直掩へと要求が変化したことで、対水上戦闘への対処能力が直掩艦にも求められるようになったってことですかね?
    SUDO

  11. マル四での秋月型の建造数が6隻なのは、当座、蒼龍、飛龍、翔鶴、瑞鶴、大鳳、龍驤に各1隻ずつ充てがうつもりだったようです。
    各航空戦隊に秋月型2隻ずつです。
    この編制だと雷装するメリットがあまりなさそうに思います。

    それよりも、この時期にはこれら敵空母先制攻撃用の航空戦隊は、第2艦隊の中に置かれていますので、高速戦艦と重巡全部、2個水雷戦隊が付近にいるはずですよね。

    そういうことなどから考えると、乙型の建造枠を確保するために甲型の隻数を減らしたので、いざというとき甲型の穴を埋められるように雷装させておいた、という従来の解釈が一番わかり良いように思うのですが。



  12. 天龍、龍田の防空巡改造は、空母直衛の秋月型とはそもそも別のもので、この2隻は大和、武蔵のためのものだと思うんですよ。
    ずっと後に戦艦にも乙型駆逐艦がつけられるようになることが考えられていたわけですが、その場合の「戦艦」とは扶桑〜陸奥は含みません。大和以降の新戦艦に対してのみ直衛艦の付属が考えられていたのであり、これは大和型から後ではある程度対空防御力が備わっているとみなされて航空決戦下での前進が考えられていたからなのではないかと想像しています。


  13. ということで、「天龍、龍田」と「秋月型」は時期的に別に分ける必要はないものだと思います。
    これらは段階的に発展したのではなく、同時に同一のドクトリンの下で構想されたものなのではないでしょうか。


  14. ああ、「大和、武蔵のためのもの」と書いちゃいましたが、正しくは「大和、武蔵、マル四戦艦2隻のためのもの」ですね。

    ついでにいうと、重巡のうち「古鷹、加古、青葉、衣笠」は第一艦隊でした。

    この2箇所訂正。



  15. 昭和10年の直衛艦の構想自体の出発点が専用艦から始まる訳で、そこから専用艦では建造に時間と費用が掛かるので旧式化した軽巡の改装と言う話にシフトしていく訳です。
    天龍級の改装は丸三計画で予算が出された様に、大和型の所属する主力水上戦艦隊の為と言った方が正確でしょう。計画では昭和15年迄に就役させる積もりでしたし。
    天龍級と相前後と言うか略並行で5500t型軽巡の直衛艦への改装と言う案も出るのですが、他への改装案が優先される形で消えて行き、専用艦へと計画が戻る訳です。
    専用艦の当初計画数値が速力35kt、航続距離10000NM/16ktだったのですが、此れだと排水量が4000tオーバーになると言う話になり、速力33kt、航続距離8000NM/16ktに引き下げられる事になります。
    まー、当時は大和型にも当初案では35ktを求めた位ですから、空母に追従する為の条件だったのでしょう。
    武装なのですが、魚雷発射管の搭載は軍令部が強行に主張して実現する事になりました。
    軍令部としては、
    1.空母の直衛をする上で敵の先行する偵察巡と遭遇した場合に長10cmだけだと心許ないので魚雷発射管を搭載する(まー、当初の空母も巡洋艦対策に14cmや20cmを積んだ訳ですし)
    2.水雷戦隊の補助
    3.直衛艦と言う新艦種で予算を出すより駆逐艦として予算を出した方が商議がし易いと言う政治的な判断
    等の理由で主張した様です。
    当初は1の意見が強かったのですが、秋月型が具体化し出すと2と3の意見の方が強くなった様です。



  16. 15の一部訂正を。
    航続距離の所、16ktとしましたが18ktでした。



  17. 昭和10年頃の大和型がまだ重高速戦艦として考えられていた頃の研究では、これら重高戦は第2艦隊に配属されることになっていましたが、この場合の防空戦力は4航戦、6航戦の特空母、大鯨、剣崎、高崎(を改造した空母)が担任するように考えられていたようです。この場合の第2艦隊は基本的には夜戦群であり、航空戦隊飛行機は夜戦参加を建前とされています。敵機による攻撃の可能性の少ない夜間に第2艦隊を進出させようと考えられていたわけです。

    その間にも空母による先制空襲を決戦の最初に行う方向性が強まって来ており、空母群が全艦隊に先んじて先制空襲、航空決戦、制空権確保を行わなければならないことになってゆきます。11年に海軍の決戦ドクトリンとこれに応じた国防所要兵力量の改訂が行われ、大和型の速度低下、防空巡洋艦の整備、重空母の建造、秋月型の建造、艦爆の航続力重視が横並びにされる運びとなっているわけです。



  18. 国防所要兵力量の第三次改訂が昭和11年6月3日、マル三計画の議会承認が昭和11年12月31日、という時系列を示しておいたほうがわかりよいかもしれませんね。


  19. なんだ11年6月じゃないか、と思われるかもしれませんが、これは決定ですので、当然前年以前にさかのぼる事前研究や模索が背後にあるわけです。
    国防所要兵力量第三次改訂の翌々日昭和11年6月5日に『航空機種及性能標準』も出されているように、この時期に一斉に兵器大系の改訂が行われています。
    そして、この所要兵力量改訂はマル三計画だけでなく、その後のマル四計画の背景にもなっているものなのです。


  20. また、計画には、計画完成時にそれら艦艇をどのように編制するか、というプランも付随します。
    そのとおりに進んでいたら、昭和19年頃には天龍、龍田は第一艦隊付属となり、その第一戦隊は大和、武蔵だけでなくマル四戦艦2艦も加えた計4艦で構成されることになっていました。天龍、龍田の場合はこれら4艦の直衛が目的であるわけです。そして、空母の主力と乙型駆逐艦の全部は第二艦隊です。
    このように、マル三計画、マル四計画は目的を共有したひとつの大きなプロジェクトの前半部分、後半部分なのであり、それぞれ独自な存在だったわけではないのです。
    それゆえ、同じ計画内の別々の場所に併記されている「天龍、龍田」と「秋月」型は、段階的な遷移として捉えるのではなく、別物として分けて考えた方が良いのです。


  21. むしろマル三計画内には、天龍、龍田の防空艦改造とは別に、旧型駆逐艦に航続力増強改造を施し第二艦隊の各航空戦隊内に配置するプランがあります。こちらの方が秋月型の前駆的な存在です。
    マル四計画の大蔵省への説明資料の中にも、乙型駆逐艦に関して「従来より空母に随伴できる大航続力を持つ艦が欲しかった」という意味のことが述べられています。


  22. 片様、伸様詳しい解説ありがとうございます。
    正直に言えば詳しい説明をまだ完全には消化できてない状態なのですが、簡単に言えば、戦艦部隊にしろ空母部隊にしろ防空能力の向上が求められ、特に空母部隊への配備が重視されたという解釈で大丈夫なのでしょうか。

    今一度確認したいのですが、
    直衛艦はノルウェーでのアカスタやフィリピンでのジョンストンのような接近する敵艦隊に対抗する任務は期待されていない
    それは直衛艦とは別に随伴しているであろう駆逐艦や大型艦艇の役目と見なされていた
    という事でよろしいのでしょうか
    直衛艦という語句からついそうした任務もあるのかもと思ってしまったのですが、それができる艦艇はすでにある程度保有している事から(若しくは空母艦載機で対処できるとか、そもそもそうした自体はあまり起こりえないと判断されたから)あまり必要とされなかったということでしょうか。
    天ヶ崎

  23. 直衛対象が戦艦にしろ空母にしろ、直衛艦としては水上戦闘は二義的な物になります。
    対水上戦闘を考えた場合、直衛艦が直面する敵は巡洋艦か駆逐艦になるでしょう。
    そうした敵の場合、直衛対象が戦艦であるなら戦艦の副砲なりが接近する巡洋艦なり駆逐艦の相手をする事になり、直衛艦自体の水上戦闘は補助的になると考えられます。
    空母であるなら、艦載機を発進させた後はスタコラと退避しますし、その空母が直衛対象ですから、直衛艦も一緒に行動するでしょう。
    直衛艦の考え方は、日本海軍の戦術のカウンターパートみたいな物で、自分たちが考えている航空戦力による先制、潜水艦による漸減を敵が行った場合の対抗手段と言うのが主たる目的だったと言えます。水上戦闘は他艦種が行うか、直衛対象と共に避けると言う考えだったと言えるでしょう。
    直衛艦が水上戦闘をする場合は、直衛対象の撤退支援等の場合でしょうから、煙幕展開をしつつ足止めする位の行動になると考えられるので、高角砲なりの平射でも出来なくないと考えられていたと言えるます。



  24. 当初、直衛艦と言われていた物に魚雷を積むのは、空母部隊が主力夜戦部隊と共に行動し夜戦に先駈けて艦載機による夜襲を企画していたので、先行する敵巡洋艦等の水雷部隊と遭遇する事が考えられる為、敵に対しての脅威度を上げる為だったと言えます。
    それが、完全に変わってくるのが昭和25年度戦時編成案(丸五、丸六計画)からになります。
    丸三、又は丸四計画の戦艦二個戦隊に其々付属する秋月型後継艦は4隻一個駆逐隊であり、一個駆逐隊の魚雷の射線数は24射線(計画通りなら六連装1基)になり、重雷装艦の片舷射線数(20射線)に匹敵する物になるので、相手に対する脅威度を上げると言うより、水雷戦隊の補助戦力(退役した大井、北上の代替)としての比重が大きくなっている事が判るでしょう。



  25. 昭和10年11年頃のドクトリンでは、夜戦部隊である第2艦隊に随伴する空母は、攻撃機を発進させた後、自らは夜戦に参加することなく後退するように考えられていましたから、乙型駆逐艦にも夜間水雷戦参加を求められていたかもしれません。甲型駆逐艦の建造枠を割いて直衛艦に回した穴埋めとしての任務としてこうしたことが考えられていたのかも、とも思いますが、しかし、これはマル四計画以前の話です。

    11年頃にドクトリンが変わり、かねてより提唱されていた「制空権下の艦隊決戦」思想がより先鋭化された感じになります。ここで、航空兵力の攻撃第1目標が敵主戦部隊から敵空母に変更され、何よりもの戦闘に先んじて先制攻撃で敵空母を潰すことが求められるようになったことです。
    こののち、空母部隊の主力は、建制上は以前同様第2艦隊内に置かれていつつも、独立した機動航空部隊として別動することになります。
    秋月型はこれら機動航空部隊の航空戦隊に限定して配備するプランになっていました。これ以降、すなわち実際にマル四計画が立ち上げられてからのちには、秋月型の夜間雷撃戦任務想定はかなり小さなものとなっていたはずと思います。夜戦舞台の主力とは、洋上で距離的にかなり隔たった位置にいたはずであるからです。
    こうしたことは、昭和13年策定の昭和25年度戦時編制案まで変わりません。

    昭和16年策定の昭和22年度および昭和25年度の戦時編制案では、確かに戦艦戦隊にマル五、マル六の乙型駆逐艦が付属されますが、これらは水雷戦隊を組まずに、戦艦(それも大和型以降限定の)の戦隊内に配置されます。ここには航空戦隊内に配置される乙型駆逐艦と共通したものがあり、主任務は「直衛」だったはずです。
    また、この時期にはドクトリンにまた変化があり、制空権獲得のための航空決戦は基地航空部隊兵力を使用し、航空母艦の任務は限定的なものとなっています。この時期にはすでに、海軍の空軍化が主流となっていたのです。



  26. ということで、秋月型が立案されたマル四計画当時に限定していえば、空母機動部隊の役割は「艦隊決戦の全局面に先駆けていきなり繰り出すワイルドカード」だったわけです。空母対空母の航空決戦に勝ってしまえば、そのあとに残った敵主力戦艦部隊は、自方の制空権下で叩けることになるわけですので、この最初の局面はとても重要だったわけです。
    ですので、当初の秋月型の建造数は、主力空母の直衛分だけ最低限確保する数字で考えられていたのです。この時点では秋月型による戦艦直衛はプランに含まれていません。

    敵空母を艦爆で叩き、味方空母を敵艦爆から守る。このことは非常に重要でした。そして、秋月型はこの味方空母を防衛するための手立ての重要な一環だったのです。(ほかには、20ミリ機銃装備の零戦があります)
    必要上、対潜直衛、蜻蛉釣り、敵水上艦の排除などの任務も兼ね備えていたでしょうが、空母部隊の防空こそ、こうした艦種をわざわざ作らなければならない重要な任務だったのです。
    繰り返しますが、空母部隊の防空が失敗すれば、制空権は敵のものとなり、艦隊決戦での勝利は困難になるからです。


  27. もし、「艦隊決戦」を日露戦争や第一次世界大戦当時のもののように想像されているのだとすれば、昭和11年以降に想定されていたものはそれとは違い、例えていうならば「真珠湾作戦をせずにいきなり行うミッドウェー海戦」のようなものであるということです。
    日本側が「空母基軸の機動部隊」の背後に「攻略部隊(夜戦部隊)」「主力部隊」を置いていたように、米側機動部隊の背後にも主力部隊がいる状況で行われるミッドウェー海戦です。
    史実のミッドウェーでは、まず、敵味方が飛行隊を出し合って航空攻撃を掛け合い、日本側空母部隊が敗れて制空権を奪われたのち、攻略部隊の最上、三隈は敵航空攻撃によって損害を被っています。主力部隊は航空決戦終結を待つあいだ後方に控え、航空戦敗退後は反転して避退しています。
    こうした状況では、戦艦への防空にそれほど重点を置く必要はなく、しかし、機動部隊には分厚い防空兵力が必要なことがよくわかるかと思います。
    また、6月5日夜に南雲部隊残存艦が第二艦隊指揮下に入って夜戦を行おうとしていたように、機動部隊配属の駆逐艦も空母直衛任務が必要でなくなった場合には夜戦に投入される場合があるのだということも、しかし、そうしたものは副次的任務であるということも、実例としてよく分かるところなのではないかと思います。



  28. 成る程,ありがとうございます.

    直衛艦とは少し外れる話題そうで恐縮なのですが,
    となると,日本の(英米でもほぼ同様)機動部隊に戦艦や重巡洋艦などの大型艦艇を配備していた理由は何故なのでしょうか.
    今までの回答を聞いてみると,これらの大型艦艇は機動部隊に取って不要なんじゃないと思えてくるのです.
    これらの存在がどうもよく判らないのですが(質問前までは敵水上部隊との交戦を真剣に危惧していると思ってた),対空砲火(又は水上機や通信能力)の増強のためとみればよいのでしょうか.
    天ヶ崎

  29. 高速戦艦「比叡」「霧島」が真珠湾攻撃時南雲機動部隊に加わっていたのは、「アメリカ水上部隊への備え」「空母が航行不能になった場合の曳航用」と聞いたことがあります。
    Ranchan

  30. 開戦時からミッドウェイまでの第一機動部隊を例に取ると
    1.戦艦金剛級の配備:空母とおおむね行動を共にできる速力と航続力を有し、反撃してくると思われる敵水上部隊に対抗できる砲力を持ち、さらに空母損傷の場合には母艦を曳航することも可能だから。
    2.重巡利根級の配備:巡洋艦のなかで航続力がもっとも大きく、かつ水上偵察機を各艦5機ずつ搭載できるので、索敵力が巡洋艦のなかで最大であり、そのうえ20糎砲搭載の重巡なので敵水上部隊に対抗できる砲力があるから。
    ですね。

    此処で気をつけないといけないのは、第一機動部隊と言う事で、第一機動部隊の母体となっている空母を集中した第一航空艦隊は建制上は戦艦も巡洋艦も配備されてなく、空母と航空戦隊に付随する駆逐艦だけが配備されていたと言う事です。
    戦艦や巡洋艦、水雷戦隊は軍隊区分により第一艦隊や第二艦隊から臨時に配備されていたと言う事になります。
    建制上、戦艦や巡洋艦も配備された空母中心の艦隊は、ミッドウェイの敗戦後に新編成される第三艦隊からになります。



  31. >28
     太平洋戦争では、日本海軍の空母は戦前の予想とは異なる作戦を行っています。戦前においては、日本海戦のようにやってくる敵を迎え討つという戦術でしたが、実際には違っております。
     計画段階での直衛艦の質問ですから、当然、戦前の構想に従って回答しています。したがって、そのような疑問を持たれのでしょうが、前提条件が異なります。
     
    hush

  32. 成る程,つまり
    戦前の構想→自勢力圏での作戦だから空母部隊には直衛艦(や駆逐艦)の配備だった
    太平洋戦争の作戦→敵勢力圏での作戦だったから空母部隊には大型艦も配備されるようになった
    ということなのですね.
    hush様のおっしゃる通り,というように戦前と戦中(戦前の直衛艦の構想,戦中の大型艦の配備)で異なる発想をしているように見えて疑問を持った次第です.
    状況が構想とは違うのですから,戦前と戦中の機動部隊の陣容を一緒に見てたいけないのですね.
    天ヶ崎


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