603 旧陸軍の馬具制式化前、どのような議論があったのか、ご存じでしたらお教えください。
1 頭ラクとハミについて。
a 駄馬具と野繋は和式のハミですが、いずれも小勒で代用可能で、そのほうが備品管理上も簡単に思えます。和式のハミを用いる理由があったのでしょうか? 
たとえば、民間からの買い上げ時に、売り主が晴れ舞台だからと凝った頭ラクを付けて出していた、といった事情があって、これ幸いと制式かしたりはしていませんでしょうか? 野繋勒も駄馬勒も一部四連で、通常、民間使用のモクシ・タテゴより凝った作りですし・・・
b 同じ和式のハミを用いるのにもかかわらず、駄馬勒(顎下で交錯)と野繋勒(鼻紐と喉紐をおとがい紐で連結)とで構造が違う理由は何でしょうか?
c 4種あるハミそれぞれについて、サイズバリエーションはあったのか、あったとしたら上下限と段階はどうなっていたのでしょうか? 規定の体高と当時の写真からみると、11〜14.5cmぐらいは必要だったように思えるのですが・・・
d 融通が利く鎖でハミ代用としなかった理由はなにかあるのでしょうか?
e 驂馬ハミの意図する効果は何でしょうか? 口中に入る防止にしては、ハミ枝の向きが通常のチークビットと90度異なりますし、口中に入る防止に役立つ鼻革も省かれています。ハミ枝に手綱取り付けの穴・スリットがなく、テコの原理に繋がらず、あのハミ枝は機能していないように見えるのです。

2 首輪について
砲兵輓馬具、輜重輓馬具ともすべて胸ガイ式です。胸ガイ式は調節可能範囲が広く、馬匹改良中で馬格統一が難しい場合に有利であること、また、やや安価である利点はあったでしょう。他方で、肝心の挽曳力において、首輪式より劣ります。フィールドキッチン等みるかぎりWW2独軍も胸ガイ式だったようですが、1922年から独軍が採用したアッヘンバッハ式では両方を認めていたようです。
 日本の民間における馬耕・馬搬で使われていたことからもわかるように野鍛冶レベルで製作可能であって、制式化するか、部隊製鉄所で作らせるかはともかく、供給困難とも思えません。首輪は多少コスト高とされますが、陸軍制式の輓馬具の胸ガイつり革がやたら豪華だったりするのを見ると、大差があるとも思えません。
 そして、ソ軍では後馬だけ首輪にしていたりします。悪路での輓曳力が増すことは相違ありません。
 日本陸軍は、どういう利得検討によって、首輪式を採用しなかったのでしょうか?


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