481 私の祖父、國武正治は26歳でボルネオ付近の海に散りました。1919年12月5日生まれ(届けは13日)中野無線学校を卒業後、モールス信号のスペシャリストでもあったらしいです。そんなスキルがあったので福岡の気象台に勤務していたそうです。(本籍/福岡八女)
その後、妻と台湾に渡り『海軍?の司令塔』で勤めていたそうです。台湾からボルネオへ向けていく船で、祖父は階級があった責任もあり戦地へ赴き、1944(昭和19年)11月25日にその船は、攻撃を受けボルネオ付近で沈んだそうです。
 一方は燃料が切れ帰還した船があり、帰国した兵隊さんから、後に目の前で祖父の船が沈んだことを知らされたそうです。
 何という作戦で命を落としたのか?台湾から出向した祖父の乗った船は何と言う名前の船だったのでしょうか?また、祖父は台湾でとてもハンサムで少し名が通ってたそうです。海軍の格好をしていましたので、海軍の卒業生名簿でサーチしましたが、判りませんでした。中野無線学校でしたので、英語も堪能だったそうです。資料探しが難しいのでしょうか?周りには祖母も父も含めて判る人がいません。
 どなたか、祖父の國武正治の事を知っている方がありましたら、教えてくださいませ。
国武

  1.  沈没した日と場所から考えますと、まにら丸が乗船されていた船ではないかと思いますが、この船は1944年11月25日午前6時45分、ボルネオ、ミリーの北西約200q(05゚42or45'N/113゚15'E)でアメリカ潜水艦(SS261)ミンゴの発射した魚雷3本を受けて沈没しています。死亡者は乗船199名中船員104兵員47便乗者4計155名という記録は残っておりますが、乗船者の名前までは分かりません。
     http://www.geocities.jp/tokusetsukansen/J/A405/A405_003.htm

     なお、御祖父様が軍歴を持っておられる場合は、下記で軍歴証明書を発行してもらうという方法が確かかと思います。
     http://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/hokabunya/senbotsusha/seido04/index.html
     
    hush

  2. 今回は、詳しい情報を本当にありがとうございました。感謝感激でございます。制服が海軍のようでしたので、海軍で探しておりましたが、本日、県庁に問い合わせてみたら、陸軍としての記録があったそうです。県庁より、申告書フォームをダウンロードして資料を取り寄せ調べてみます。「やはり陸軍中野学校でしたので、陸軍だったのでしょうと。」との県庁担当者。お陰様でお正月に親類関係に祖父の消息を少しでも報告する事ができそうです。仏壇にお供えし、祖父の御霊をお祈りすると同時に、若くして日本のために私達未来の為に天逝した祖父に恥じない様、今後の日本に貢献できるよう、頑張ろう!と思いました。ご親切にしてくださり、本当にありがとうございました。
    國武


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