503 架空戦記などを読んでいて気になっていた事が有るので質問します。
ワシントン海軍軍縮条約で日本が対米英7割をとれていた場合、加賀型戦艦、天城型巡洋戦艦のどこまでが戦艦として完成していたのでしょうか、またその場合史実の空母に改装された赤城、加賀の代わりの改装空母は作られるのでしょうか。それとも枠だけ残して後の計画で新造でしょうか。
スイリュウ

  1. 未完成艦の廃棄が原則で、一部工事を省略して竣工させた陸奥の保有ですら問題視されたのですから、対米7割が通っても建造中の新戦艦群が認められる可能性は低いでしょう。せいぜい、摂津と薩摩型一隻、4万トン強の復活程度かと予想します。
    れん

  2. 実際の保有量を確認したら 米:約526,000T 英:約559,000T 日:約301,000T ですから、摂津、薩摩、安芸 計約60,000Tの復活で概ね、対米英7割かとおもいます。
    れん太

  3. れん様、れん太様、ご回答ありがとうございます。
    対米英7割が認められても八八艦隊計画艦が増えるわけではないのですね、ということは7割を求めていたのは1930〜1932年代に行えるであろう摂津、薩摩、安芸の代艦の超弩級戦艦建造(排水量誤魔化して2隻建造できるかできないか)が狙いだったのでしょうか。
    スイリュウ

  4.  ワシントン条約での新造艦建造枠の復活は英米の海軍も狙っていましたが、海軍予算を抑えたい英米の政府筋が新艦枠復活を拒絶していますので、余程のことが無い限り認められることは無いでしょう。保有数については、米英の代艦枠525,000トン(35000トン×15)の7割は367,500トン(代艦枠10.5隻分)になりますが、当時の隻数枠の検討・折衝の経緯を見る限り7割越えは絶対に米英が認めないので、ワシントン条約前の対米保有トン数68%を考慮して、約7割として代艦枠が9(315,000トン)から10(350,000トン)に増やされるだけだと思います(日本は11にしたいと言うでしょうけどね)。因みにワシントン条約の代艦枠は隻数自体も規定されているので、個艦の排水量を誤魔化しても保有隻数は増やせません。
     
     なお、ワシントン条約で日本が「対米7割」ということで復活を折衝したのは、当初の時点では陸奥と摂津と安芸の名前が挙がっています。これは隻数的な問題もあって拒絶されたので、直後に折衝の対象は陸奥と摂津に絞られ、最終的に陸奥のみが認められたのはご承知の通りです。
    大塚好古

  5. 大塚好古様、ご回答ありがとうございます。
    なるほど割り当て総排水量内分の戦艦を保有するのではなく決まった隻数内の中で総排水量を超えないようにしなければいけなかったのですね。つまり対米英7割が通っても隻数が9から10に増えるだけということで比叡が練習戦艦になるかならないかの違いしか影響(御召艦とか大和型戦艦のテスト艦などにも出ると思いますが)せず架空戦記などによくあるようなWWII時の日本の戦艦保有数が増えることも無いんですね少し残念です。(空母と潜水艦の時代になるのがわかっていても。)
    スイリュウ

  6. 対米7割、というのはこの海軍軍縮条約になって出てきた数字ではなく、それ以前の明治の頃から、進攻艦隊は邀撃艦隊に対し5割以上の兵力優勢を必要とする、といわれてきたことに由来しているようです。こちらが7割、相手方10割ならば相手方は1.5倍に満たない、という計算です。個々の艦をどうこうしたいということが根拠では元々ないんです。


  7. >6.
    主題からは少々離れますが。

    >それ以前の明治の頃から

    佐藤鉄太郎ですね。 佐藤は17世紀以降の海戦例を分析して、対敵兵力比率7〜8割の場合は劣勢側が勝った例も多くなり、少なくとも負ける可能性は極めて少ないとの結論を得、その著「国防策議」(大正元年、海軍大学校)において帝国海軍の軍備の最低標準を「乙国海軍に対しては約10分の7強を備え」(p61)としたものです。

    もちろん佐藤の国防論はこれだけではなく、戦費や人口などの国力の見地を始め幅広い理論を展開し、総合的な国防政策と軍備の重要性を論じています。

    しかしながら、軍縮条約の時に何故かこの「7割」(7割強ではなくて)という数字だけが一人歩きしてしまったものです。

    艦船ファン


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