57 アジ歴の「東海軍管区航空兵器現状表」という終戦時の兵器引渡しに関する資料に機関砲ホ204 118門、ホ155 659門という数字が出てきます。
旋回機関砲という項目だったり、後者の口径が37mmだったりというのは誤記と思われますが、試作程度と考えていたものが、かなり纏まった数字で現れているのには驚きました。
この程度の数量は製造されていたのでしょうか。
その場合、実際に搭載されるべき飛行機との員数が合わないのですが、搭載計画の無い機種への転用の可能性もあるのでしょうか。
chosan

  1.  学研「陸海軍試作戦闘機」「四式戦闘機疾風」によると、ホ一五五は昭和19年夏頃から量産に入り、終戦までに約1,200門(約800門の可能性もあるようです)生産されたと推定されています。
     ホ一五五とほぼ同時に量産に入り、僅かしか実戦投入例のない海軍の五式30oが終戦までに約2,000挺生産された(不具合だらけですが)ことを考えれば、ホ一五五の生産数は生産方針が混乱したことを考えればとくにおかしくはなく、妥当と言えるのではないでしょうか。
     ホ二〇四の生産数は寡聞にして知らないのですが、試作銃の完成時期がホ一五五とあまり変わらず、昭和19年2月に審査が終了したとされ、昭和19年末頃にホ一五五より生産優先度が高くなっていた時期があったようですから、やはりさほどおかしい数字とは思えません。
    T216

  2. T216さま

    ご教示ありがとうございます。
    この程度の数量が存在すること自体は不思議ではないと言うことですね。
    例えばホ一五五はキ83,84,87,94への搭載が予定されていましたが、機体自体が試作止まり、四式戦の場合も試験搭載だったとのことです。
    と言うことはこれらの機関砲はどのような機種への搭載が考慮されたのでしょうか。
    または、大戦末期の状況下、取敢えず製造だけしたということでしょうか。
    chosan

  3.  昭和19年中に生産されたホ一五五はキ八四丙用とされるII型が多く、キ八三やキ九四用とされるI型は同年中に生産開始されたものの、少数生産されたところでキ二〇四に生産転換(暫くして再びI型生産に変更)されたそうで、また生産機の初期故障の対策中に終戦を迎えたそうです。
     つまり「当初はキ八四丙用のホ一五五-IIとキ四六防空型・キ一〇二甲用のホ二〇四を優先し、新鋭機用のホ一五五-Iは後回し」と言う方針だったが、ホ一五五-IIは初期故障のため実戦投入出来ず(キ八四丙が試作止まりだったのはこのためでしょう)、ホ二〇四は昭和19年末に三菱発動機工場の壊滅により、ハ一一二-II(キ四六防空型・キ一〇二甲の発動機ですね)の供給数が激減したことから、「ホ二〇四は止めてホ一五五-Iに変更(ホ一五五-IIはそのまま)、生産しつつ初期故障対策を進める」となったのではないでしょうか。
    T216

  4. T216さま

    詳細なご指導ありがとうございます。
    このクラスの機銃は陸海軍ともにかなりの数量を製造したはいいが、結局実用化というところまでは行かなかったと考えてよろしいですね。
    特に陸軍の場合、20mm級ですら不具合が多っかたのですから、更に上のクラスになるとかなり苦しい状況だったのでしょうか。

    chosan

  5.  ホ五の不調は量産図面が確定する前に量産に着手し、工場の実情に合わせて生産させたため、生産工場毎に異なる不具合が発生するという悲惨な事態に陥り、末期には弾薬の不良がこれに加わったことが原因の様で、機関砲の設計や構造に致命的な欠陥があったためではないようです。
     尤もホ五の開発に加わっていた方は「ホ五は構造にやや無理があった」と回想されていますので、基本的にホ五の拡大型であるホ一五五がホ五より更に無理がかかりがちであったのは間違いないでしょう。
     また、僅か数年の内(しかも戦時)に「ホ一〇三→ホ五→ホ一五五」と三回も主力機関砲が変遷したことは、開発・量産・配備に必要とされる人員・資材・工場にかなりの負担をかけたのではないかと思います(海軍は九九式一号→九九式二号+三式→五式ですから、陸軍と五十歩百歩ですね)。
     「設計図面が確定しないうちに量産を強行したため、量産銃に不調が続出」という事態は海軍の九九式20o四型や五式30oでも起きており(九九式20o四型は何とか解決して生産に漕ぎ着けていますが)、陸海軍ともB-29を始めとする米重爆の対処に苦慮していたということではないかと思います。
     またドイツでも様々な大口径機関砲の開発を試みたもののほとんどモノになっていませんし、同じ頃に米軍でも20oクラスではイスパノのライセンス生産やMG151/20のコピーでいろいろ失敗していますので、戦時における機銃開発は難しいということもあると思います。
    T216

  6. T216さま

    戦争末期の厳しい状況がよく分かりました。
    お示しいただいた独米の例からも機銃の開発と言うのは素人が考える以上に困難を伴うものですね。
    懇切なご教示ありがとうございました。
    chosan


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