174 戦国時代の武将は立派な鎧を着ていますが、足下は雑兵と同じく草鞋です。
鎌倉時代の武将は毛皮の靴らしきものを履いているのに、その後、なぜ靴は発達しなかったのでしょうか。
ちなみに、ほぼ同時代のヨーロッパの武将は立派な長靴を履いています。(例:「ブレダの開城」ベラスケス)
スティレット

  1. 草履、ワラジ等は滑り止めが目的のものです、質問者は靴の用途として防寒、保護を主眼である
    ようなイメージをもたれたいるかもしれません。
    それと戦国時代というなら草履というより足半(あしなか)が多かったとおもいます、足半は草鞋を半分にしたようなもので駆け足時の滑り止め専用と言った感じです。
    ちなみに今の人が靴のイメージでワラジをはくと足指が外に出ているので違和感があるみたいですがこれはスパイクだと説明すれば納得されます。(防寒、保護等は雪靴、脚絆など別アイテムで対処しています)
    tune

  2.  中世初期の騎馬兵が貫や毛沓などの「靴」を使用していたのが、次第に草鞋+革足袋に変わっていったのは、下馬戦闘の一般化の影響が多いように思えます。

     草鞋には、足を自由に動かせ踏ん張りが効くといったメリットがあり、下馬して武具を扱う場合には、これらの点が重視されたのではないでしょうか。また、乗馬時も靴よりも草鞋の方が鐙への踏ん張りが効くという話もあります。

    カンタニャック

  3. tune 様
    「蒙古襲来絵詞」絵巻に足半を履いた武士(従者?)が登場しますが、戦国時代では、縄で足首に縛るワラジを履いていると思っていました。足半だと戦闘中に脱げやすい気もしますが、大丈夫だったのでしょうか。

    カンタニャック 様
    確かに靴よりもワラジの方が合理的で動きやすいと思います。
    司馬遼太郎によると、西南戦争の西郷隆盛や日露戦争の川村景明鴨緑江軍司令官は戦場でワラジ履きだったそうですから。
    特に昔の靴は履き心地が悪く、外反母趾等の足の障害は当たり前だったそうですから、開放的なワラジの方が足のためにも良いと思います。
    ただ、問題は見栄えです。
    服装が身分を示す封建社会で、総大将と雑兵の履き物が同じというのは不思議に思うのですが。
    昔の日本人は、米作りが最も大事だったから、ワラも重視されたのでしょうか。
    ただ、問題は見栄えです。
    身分制度
    スティレット

  4. 名のある武士はワラジの下に革足袋を履いています。これは高価ですから雑兵は履かないでしょうね。
    昔不沈艦

  5. >3
    >見栄え
     大変興味深いご指摘です。
     たしかに軍人が見栄えのする格好をすることは、部隊の士気に影響を与えますし、特に指揮官クラスである騎馬武者の格好は、単純な合理性だけで考えるべきでないというのはおっしゃる通りでしょう。
     問題は、室町期の武士達が、既存の沓を「見栄えがする」と思ったかどうかです。一般論としては沓のほうが草鞋より見栄えがすることは確かでしょうが、別の推論も可能でしょう。
     以下、あくまで一つの推論ですが。

     この時代の鎧は、重厚で防御力重視の大鎧から、軽快で機動力な当世具足に移り変わりつつあります。つまり防御力重視ではなく機動性重視が「トレンド」だったわけで、新しく軽快な草鞋をつかう騎馬武者のほうが、平安時代以来の重厚ではあるが古くさい貫などの沓系の履物を使う騎馬武者よりも、よりモダンでスマートと考えられた可能性は否定できません。
     南蛮人渡来語時には、ヨーロッパ式の靴も伝えられたでしょうが、当時はまだ幕末期のような圧倒的な文化の差はありませんから、南蛮兜や南蛮具足のような合理性のあるものは一定の範囲で受容されたが、靴のような日本人にはあまりメリットが感じられないものは普及しなかったということでしょう。このあたり、洋式軍備をフルセットで受容しようとして、「靴」と悪戦苦闘する幕末明治の日本とは、状況は大きく違うと考えるべきでしょう。
    カンタニャック

  6. 昔不沈艦 様
    革足袋は単なる革製の足袋だと思っていましたが、ググってみると、鹿革や猿革を使った高級品だったようですね。これなら武将にふさわしいと思います。

    カンタニャック 様
    私には毛皮=高級、ワラ=安物という先入観がありました。
    戦国時代の武士にとって、機能的で高級感もある革足袋+草鞋が「クール」に思えたのかも知れませんね。
    スティレット


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