604 特型駆逐艦の一部に対して、酸素魚雷を搭載したという記載を見ますが、
同時に特型駆逐艦では酸素発生・充填機を設置出来なかったので搭載しなかったという話も聞きます
また、酸素魚雷搭載艦も、響・潮の2艦という記載や、薄雲等も搭載していたという話も聞きますが、
現在有力な案はどうなっているのでしょうか?
出来ましたら、その案の根拠もわかれば教えていただけましたら、幸いです

後、酸素発生・充填機の搭載は必須なのでしょうか?
初春型が昭和17年以降に酸素魚雷搭載したが、酸素発生・充填機を積むスペースがなく、出航前に充填してから使用したという話も聞きましたが、事実なのでしょうか?
それが事実なら、酸素発生・充填機の搭載は必須条件でなくなってくると思うのですが
ただ、初春型は開戦前に全艦発射機の換装を終えているとも聞きます。それなら、昭和17年まで初春型は93式酸素魚雷用の発射管で90式通常魚雷を発射していた事になりますが、それは可能なのでしょうか?
Myu

  1. 済みません、便乗質問をさせて下さい。インターネットで調べると、旧海軍の駆逐艦等に「空気を液化させて酸素を窒素と分離する酸素発生気機」を搭載していた旨の記載を見受けますが、本当でしょうか。当時のシールの性能は今日と異なりお粗末なので、漏れ出た酸素を補充するために駆逐艦等が酸素ボンベを搭載していたのなら判ります。しかし、空気を液化するだけでも大変な設備を必要とするのに、ましてや酸素と窒素を分離する酸素発生装置を搭載することは、経済的にも重量や容積の面からも不可能と思われますが。
    次に、一部の御質問に対する回答ですが、特型は、全てか否かは判りませんが、少なくとも一部は酸素魚雷を搭載したようです。但し、酸素魚雷の搭載に際して、酸素発生・充填機の搭載は不必要だと思います。明らかに搭載が不可能な潜水艦でさえ酸素魚雷を搭載し、ワスプを撃沈しています。
    UK

  2. 「第二空気圧縮機はドイツのリンデ式だった」という記述を元に、
    「Carl Paul Gottfried von Linde」で検索してみると、
    http://fnorio.com/0104history_of_freezing_&_cooling_technology1/fig5-1-3-06.GIF
    http://www.voelklinger-huette.org/genius1/erfinder/texte/img/3_43.jpg
    のような画像が得られますね。
    1895年の技術であるとのことです。



  3. 「海軍水雷史」P401-408に「酸素発生機(第二空気圧縮機)」の記述があります
    駆逐艦用としては「第二空気圧縮機五型」(九五式酸素発生機、15㎥/h)があり、「昭和17年頃迄に特型駆逐艦の全部、並びにその後建造の新型駆逐艦の全部に装備された」「日本酸素(株)は蒲田製作所で量産を開始し、昭和10年から終戦迄に駆逐艦用(15㎥/h)49基、巡洋艦用(30㎥/h)83基を製作した」と記されてます
    ちなみに全高は陸上用(30㎥/h)の約4.8mに対して艦艇搭載用は約2.4mです
    駄レス国務長官

  4. >3.の文字化け個所は「立米」です
    駄レス国務長官

  5. どの程度信憑性があるのかと言われると困りますが、
    実際に特型に乗っていた人の手記が出版されています。

    特型駆逐艦「雷」海戦記―一砲術員の見た戦場の実相 (光人社NF文庫)

    この中に「(水雷科が)今度の魚雷は93魚雷だ、◯◯ノットで何万メートル走る」云々と書いてあったように記憶します。
    (出先なので本を確認できず申し訳ない)

    著者は砲術科ですし、最初に言ったようにどこまで信用できるかという問題はありますが
    何かのご参考になれば、幸いです。
    X

  6. 御回答ありがとうございます。
    昭和17年頃だと、結構な数の特型駆逐艦が酸素魚雷を搭載していることになるんですね
    雷も昭和17年なら修理及び北方作戦中ですので、日本近海にいますので、搭載していてもおかしくないですね。

    ちなみに、その後建造の新型駆逐艦は夕雲型や秋月型になると思いますが、
    初春型や白露型にも九五式酸素発生機は搭載されたのでしょうか?
    陽炎・夕雲型で38艦、秋月型で12艦ですので、49機だとこれらだけでも足りない様に思うのですが
    (秋月なしで、陽炎・夕雲型38機、残り11機が特型でしょうか?
     それでも特型24艦に対して、1942年中に戦没した9艦を引いても15艦で
     数が合わないですけど、
     大体搭載したという意味ではいい値なのかとも思います)
    Myu

  7. ちょうどいま初霜を作るために資料をあつめていて、学研の太平洋戦史シリーズ57「帝国海軍艦載兵装の変遷」にこんな記述がありました。

    初春型は16年に九三式魚雷の発射が可能なように発射管を改造して酸素魚雷を搭載した。
    第二空気圧縮機は搭載されなかったが、有明の機関科の補機担当乗員によれば有明は装備していた。

    白露型も同じく16年に発射管を改造、酸素魚雷を搭載した。
    第二空気圧縮機を取り付けたが、霞や大潮のように戦時中の修理で撤去した艦もある。

    朝潮型、陽炎型、夕雲型、島風、秋月型、松型、橘型も第二空気圧縮機を取り付けたが、不知火は大修理の際に撤去した。

    だそうです。
    少なくとも白露型以降の艦には搭載されたようですが、諸々の理由で撤去した艦も存在するようです。
    北霜

  8. 追記
    同書籍によれば、特型等の第二空気圧縮機を持たない艦については、調整済みの九三式魚雷を搭載し、調整の必要な場合は陸上の魚雷調整所や巡洋艦にゆだねていたそうです。
    北霜

  9. >6.
    >3.では書いてあるままに「駆逐艦用49基、巡洋艦用83基」と記しましたが、仰せのように「駆逐艦用」が足りない半面、「巡洋艦用」が空母・潜母含めても余りそうなので、あるいは逆なのかも知れません
    「昭和造船史」第1巻P709には「九三式(魚雷)は重巡、一部の5,500トン型、阿賀野型巡洋艦、及び初春型以降の駆逐艦等に搭載された」と記されてますが、あいにく小職は判断材料を持ち合わせておりません
    駄レス国務長官

  10. 5の人に補足(同じ本を持ってるので)

    その本のP165に載ってますね。
    時期としてはスラバヤ沖海戦直前のようです。

    ですので、昭和17年2月末の段階で既に「雷」は九三式魚雷を積んでいたということになりますね。
    Jack

  11. 特型駆逐艦にはスペースの問題で「93式1型、3型」は搭載できなかったはずです。
    艦内容積ではなく発射管取り合い上のスペースです。
    特型は元々「八年式」搭載で計画されているので、「90式」搭載に際して2番連管
    の係止位置を後ろ向きに変更する必要がありましたからさらに455o長い「93式」
    搭載には無理があります。

    同様の問題は、5500トン軽巡にもあり、「93式」を搭載した数艦はウェルデッキ
    に収まっていた前部連管を廃止、後部を4連装する改装工事を行っています。

    ただし初春級各艦は後部連管直前の通風筒を「折り曲げる」などの改造により
    旋回圏を確保、搭載可になっていたものと思われます。
    (第4艦隊事件対応改装工事の公式図にそれらしいものが残っています)

    大戦後期に使われた「3型」の魚雷本体に「1型」の弾頭を取付けるなどして
    全長を短くしたものなら搭載可能になるのですがあくまで仮定です。
    ただ、特型乗員の証言で「93式短」と呼んでいたと伝え聞いたこともあります。
    伝聞です。直接聞いたわけではありません。
    P.D

  12. 皆さん、御回答ありがとうございます。

    >8
    この本、私も入手しまして読みましたが、
    「特型駆逐艦は、第二空気圧縮機を搭載しなかった」という記載になっていますね。
    しかも、こちらは特型駆逐艦の93式魚雷搭載は昭和19年残存艦になっていますね。

    しかし、同じ学研の太平洋戦史シリーズ70「特型駆逐艦―吹雪型3タイプ23隻全軌跡」では、潮・曙の両艦が昭和17年に発射管の改装をしたと記載されており、話が合わないみたいです。
    (昭和17年説は、他の紹介いただいた雷や酸素発生器の話ともあうので、信憑性は高いと思います。
    ただ、この本は発射管の改装をしたという記録のみで、魚雷を搭載したとは書いてないのですが。
    もしかして、17年では発射管の改装はしたけど魚雷は搭載しておらず、昭和19年にやっと搭載したと言うことはありえるんでしょうか?
    (それだと、雷の話と合わなくなりますが)
    酸素魚雷搭載の帳簿類とか命令書とかってあるんでしょうか?)

    ただ、同時にこの本に、響の話があり、
    「横須賀で93式酸素魚雷を搭載したが発射管はそのままで、弾頭部を小型化した特別製のもの」を演習で発射したという記載があります
    (しかも、ちゃんと航走せず、反転してきて自艦に命中した)と
    これが昭和17年頃の話として書かれてますが、
    雷が発射管改装を受けているのに、同じ駆逐隊しかも昭和17年には近くにいてドッグ入りまでしている響が発射管改装をしていないというのもおかしな話に思います。

    素人考えですが、
    >11の方が仰っている図面的に長さが足りないはずというのと、これは繋がってこないでしょうか?
    つまり、
    ・酸素魚雷発射管及び酸素充填装置の改造は昭和17年頃にはしていた
    ・ただ、その改装はなんらかの長さを抑える改装で、通常の93式酸素魚雷は搭載できないものだった
    ・そこで弾頭を小さくした93式酸素魚雷(93式短)を搭載した
    ・響も、発射管の改造はされていて、この93式短が初期で安定していなかったか、たまたま不良品を引いた話が大きくなっている

    これを裏付ける情報はなにも持ってないのですが

    後、駄レス国務長官様にお聞きしたいのですが、
    太平洋戦史シリーズ70「特型駆逐艦―吹雪型3タイプ23隻全軌跡」の中で、「海軍水雷史」の引用として、
    「駆逐艦では、運用してみると長射程はいらないので、魚雷航走距離は短くして炸薬量を増やした「93式2型」を搭載したが、開発が遅れ戦果はいまいちだった」という文が紹介されています。
    93式酸素魚雷の炸薬を増やしたタイプは93式「3型」だったと思うのですが、「海軍水雷史」の原文でも93式「2型」になっているのでしょうか?
    それなら、もしかして、この93式短の正体が93式「2型」だったりするのでしょうか?

    色々長文で書いてしまい、申し訳ありませんが、情報がありましたら(特に否定の)、ご教示いただけましたら、幸いです。
    Myu

  13. >9
    後、第二空気圧縮機五型の数ですけど、
    駆逐艦と巡洋艦が逆だとしても、やっぱり足りなさそうですね
    白露型以降だけで、特型なしにしても、
     陽炎・夕雲型で38艦
     秋月型で12艦
     松型・橘型で32艦
    これだけで、82艦になるので、朝潮型にすら回らない計算になります
    個人的には、学研の太平洋戦史シリーズ57「帝国海軍艦載兵装の変遷」の記載が間違っていて、松型・橘型は搭載してなかった様に感じます

    松型・橘型なしで、朝潮10艦・白露10艦・島風それと有明型のみ2艦と考えても、
    残り10艦分で特型の分としても足りないですが、
     戦時中取り外している分が新規建造艦に回っているか、
     途中から新規建造時に搭載しなくなったか、
     秋月とか実は他に搭載していない艦種があるとか
    なにか認識で間違っている所があると思います

    海軍水雷史の記載の数はメーカでの数なので、少しの勘違いはあっても、まったく違う値は出てこないと思うのですが
    Myu

  14. >12.
    「海軍水雷史」P31「九三式魚雷三型」
    「大戦の中期以後九三式魚雷の炸薬量500kgを増加せよとの要求が艦隊側より起りこれに応じて炸薬量を800kg(実際は780kg)に増加し、その代り最高速48ktにおける射程を縮めて15,000mとしたものを呉廠水雷部で設計し、同部で試作魚雷を製造し続いて量産に移った。九三式魚雷三型がこれである。」
    ・・・となってます
    「九三式魚雷二型」の記述は見出し得ませんでした

    「昭和造船史」第1巻P710第39表「各種魚雷の要目と性能」より抜粋
    型式 直径cm 全長cm 重量kg 炸薬kg 雷速kt×射程km
    一型 61 900 2,700 490 36×40/40×32/48×20
    三型 61 900 2,800 780 36×30/40×25/48×15 

    >13.
    必ずしも各艦の竣工時に搭載されたとは限らず、事前に喪失したり外地行動中などで搭載の機会を逸した艦もあったと思われます
    圧縮機の生産能力もありますから載せたくとも物が無いってことも・・・
    タイムチャートを描いてみると良いかも知れませんよ

    あと折角の機会ですからこれ以上はご自身が積極的に資料&情報収集に務めて研究テーマとしてまとめられては如何でしょうか
    駄レス国務長官

  15. http://www.fischer-tropsch.org/primary_documents/gvt_reports/USNAVY/USNTMJ%20Reports/USNTMJ-200D-0022-0469%20Report%200-01-1.pdf
    戦後の米軍レポートですが31〜33項にかけてこう書かれています。

    九三式魚雷一型
    試作機

    九三式魚雷一型改一
    1935年製造。
    1.前部胴体と後部浮力室の筋違リブの強度増加
    2.ピストンロッドの冷却水増加
    3.ヘリカルギアの材質をリン青銅に変更

    九三式魚雷一型改二
    1936-1944年にかけて製造。
    1.酸素容器を二つの鍛造半球をボルト止めしたのから深絞り加工の一体品にキャップを付けた物に変更
    2.後部浮力室の筋違リブのさらなる強度増加
    3.GROUP VALVE?のギア比変更
    4.発動機内のスライド弁の変更
    5.スライド弁への冷却水増加
    6.ピストンロッドとコネクティングロッドを連結するクロスヘッドへの潤滑油をパイプからコネクティングロッドに穴を開けたタイプに変更

    九三式魚雷一型改三
    日本の酸素魚雷の最終型、1944年試作開始、1945年製造。実戦には結局使用されなかったが試験走行は成功。海軍からの九三式魚雷三型の長距離化要求の為に製作。
    九三式魚雷三型の推進機関に九三式魚雷一型改一の酸素容器と弾頭を合わせたもの(炸薬は490kgに減少)。

    九三式魚雷二型
    試作機。海軍からの魚雷高速化要求で二つの型式の推進機関で合計2本製作された。1935年に一旦計画されたが取り止めになり1941年に再度計画。
    1.ボア径増加タイプ。51ktを実現。
    2.九三式魚雷一型と似たタイプ。流入高圧にギリギリ耐えうる薄いシリンダー壁に変更。プロペラピッチを九三式魚雷一型より20%減の高回転用に変更。3回実験され56kt、射程5000mを実現。

    九三式魚雷三型
    1943年試作開始、1944年から製造。酸素容器の小型化、弾頭の大型化に対応して推進機関を改良。
    1.始動時に使う第一空気室(wikiによると13.5リットル)を廃止して液化四塩化炭素150ccボトルに変更
    2.酸素容器の長さを短縮
    3.弾頭の長さ増加

    ということで九三式魚雷二型は高速魚雷として試作されたが2本のみ製作。
    「93式短」は第一空気室を廃止して短くなった九三式魚雷一型改三の胴体に九三式魚雷一型改一の酸素容器と弾頭を付けたと推測するも、米軍レポートに寸法情報が無いのが残念。
    jas1

  16. 失礼

    誤:第一空気室を廃止して短くなった九三式魚雷一型改三の胴体に九三式魚雷一型改一の酸素容器と弾頭を付けたと推測

    正:第一空気室を廃止して短くなった九三式魚雷三型の胴体に九三式魚雷一型改一の酸素容器と弾頭を付けた九三式魚雷一型改三と推測
    jas1

  17. 御回答ありがとうございます。
    私も「海軍水雷史」買って読んでみましたが(高かったorz)
    「九三式魚雷二型」の記載はありませんでしたので、
    平洋戦史シリーズ70「特型駆逐艦―吹雪型3タイプ23隻全軌跡」の記載間違いですね

    また、「海軍水雷史」にて、
    「九三式酸素魚雷」の実戦使用はスラバヤ沖海戦からで、四水戦が43本発射したと記載がありました
    ただ、スラバヤ沖に6駆逐隊は参加しておらず、参加した第七駆逐隊第一小隊についても、潮は昭和17年5月末に魚雷の改装工事を行っていることが戦時日報の記載からわかりましたので、この時点では発射性能を持っていない事になり、雷がすでにスラバヤ沖海戦前に、改装工事を終えていたかどうかはわからなかったです。

    しかし、「海軍水雷史」にて、発射管の改造は、
     主に魚雷の調停用の窓を開けること
     改造後は、90式空気魚雷、93式酸素魚雷の両方を発射できること
    (窓の位置を開けたり塞いだりの切り替えは必要らしいですが)
    から、
    個人的には、響の93式酸素魚雷を搭載したが発射管はそのままという話は非常に怪しいと思います
    (少なくとも5月には改装工事を行っている上、93式酸素魚雷の実戦初投入前後で、そんな時期に特別な酸素魚雷を用意するとは思えない。)

    また、「海軍水雷史」実物を入手しましたが、相当手の込んだ本でして、
    もし特別な93式酸素魚雷が存在すればその記載を行うはずと判断しました。
    その上で、特型駆逐艦の発射管の改装工事は、潮・曙等数艦の戦時日報にはっきりと記載されていることから、改装工事が行われたのは間違いなく、
    改装工事を行っている以上、寸法的に発射に問題がなかったと考えています
    (さすがに、寸法確認しない程、海軍も馬鹿ではないと思いますし)

    私個人の結論として、以下の様に結論付けました
    ・特型駆逐艦の多くは昭和17年頃に発射管の改装及び酸素発生機の搭載を行っている(薄雲・潮・曙は戦時日報に記載があるので確実。その他艦は不明なれど、この時期に日本に寄港していた艦は改装した可能性が高い)
    ・初春型も酸素発生機の搭載を行っていた可能性は高い
    ・但し、酸素発生機の搭載は酸素魚雷運用に於いて、必須ではない
    ・発射管の改装は、90式・93式魚雷の両対応化なので、90式魚雷も問題なく使用できる

    酸素発生機の数等、疑問な点はありますので、今後も調べていきたいと思いますが、皆さんのご協力のおかげで、大まかな疑問は解けました。
    ありがとうございました。
    Myu

  18. jas1さん、米軍レポートの情報ありがとうございます。
    入れ違いに、先に書き込んでしまったので、本内容を確認する前に、書き込んでしまいました。

    ただ、私個人としては「93式短」の存在は怪しいと思っています。
    と、いうのも特型の発射管改装は昭和17年に間違いなく開始されています。
    (一水戦の戦闘日報に記載がありました)

    九三式魚雷三型は昭和19年生産開始であり、
    これの使用が前提であれば、2年間使えない物の為に、戦時中に改装した事になります
    (「海軍水雷史」にはこの発射管改装は、各艦が寄港したタイミングを狙って大急ぎで(各部と揉めながら)行った事が記載されており、将来の為の先行投資とするには、非常に無理をして行っています。
    (戦時中にすぐに使えないものの為に、ここまで無理をして改装するとは思えないです。
     しかも九三式魚雷三型の試作は昭和18年開始であれば、試作をしてない物の為に、改装した事になり無理がありそうです)

    私が言い出しておきながら申し訳ないのですが、
    上記の事から「93式短」の存在は怪しい(もし、存在してもそれが特型駆逐艦にとって必須ではない)と、考えています
    Myu

  19. 別の米軍レポートによると陽炎型位から魚雷発射管が九二式二型から九二式四型に変更されてると書かれてるので、単純に九二式二型から四型への更新じゃないでしょうかね。
    「寄港したタイミングを狙って大急ぎで(各部と揉めながら)行った」については資料が無いので不明です。
    jas1

  20. 米軍レポートの紹介ありがとうございます。
    興味深く拝見いたしました。

    1941年に「2型」を再度計画…これが本当なら「2型」運用に向けて発射管改造、
    「90式」用発射管に「93式2型」用の調整口追加開口が行われたのかもしれません。
    本来、そのための「2型」ですから。外見から「93式短」と呼ばれた可能性も。


    また、「2型」を試作高速魚雷と位置付ける説が時々文章化されていて不思議
    に思っていましたがコレが原因なのかなとも。

    ただ、「特型駆逐艦の酸素魚雷運用は昭和19年現存艦」とも言われていますから…
    「90式」の完成在庫の兼ね合いも有るのかも知れません。
    酸素魚雷と比べれば劣るものの「90式」自体は優秀な魚雷なワケですし。

    P.D


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