96 皆様度々申し訳ありません。
模型を作っていて疑問に思ったのですが、第二次大戦期の戦車では車体正面がくの字になっているものが多く見受けられたと思います
例 虎2型、Tー34等
ですが現在のMBTを見ていますと\のような状態になっているように思われます。
例 90式、Mー1、ルクレール等
Tー55やTー72等の例外はありますが、西側の第三世代と呼ばれるものは概ね\のようになっています。

これは設計思想が何らかの進化したからなのでしょうか?
どなたか宜しくお願い致します
バケツ

  1.  戦車で車体正面の下部が\であるのが多いのは、障害物を乗り越えるために適した形状であるためで、これは現在でも続いております。
     車体正面の上部の形状については、初期の頃は垂直に切り立ったものが多かったのですが、対戦車砲の性能向上に伴ない防御力への要求が高まり、装甲厚の増加させる他、斜めに装甲を張る等、弾を跳弾させてそらしやすくする形状を採用する等の設計が取り入れられる様になります。この斜めに装甲を配置した形状を取り入れたので有名なのがT-34であり、これはドイツの戦車(パンサーやタイガー2型等)の設計にも影響を与え、さらにその設計思想は、戦後の戦車設計にも影響を与えて続け、西側第2世代の戦車でも車体正面がくの字になっているものが多く見受けられる様になりました。
     ところが、APFSDS弾が使用される様になると、極めて浅い角度で装甲に当たらない限り跳ね返せなくなりました。
     APFSDS弾への対抗として、西側第3世代の戦車では、複合装甲を採用した他、車体正面の上部の装甲を水平に近い角度に装甲を設置するものが多くなりました。西側第3世代の戦車に車体正面が\であるのが多いのはこのためです。
    アッサム

  2. 主砲の大型化に伴い砲塔が車体に比べて大型化する傾向にある一方、車高をなるべく抑えたいという要請の下では、車体全面の形状はM1や90式のような方式にならざるを得ないと思いますが。
    それから、T-34以前、ソ連のBT戦車、さらにその原型のクリスティ戦車で、既に車体上面に垂直面が無く、砲塔下部まで斜面で構成されている車体形状が用いられていますね。あと、米国等で大量に用いられたM4シャーマンの車体前面形状については、検討されないのでしょうか?
    アリエフ

  3. 傾斜装甲はT34の遠い先祖であるクリスティー戦車時代から日本も含めた各国で採用されていますが、質問にあるような<型の車体前部形状はフロントホイールを駆動輪としない設計によって可能になったとも言えます(パンターはエンジンの背丈があるので<型にできた訳ですが)。
    けれども上部前面を一枚の傾斜装甲で覆う形態で成功した代表的戦車がT34であることは否定できません。

    M4戦車の車体はT34より後から設計されています。その原型であるM3の車体前面上部は一枚板ではありませんし、その流れを汲むM4ですら変速機覆があるため厳密には一枚板にはなっていません。綺麗に整えられてはいますが、前面形状は<型ではありませんからM4を引き合いに出す意味はあまり無いでしょう。米軍主力戦車もリアホイールを駆動輪としてから<型形状を採用できるようになっています。


    また車高低減を目指せば必然的にM1や90式のようになる、かと言えばそんなことはありません。
    ソ連軍戦車は車体前面を<型形態のままT55からT64までの間に大幅に下げています。現用戦車の中で車高の低い部類に入るシリーズが<型形状なのですから、車高と単純に結びつける訳には行かないでしょう。
    1.の方のご説明でまずは十分と思います。



    BUN

  4. レス3 >ソ連軍戦車は車体前面を<型形態のままT55からT64までの間に大幅に下げています・・
    砲塔含めたT55の車高が2.35m、T64のそれが2.2m。わずか15pの差。手元の本のほぼ同縮尺と見られる両車の側面図で比較してみましたが、車体部分の高さはほとんど変わりません。異なるのは砲塔の高さですね。T64の方が車体の高さに比べ砲塔の高さが比較的小さいわけで。
    (参考)T-55(側面図イラスト)
    http://en.wikipedia.org/wiki/File:T-55_schematic.png
    T-64(側面図)
    http://www.t-64.de/frame-start.htm

     そもそも、戦車の車体前面は側面からみると楔形ないしそれに近い形状をしているわけであり、楔形の上面の傾斜角度が大きいか、小さいかという差です。比較的、傾斜角度が大きいのを「<型」とするのであれば、米軍の場合、「<型」をしていたM60が車高3.3mであったのに対し、M1A1は2.84m、約90cmも下がっており、砲塔高が下がったこともありますが、車体高も下がっていて、しかも「<型」ではない形状となっております。(設計思想が根本的に変化していることもありますが)
     ま、M1や90式のスタイルが第三世代戦車の主流である一方で、それとは異なる設計思想にあるソ連のT64、72以後の戦車、あるいはイスラエルのメルカバですと、比較的、車体に比べ砲塔が小型にできており、楔形の上面の傾斜角度が大きかったりするわけですが。

    レス1 >この斜めに装甲を配置した形状を取り入れたので有名なのがT-34であり、これはドイツの戦車(パンサーやタイガー2型等)の設計にも影響を与え・・
     レス3の方が、パンターへの影響について次のように記載しておりますので、参考までに上げておきます。もちろん、傾斜装甲について影響が0だったと断言されているわけではありませんが。
    http://www.warbirds.jp/ansq/3/C2000259.html
    Ans&Q過去ログ259 レス8
    アリエフ

  5. M4を検討しなくて全然構わない、ということは納得されたと思います。

    競合案は別として結局のところ採用されたパンターはマイバッハの大型大馬力ガソリンエンジン搭載でトランスアクセル、フロントドライブ、複合転輪の重戦車ですが、これらの基本的な要素はT34ではなくティーガーの発想から受け継がれているのは明白ですよね。
    けれども1.の方は車体前面の形状の話をされているのですから筋は通りますね。

    車体の前面形状で車高が下がる訳でも無いことも落ち着いて考えれば納得できると思います。「車高を下げようとしたらあの形状しかない」なんてこともありません。車体の高さを決める要因は前面装甲の形状ではなく、形状の変化の理由はアリエフさんの仰る通り設計に関わる考え方が(1.の方のご説明の通りに装甲の進化を主な要因として)変わったからです。新しい装甲材質やHEAT弾対策を求めず昔ながらの傾斜装甲に依存すれば<型でも構わないのですから。
    BUN

  6. レス5 ま、書き方が良くなかったのかもしれませんが、レス2では、西側第三世代の戦車の設計思想の下では、車体前面形状があのような方式になるのが一応、合理的であるとする趣旨で書いたものです。

    それからレス1の方へ、APSFDS弾について「極めて浅い角度で装甲に当たらない限り跳ね返せなくなりました」よって「車体正面の上部の装甲を水平に近い角度に装甲を設置するものが多くなりました」とされてますが、車体正面同様、最も狙われやすい部分である砲塔前面について、レオパルド2初期型及び90式のように、垂直面で構成されているものがあることはどのように考えたらよろしいのでしょうか?まさか、レオパルド2A5で砲塔前面形状が楔形になったのが避弾経始のためだとする説に立っているわけではないでしょうね・・?
    アリエフ

  7. そうしたお話は誰もしていないと思います。
    BUN

  8. >6
    レオポルド2初期型や90式の場合、APSFDS弾に対する砲塔の防御は、避弾径始ではなく複合装甲に依存しております。

    ちなみに、レオポルド2A5以降の楔形装甲は、楔形のスペースドアーマーであり、HEAT弾(対戦車ミサイルや対戦車ロケット弾による攻撃を想定しているものと思われる。)に対する防御を強化するために設けられたと言われております。

    *砲塔の形状が垂直である戦車があることの反論に備えて、私が「1.」でした回答に、「複合装甲を採用した他」との一文を記載した次第です。
     もし、APSFDS弾に対する砲塔の防御を避弾径始を正面だけでもやるとすれば、横から見たら高さの低く底辺の長い直角三角形に近い様な形状になり、これを西側第3世代の戦車のターレットに合わせた大きさで、かつ砲塔の旋廻に支障が無い様にこれを作った場合、砲塔内部の空間スペースに人や砲弾、照準装置等が入らなくなるものと思われます。

    アッサム

  9. アリエフさんって見当違いな説明に悦にって本当に変な方ですね
    ぺぺぺっふ


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