430 「対米戦争が開戦されなかったら」との前提における「大和型戦艦以前の長門型・伊勢型・扶桑型・金剛型戦艦10隻の退役予定計画」は存在していたのでしょうか?

それともマル4、マル5、マル6計画戦艦等と共に暫く在籍し続ける予定だったのでしょうか?

宜しくお願いいたします。
Ranchan

  1. 昭和16年2月策定のE計画完成時昭和25年度戦時編制案では、これら10隻とも使うことになっています。
    結局、こうした軍備計画は、更新よりも増強を目的としていたということではないでしょうか。


  2.  ○四計画時の大蔵省に対する予算資料で、第一艦隊に戦艦八(大和型四含む)、第二艦隊に金剛型・扶桑型のうち計四隻を置くという戦艦一二隻態勢と説明がされているように、○四計画の検討時点では既就役艦のうち二隻を退役させる見込みで話が進んでいます。
     しかしその後第二次ロンドン条約のエスカレーター条項発動・二大洋艦隊整備法案成立による情勢変化に伴う米海軍の兵力拡充に対抗する必要もあり、片監督が言われるように金剛型から長門型に至る全艦を第一線に留める形での兵力構成が検討されています。
    大塚好古

  3. 日本海軍の建艦計画の変化もあるのでしょうね。丸三、丸四計画までは軍縮条約等が無ければ、軍縮期間中にでも建造したであろう規模でした。
    丸五、丸六計画は、日本海軍の自発的と言うより仮想敵国であるアメリカ海軍の動向を睨んだ他発的な物であり、アメリカの両洋艦隊法で建艦される艦艇数(135万t)の増加に対抗する為に規模が決定されています。
    日本海軍の昭和25年度戦時編成案とは、5500t型や天龍型等の旧式軽巡は更新されていますが、それ以外の艦は総動員された編成と言えます。



  4. 大塚さんがおっしゃる新造間も含めて戦艦12隻体制というのは、昭和11年6月の軍備制限条約失効に備えた改国防所要兵力量第三次改訂に基づいているはずです。(これ以前には戦艦の保有数は9隻で考えられています)

    昭和13年10月策定のマル四計画完成時の昭和19年度戦時編制案で、大和以降の新戦艦4隻とともに既存10隻も編成内に残されていますから、マル四計画の実施時点ではすでに、既存艦をできるだけ長く現役で使い続けることが考えられるようになっていたようです。


  5.  昭和13年11月に出された○5・○6計画での建艦計画検討資料の中では、第一艦隊は大和型八と長門型二で三個戦隊を構成し、第一艦隊を外れる金剛型・扶桑型・伊勢型計八隻のうち六隻を第二艦隊に転籍して第四戦隊と第五戦隊を構成する、としているのものがあります(この資料では一番艦齢の旧い金剛と比叡の名前が編成から消えています)。
     これはおそらく第二次ロンドン条約でのエスカレーター条約発動に伴い、英米の戦艦保有数が二〇に拡大されたことを受けて、戦艦へ威力対米八割の一六隻体制とすることを考慮したものでしょう。ただこれも以後の米海軍の兵力拡充に伴って更なる見直しがされて、既就役艦全艦を艦隊編成に含める形での計画案へと改訂されていきます。

     これもあるので、個人的にはこの時期既就役中の戦艦は、兵力整備の基本となる対米八割の兵力保持を考慮した上で、保持・退役が検討されている状況にあった、と考える次第です。
    大塚好古

  6. ↑訂正。 へ威力→兵力。どうも失礼いたしました。
    大塚好古

  7. なるほど、マル五マル六も、当初は高艦齢艦退役の方向で考えられようとしていたわけですね。
    ありがとうございます。


  8. 皆様ご回答有難うございます。
    大和型戦艦前期4隻は金剛型戦艦4隻の代艦として予算上建造が認められていたにもかかわらず、金剛型戦艦の具体的な退役時期を聞いたことがありませんでしたので質問させて頂きました。
    軍縮条約のため新造戦艦が補充できないので、高齢旧式でとっくに新型艦に更新され退役しているはずの金剛型や扶桑型は引退を許されなかったと思っておりました。
    (だから大和型以降の新型戦艦がどんどん就役すればどんどん退役していくと思っていました)

    しかし大改装を受けているとはいえ、一番古い「金剛」(1913年就役)は代艦たる「大和」就役の昭和16年で艦齢28年、昭和25年では艦齢37年に達するはずです。
    このような艦を第一線扱いで動員しているところに、当時の日本の限界を感じるように思えます。
    Ranchan

  9. 金剛級って凄いですね。
    第一次大戦では英国から借用の対象にされ、その後はアイオワ級の建造の動機になってます。
    事実、一番活躍してたりします。(まあ古いので使い捨てかもしれませんが)
    これだけインパクトがあるのに後継艦がないのはなぜ?
    wittmann

  10. >9
    昭和8年に金剛型の用途を夜戦支援用高速戦艦としたのと同時期に策定されつつあったマル三計画での新造戦艦2隻は、やはり夜戦部隊支援用高速戦艦(65000t×34kt)として考えられています。この場合はまだ現役の金剛型4隻とあわせて使うつもりだったようです。
    これが大和型の内容に変わってゆきます。


  11. 金剛級の後継となるべき金剛代艦の計画はありました。
    昭和8年には金剛が、翌年には比叡がワシントン軍縮条約での代艦建造規定である艦齢20年を満たすので、此れを機に金剛代艦を建造しようと、昭和3年頃から軍令部の要求を受けて、艦政本部で金剛代艦の計画案が纏められています。
    昭和4年3月5日、海軍軍令部長から海軍大臣に商議が行なわれ、金剛代艦4隻を含む新補充計画の案がなされ、大蔵省との間で予算折衝が行われました。
    しかし、昭和5年にロンドン条約が締結され、その中で主力艦代艦起工を5年間延期するという項目があったので、金剛代艦の計画は一旦終る事になります
    そして、片氏が述べられる様に、来るべき新戦艦建造に備えて、艦政本部での各種研究作業は継続され、大和級の設計へと進んでいきます。



  12. 便乗質問させて下さい。
    夜戦支援用高速戦艦としての金剛型の後継は超甲巡ですが、金剛型の退役延期に伴い建造が中止されたということでよろしいのでしょうか?
    ということは、いずれ金剛型が退役する際には同様の性格の艦が建造されたのでしょうか?
    きっど

  13. 昭和10年代の海軍って、戦艦はもう大和型はじめ110・111号艦や50cm砲搭載型のような大和型の路線しか造る気がなかったんじゃないでしょうか?

    最終期の艦隊決戦の戦術は戦艦よりも甲巡や水雷戦隊、航空戦力の方が重視されていて、既存の戦艦は「使えるだけ使い続ける」姿勢に変わっている様に見えますし、漸減戦や野戦の中核とされた三戦隊の用法も、いくら高速とはいえ大柄な戦艦を巡洋艦のように使い回すのは難しいという声があったようですし。

    艦齢的な面での金剛型代替艦は大和型になってしまっていて、巡洋戦艦的な代替艦はもう作られる事がなかったのではないかと考えますが、いかがでしょうか。
    さわりんX

  14. >12.
    超甲巡は周知のようにマル五で2隻、マル六で4隻計画されましたが、戦局の急速な推移により、S17半ばにマル五は改マル五となって戦艦・甲巡は建造中止、マル六は計画消滅となったわけで、金剛型の退役延期とは直接関係無いんじゃないでしょうか

    >13.
    戦艦は仰せの通り対米質的優位確保のため大和型・改大和型(超大和型)の路線です
    いっぽう超甲巡は金剛型(二次改装)よか基準排水量も水線長も僅かに大で、金剛型より火力を削ったぶん速力を3ノット高めた略同規模のフネ、と見て差し支えないかと(防御力は略同等)
    マル五・マル六に見直しが掛かるS17半ばまでは造る気満々だったのではないでしょうか
    駄レス国務長官

  15. 横山信義作の『 八八艦隊物語』での八八艦隊が就役しても伊勢型・扶桑型・金剛型戦艦が在籍し続けるのは少し無理がある設定でしょうか?
    ぐち

  16. >15.
    T7年に帝国国防方針の第一次改訂が行なわれ、所要海軍兵力は「八八艦隊」よりさらに増強されて「八八八艦隊」の整備が目標とされました
    艦齢第一期8年未満の主力艦で構成し、増加の8隻は戦艦・巡洋戦艦の区別は未定でしたが、これだと毎年3隻ずつ竣工しなければならず、とうぜん建造が間に合わないため、既存の各型が編入された可能性が大です
    (一説によると筑波型以降の前ド級・準ド級を含めた「八八七七艦隊」というハナシも)
    以上戦史叢書「海軍軍戦備」に拠る
    駄レス国務長官


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