607 普仏戦争〜WW1時期の馬匹牽引の軽砲、および野戦重砲について、典型的にはどのような段取りで放列を敷いたのか、また、移動準備をしたのか、ことに馬の待機場所と、どうにかして繋いでいたのか、騎兵の徒歩戦闘のように手馬兵を置いていたか等の方法を中心にお教えください。

敵の砲兵・歩兵と近距離で直接射撃しあっている軽砲の場合、近くに馬を置いていたら人員や砲の損害軽微でも馬がやられて機動できなくなりそうですし、かといって後方においていたら、戦局が変化した後に、馬を遠くまで連れに行く必要が生じ、移動開始が遅れるように思われます。

野戦重砲を集中して運用しようとすれば、大量の輓馬が必要となりますが、砲の近くに置いていたら、少なくともWW1では、敵の航空偵察に対して攻撃正面や攻撃時期を教えてしまうように思われます。かといって大量の馬を収容でき、対空擬装可能な陣地を作るのもまた大変そうですし、それ自体が手がかりを与えそうです。
かといって馬を後方に下げたら、移動開始が遅れることになります。

だいたいどんな感じで、どのぐらいの距離、または時間距離に置いていたのでしょうか。
馬を連れに行くの砲撃終了後、クルー全員または相当数で行くものだったのか、射撃を継続しつつクルーの中の少数を割いて行うものだったのでしょうか。

  1. すくなくとも大戰時(第一次)の野戰砲兵は敵砲兵の射程距離外に放列を敷いて射撃していたと思います。彼我双方の砲兵の間に位置する塹壕線破壊が主任務で砲兵どうしの砲兵決戰は意圖していなかったので、常時機動する必要が無く馬匹もすぐ呼んでこられる程度の後方に馬卒附で控置してあったと思われます。塹壕戰が突破され戰線に穴があいた時はさすがの砲兵隊も急ぎ陣地變換(撤収)をしないといけなかったのですが、第一線から相當の距離がある(最低4〜5粁以上)ので最速の機動部隊が騎兵であった當時では安全に後退する時間的な餘裕が十分にあった筈です。戰線塹壕戰に於ける近距離での敵歩兵突撃阻止砲撃は記録映畫などを見ると塹壕内の擲彈筒部隊が多く使用されていたように見受けられます。
    戰砲隊が陣地進入地點に至れば、そこで繋駕を解き馬匹は馭者馬具附で何時でも繋駕可能の状態で後方に控置し、小隊長の命令を受けて射撃諸元を定め砲側に残置した前車の彈藥を以て射撃を開始という段取ですが、膠着状態の塹壕戰に於ける砲兵の戰闘はかなり時間的に餘裕があるので布陣が長時日に及ぶ時は馬を繋ぐ杭なども可能な限り施され、また後方に随伴してくる段列からの補給を受けるべく集積處を設けたものと思われます。
    https://youtu.be/R0X7CfNBsq4
    これは當時の英軍騎砲兵隊の演習風景ですが、細部をよく表しています。尤も騎砲兵なので砲手は砲車前車に乗らず全員乗馬本分が原則です。(この演習では野砲兵なみに徒歩になったり砲車に乗ったりしていますw)

    あるめ

  2. ありがとうございます。
    動画の情報量の多さを実感しました。



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