14 日本帝国陸軍の戦車って、なんであんなに小さいのですか?
アメリカのシャーマンやドイツのティーガーに比べたら、中戦車でも軽戦車並じゃないですか。
やはり、海軍に鉄をとられて鉄不足だったのですか?(^^;)
シュミッツ

  1.  戦闘兵器ですから、大きさはなるべく小さいほうが良いのです。大きくて良いことなんかありません。しかし大砲を旋回砲塔に積む場合、どうしても反動や操作の都合上、砲塔のリング径を大きくしないといけなくなります。だから大抵の戦車の車体は、砲塔のリングサイズに応じた幅になっており、砲塔のリングサイズは、搭載する大砲の性能に対応した程度になってるのです。
     日本の戦車は、あまり強烈な戦車砲を積むつもりで設計されていませんから、そのぶん砲塔も小さくてよく、そうなると車体幅も大きくする必要が無いのです。車内での居住性や操作性の関係から、武装が小さくてもある程度は大きくする必要はありますが、基本的には武装が小規模なら車体も小規模でよいのです。
     日本戦車の車体が小さいのは、他国の軽戦車並みの武装しかしてないからだと言っても良いでしょう。逆に言うと小さい車体では大きな武器を積むのは色々と大変だし、使い勝手が悪いのです。
    SUDO

  2. なるほど。SUDO様、ご回答ありがとうございます。
    では、何故戦車に大口径の大砲を積まなかったのでしょう?
    シュミッツ

  3. >2
     日本の主力中戦車たる九七式中戦車は、他国で言えばドイツの3号戦車とか、ソ連のBT戦車や、英国の愛称のつかないMK.1〜4あたりの巡航戦車と同時期の車両なんです。それらの戦車が37〜45mm砲だったことを思えば、57mm砲を搭載し、後には高初速47mmを積んでいますから、決して小口径弱武装でもありません。
     この1937年式戦車とその改良型を、他国では数世代先の強力な戦車の生産が行われてる頃まで使い続けてたので、相対的に弱武装の戦車になってしまったのです。
     日本でも武装の強力な戦車は開発してますが、太平洋の戦闘では、戦車なんかあまり重要な装備ではなかったので、生産もあまり行われなかったのです。
    SUDO

  4. なるほど。日本は戦車はあまり重要視してなかったのですね。
    SUDO様、ありがとうございました。
    シュミッツ

  5. 日本は航空に重点を置いたために戦車をあまり重要視しなかった、ということもありますし、結果的に、最終的には九七式中戦車の延長である一式中戦車の改良型に長砲身の75ミリ砲を積んだものを生産する計画にまで至っています。
    九七式・一式・三式中戦車系列は、車台の大きさがほとんど変化しないまま、
     57ミリ→47ミリ速射砲→75ミリ野砲→四式中戦車と同じ75ミリ戦車砲
    という搭載砲の変遷を辿っています。



  6. 諸氏が既に詳述されていますので、もうひとつだけ付け加えます。
    戦車は兵器ですから、予定戦場や輸送に制限がつきます。
    大正末期〜昭和初期に戦車の国産化が始まりますが、試作1号車(昭和2年6月完成)が18トンで仕上がったとき、参謀本部から「重すぎる」と指摘され、89式戦車で10トン弱で採用されます。
    この後、日本の戦車は、予定戦場の条件(=主に中国戦線の橋の強度、雨季の泥濘)、国内輸送の制限(狭軌軌道)、輸送船の制限(起重機や埠頭の設備)、渡河舟艇の加重制限等により、15トンの上限が課されます。
    この制限の中では、イ号、テケ車、ハ号、チハ車等は同時代の諸国戦車に比べて決して劣るものではありません。ところがT34の出現による諸国の急激な装甲/主砲の強化に工業力で追従できず、また、上記の制限の範囲内にては有効な対抗車が造れなかったという事情があります。
    日本は島国ですので、南方戦線には必ず海上輸送が必要で、これがネックになってしまったことが「小さい戦車」の一因です。また、歩兵支援を主目的とした運用で、M3級(12トン)の装甲(45〜15mm)でも対抗できず、反面、相手は37mmといえど対戦車砲を持っていたことが運用思想の差異を表しています。
    TOSHI!!

  7. >6
     九七式戦車を作る頃の陸軍の揚陸用機材は20〜30tに対応してます。
     戦車よりも大きく重い装甲艇を船舶のデリックから海面に降ろせますし、門橋や艀も30t級に対応してます。専門揚陸艦として建造された神州丸には50tデリックがありますし、いわゆる戦車揚陸艦(後のSSや二等輸送艦型)の原型となる特大汽艇は昭和10年ごろから開発に着手しており、15年にはSS一番船になる咬龍が起工してます。つまり海路は戦車のサイズ制限には事実上無関係ですし、日本の鉄道の限界以内でもシャーマン戦車は納まります。
     また大陸での作戦を前提とした四式戦車や五式戦車は相応に大きく重いですし、九七式戦車の開発時では日華事変は起きてませんから、中国の泥濘やクリークを問題とする理由も絶対的なものではありません。
     またM3軽戦車と同時期の戦車は新砲塔チハや九五式軽戦車の後期製造型ですので、搭載砲は「対戦車砲」同系のものです。両軍の思想に大きな隔たりはありません。
    SUDO


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