23 お世話になります。
1・長弓や弩が遠距離攻撃手段だったときから鉄砲黎明期前後の塹壕の有効性について教えてください。
  弓が主力である時代に塹壕等の近代的な陣地は有効になりうるのでしょうか。
2・ナポレオンは会戦において大砲の大量活用により勝利を収めたといわれていますが、
  大食いで機動性も劣る大砲でしかも炸裂弾でないのに効果があったのでしょうか。
3・一斉射撃の有効性について教えてください。各個の射撃より時間当たりの投射量は劣るでしょうし、
  一番遅い射手に合わせなければいけないことは火縄銃やフリントロック式の前装銃では致命的に思えるのですが。
春眩燕

  1. 「2と3について」
    火器が弓系に対して有利(現在は欠点とされることが多いが)な点として「音」があります。
    例え当らなくても轟音をたて、万が一にでも当れば重傷必死な武器があればある程度心理的には有効なわけです。

    それ以外の点についても色々あるのでしょうが、私が知っているのはここまでです。
    ホーク

  2. 1:近代以前の陸戦は白兵戦が主体ですから、火砲や機関銃といった阻止火力が不十分な時代では、機動できない塹壕に篭った場合、大兵力の前に一気に飲み込まれてしまうでしょう。
     壁や衝立と違って、白兵に接触させる可能性はかなり高いわけですから。
    2:実弾(すだま)は銃より長い射程から、地面を跳ね転がりながら飛んでくるのです。また散弾は銃と同程度の射程しかありませんが、大口径散弾銃ですから一撃でとんでもないことになります。こうした火力の前には歩兵は分散しないとあっという間に壊滅してしまいます。しかし分散したら敵の歩兵や騎兵の前に殺戮されます。
    3:単純なスペックでいうなら一斉射撃は個別よりも射撃頻度は低下します。
     しかし、銃の射程は短く、何十秒かしたら殴りこんでくるであろう吶喊する集団への射撃機会(時間)は限られ、火縄銃のような元々遅い射撃速度の銃では二度撃てる保障はありません。
     また射手の技量は全く当てにできません。指揮官が距離と目標集団を指示しないと、あさっての方向や距離にイイカゲンに撃ってるだけになってしまいやすいのです(兵は戦場をある程度広く眺めるといった精神の余裕ももてないことが多い)
     また機動や陣形変更といった各種の指示も頻繁におこなれるのですから、てんでばらばらに射撃してたら、そういった指示が伝わりにくくなったり、運動が遅れたりもおきます。
    SUDO

  3. 1.「塹壕」を穴を掘って身を潜める施設と限定して考えるなら、攻城戦以外ではあまり使用されなかったかと思います。ただしもうすこし意味を広げて、土塁や空堀、柵や杭などによる野戦築城全般の意味で捉えるなら、クレシーの戦いで長弓隊の全面につくられた堀や杭などの例はあります。(長篠の馬防柵のようなものですね)
     鉄砲黎明期とはいえないかもしれませんが、三十年戦争のリュッツェエンの戦いで、ワレンシュタインは自軍の最前線に塹壕をつくり銃兵を配置しています。
     また日本でも戦国末期の賤ヶ岳の陣や小牧の陣では土塁や空堀が盛んにつくられています。

     ただし、この時代の火器はSUDOさんもおっしゃっているように近代火器のような阻止能力を持っていませんし、また戦意の低い兵士を遮蔽物の影に配置してしまうと命令しても突撃しないという危険もあり、そう一般的に使用されるものではありませんでした。むしろ戦国末期の日本の方が野戦築城に熱心に見えます。これは兵士の戦意の差や、集団戦法のヨーロッパと個人戦闘中心の日本のちがいなどが原因かもしれません。

    3.一斉射撃には心理的効果もあります。前進する大部隊の兵士が一人ずつ倒れていっても部隊の士気に与える影響はあまり大きくありませんが、数十人が一斉に倒れれば部隊全体の士気に与える影響は大きくなります。つまり集中的に損害を与える事によってトータルでは少ない損害をより重大なものに見せるわけです。(不謹慎なたとえになるかも知れませんが1年間に自動車事故で7000人が死んでも誰もあまり気にしないのに、ジャンボ機が落ちて500人死ぬと大騒ぎするようなものです。)
    カンタニャック

  4. 有難うございます。一斉射撃は音以外に損害の集中による心理効果や、指揮の徹底、運用の柔軟性は盲点でした。
    追加質問で恐縮なのですが、

    1・戦いが陣地構築主義に移行してきた時期に、前衛部隊がある地域に進出したとして、
     彼らが防御陣地を組むとき、塹壕や障害を前面に大して設置するのでしょうか。それとも軽要塞的な全周防禦を組むのでしょうか?
    2・後の時代第一次大戦の一帯陣地などで、敵が正直に陣地を作ろうとせずこちらの側面への機動を意図するような場合、どのように対応したのでしょう?

    春眩燕

  5. > 3 補遺
    16世紀イタリアでのチェリニョーラの戦いやラヴェンナの戦いでも塹壕は活用されています。ただし、これらの「塹壕」は敵騎兵や槍兵の行動を妨害することを目的とした設備(日本的に言えば空堀)で、遮蔽物としての機能は重視されていないように思えます。

    > 4.1 野戦築城がおこなえる時間と部隊の規模、および指揮官の攻撃意思によるということになるのではないでしょうか。双方の部隊がすみやかに戦闘を開始するような場合ですと、大規模な野戦築城をおこなう時間はありませんが、両軍のにらみ合いが続くと、野戦が陣地戦にそして攻城戦になってしまうということは、火器がかなり発達した16世紀ヨーロッパや日本(日本ですと16世紀末)の戦いではしばしば見られました。
    カンタニャック

  6. ホーク様、SUDO様、カンタニャック様、どうもありがとうございました。
    春眩燕


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