855 イタリア海軍のカイオ・ドゥイリオ級戦艦はなぜ連装砲と3連装砲の混載になったのでしょうか?

同じ主砲配置である前級のコンテ・ディ・カブール級戦艦については、オーストリア=ハンガリー帝国海軍のテゲトフ級戦艦より多い主砲を搭載しようとしたが、トップヘビーになりそうなので2番・4番砲塔を縮小したのであのような配置になった、ということらしいので納得できます。

しかし、その改良型であるカイオ・ドゥイリオ級戦艦でも同じ主砲配置であるというのは疑問に思います。なぜ船体を大型にして主砲5基ををすべて3連装法にするということをしなかったのでしょうか?

予算の関係で出来なかったとしても、中部砲塔を廃止してテゲトフ級戦艦と同じような3連装4基の主砲配置にすれば、主砲は1門減りますが、砲塔も1基減らすことが出来て重量削減になりますし、主砲の射界が改善されるので、1門程度の火力減少も問題にならないと思うのですが、なぜそうしなかったのでしょうか?
ナマケモノ

  1. 同じイタリアの戦艦カヴールのウィキペディアフリー百科事典にて、『高所に3連装砲塔を置くと重心の上昇を招き、荒天時の凌波性の悪化、左右主砲斉射時のショックによる動揺悪化に繋がる為、連装、3連装の複合配置になったと言われる。』と有りました。
    デスコン

  2. すいません。もう書いてましたね。
    デスコン

  3.  カイオ・デュイリオ級は、オーストリアのだけでなく、フランスのブルターニュ級戦艦に対抗して計画されたと理解しています。そして、ブルターニュ級は340mm砲連装5基10門ですから、当然、305mm砲ではなく、更なる大口径の砲が欲しいとなるのでしょうが、イギリスの援助で305mm砲の製造が可能になったばかりであり、新しい343mm砲の輸入もできなかったのでしょう。そうなると、砲数の増加で対応するしかないわけですが、御指摘のように前級と同じ門数しか搭載しておりません。その理由として考えられるのは、大型化したくなかったか、できなかったです。
     当時のイタリアの産業は未発達であり、財政基盤が強固であったとは思えません。そのような中で、多大な予算が必要な海軍の整備にどれだけ回せたかです。また、海軍の大増強時代でありますが、まずは数が必要であったとも考えられます。そして、艦船の大型化には、船渠や港湾の改良が必要なわけですが、このあたりの制限がどうだったかです。
     前者はともかくとして、後者については、かなりの制限があったのではと考えております。というのは、カイオ・デュイリオ級の全幅は、前級と同じ28mですが、次の381mm搭載艦フランチェスコ・カラッチオーロ級でも29.6mなのです。もし、フランチェスコ・カラッチオーロ級のために整備を進めても、この程度が当時の限界であったとするのなら、カイオ・デュイリオ級において3連装5基が実現しなかったのはしかたのないことではないかと思うのです。
     なお、3連装4基12門の搭載については、せっかく、ヴィリブス・ウニーティス(テゲトフ)級より1門増えたのに、それを減らすのは理解が得られなかっただろうと思っております。
     もっとも、当時のイタリアの船渠や港湾に関しての基礎的な数値すら存じませんので、以上は推定でしかありませんが。
     
    hush

  4. すいません。もう書いてましたね。
    デスコン

  5. 305mm砲は調達が遅れていたようです。カヴールはデゥイリオに用意されていたものを使って、間に合わせたようです。
    デスコン

  6.  回答ありがとうございます

     船体を大型化できなかった理由については、まあ、そうだろうなと思っていました。よくある話なので。

     主砲配置については、より大口径の砲が欲しいのに、それが出来ないとなれば、門数を減らそうとは思えませんね。
    ナマケモノ

  7. あまり関係ないかも知れませんが、
    カヴールは連装にしても、トップヘビーだったので、ドゥイリオはバーベットの装甲を薄くすることにより改善したとのことです。
    デスコン


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