853 戦艦大和の司令塔はどこからはいるのでしょうか?

また、一つ目とは関係ないですが拝艦というのがあると聞きました。
どこまで見せていたのでしょうか?

Mk.63 GFCS

  1.  拝艦よりも、軍艦見学、軍艦見物のほうが検索ヒット数は多いようですが、見せるだけならば、海上自衛隊の護衛艦とほぼ同程度には見せていたと思います。京都一中の配属将校が、新聞で連合艦隊が神戸に入港し一般公開を行うと書いてあったので、授業を止めて全生徒と見に行ったとか、修学旅行で北上を見物したというような記事がありましたので、結構よくあることだったようです。
     もっとも、この「拝艦」が、いかなる国で、いかなる時代に、いかなる身分の人が見に来るかで、大きく異なると思います。たとえば、現在でも、橋や空港の写真を撮ったら軍事機密に触れるという国も多いわけですが、そのような国の場合、乗艦もできないのかもしれません。もし、これが旧日本海軍を念頭に置かれたものだったとしても、戦時色が濃くなってきた時代と、軍縮時代では全然違うでしょう。また、皇族が来たとか、海軍希望者が見に来たとなると、上から下まで見せたと思いますが、後は艦長等の考え方次第でしょう。
     たまたま、過日、四日市港に護衛艦いせを「拝艦」してきたわけですが、二日とも艦長自らが甲板におられて、非常に驚きました。何回も、機会あるごとにいろいろな艦を見てきましたが、そのようなことはあまりなかったように思います(違っていたら御免なさい)。おそらく、公報ということに非常に理解のある艦長であったと思うわけですが、艦によっては上甲板を素通りして終わり、かと思うと士官室まで案内して戴いたてんりゅうのような例もあります。
     ところで、どこまでというのが、艦のどこまでか、あるいは兵器類をどこまで見せたということかは分かりませんが、それは軍事機密に触れなければどこでもという場合もあるでしょうし、ちょっと乗せて終わりという場合もあるはずです。
     多分、それだけでは満足されないと思いますので、アジア歴史資料センターで拝艦を検索してみたら、比叡の外人拝艦者案内参考事項の件という興味深いものを見つけました。リファレンス・コードC05034134200で御覧戴ければ、この当時の「拝艦」がどの程度のものか御参考になろうかと思います。
     
    hush

  2. 成程、有難う御座います。
    アジ歴の方ももう少し当たって見る事にします。
    Mk.63 GFCS

  3. この様な質問が将来されるとは予測していなかったので、出典は捜し出せませんが、確か水平防御装甲部の下方に出入り口があり、内部にエレベータが設置されています。また、艦橋とも装甲を施した扉を介して通行可能なはずです。
    UK

  4. 司令塔内にもエレベーターがあるのですか?
    扉は司令塔のどの面にあるのでしょうか?
    Mk.63 GFCS


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