507 あまりにも既出と思われる質問のため事前に検索は掛けましたが、該当する答えが見出せませんでしたので質問させて頂きます。

航空母艦「信濃」の計画上の備砲は「八九式12.7p連装高角砲×8、25mm三連装機銃×35、同単装機銃×40、28連装噴進砲×12」となっていますが、最初にして最後の航海であった呉回航時、実際にはどの程度兵装を搭載していたのでしょうか?
何か証言や資料があれば、ご教示頂ければ幸いです。

宜しくお願いいたします。
Ranchan

  1. 歴史群像太平洋戦史シリーズ「空母大鳳・信濃」に学徒勤労動員として横須賀での信濃の艤装工事に携わっていた神谷武久氏(お父さんが技術大佐だった方です)が、12.7センチ、25ミリを艦上で実見したときの記憶を文章にしておられます。竣工以前からすでに操砲の訓練が行われていたようです。機銃は三連装に比べ単装が少なかった、と述べられていますので、全数が装備されていたかどうかはわかりません。また、噴進砲については触れられていません。


  2. 19年11月11日公試といわれる例の写真で見ても、少なくとも五番の12.7センチの砲身2本は見て取ることができますし(この砲は上記神谷氏の回想記事の中に出てくるものです)、七番も存在してるみたいです。


  3. ご回答有難うございます。
    「写真・証言によると、全くの丸腰ではなかったことは確実だが正確な装備状況は現在の所不明」なのですね。

    「空母『大鳳』木甲板説」のように、新写真や新証言が出てくるといいのですが。
    Ranchan

  4. >1 で挙げた同じ本の別のところに、11月の公試時に「予定の12センチ30連装噴進砲も整備されていなかった」とありますね。

    高角砲と三連装機銃は横須賀でほぼ完備、噴進砲は呉で装備の方針、というところでだいたい問題ないのではないでしょうか。


  5. 横須賀海軍工廠に努めておられた方のお話を伺った事があるのですが、その方から聞いた内容は、
    ・自分は28連装噴進砲を30連装にする改設計作業をやっていた
    ・設計図は信濃が出港する直前に完成し、積み込まれた
    ・呉で自分が作った設計図を用いて製造、搭載する予定だったと聞いている
    とのことでした。
    もう20年以上前の事で、お話をしてくださった方も他界されていると思われます。
    ですのでこの話の信憑性を担保することは出来ませんが、こういう話もありました……という事で。

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    薩摩

  6. ご回答有難うございます。
    逆に言えば、噴進砲は呉海軍工廠でしか製造できなかったから呉回航をした(空襲の危険があろうがなかろうが、「信濃」は竣工までに遅かれ早かれ呉に一回は行く必要があった)のかもしれないですね。
    Ranchan

  7. 大鳳などもそうなんですが、一度呉に回航してそこで艤装を完成させるケースは多いです。



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