642  黎明期の鋳鉄砲について質問です。

 英国が最初に鋳鉄砲の実用化に成功し、その他の欧州各国は遅れて実用化しています。
 この理由について…英国以外の国では鋳鉄のリンの含有量が多かったため、砲が脆くなりトウ発事故が発生しやすかった…という説を最近目にしました。
 この説の裏付けとなるような他の文献はまだ確認できていませんが、仮にこの説が正しいとして…

1)リンの含有量の多い鋳鉄でも砲身の肉厚を上げる等して対策はできないものですか?

2)鋳鉄砲を実用化するために、当時どのように不純物を除去していったのですか?

3)私が読んだ記事ではリンは鉄鉱石に含まれているということでしたが、もしかして砲の鋳造(ロストワックス)につかったワックスにリンが含まれていて…という可能性はないでしょうか?
おうる

  1.  新井宏「鋳鉄砲の歴史と技術問題」 https://www.jstage.jst.go.jp/article/jfes/76/7/76_599/_pdf の3、鋳鉄砲の実用化の中で1543年にイギリスが鋳造砲の実用化に成功させた原因は、逆に、原料であるサセックス鉱がP(燐)含有の褐鉄鉱であったからという説を紹介しておられます。
     もっとも、「鋳鉄の専門家はどのように考えられるのだろうか」とされておられますので、筆者はそちらの専門家ではないようです(多分、歴史考古学者)。そして、もちろん、私自身がなんら専門知識を持っていないので、これが正しいかどうかを論じるようなことはできませんが、御参考までに。
     
    hush

  2. >>1 hushさん
    著者の方はステンレスを扱っていた日本金属工業のOBのようですので、鉄についての知識は十分お持ちかもしれませんね。それがそのような表現になったのは、「今日的な常識には反するが、、、」ということかと思います。

    「大砲と帆船」という翻訳本によると、
    1)「鋳型を作るためのより優れたより安価な方法を発明した」という解釈
    2)成功した砲は「砲身が長く口径が小さかった」という解釈
    そして、Wertime氏の著書(1962)による
    3)「原料であるサセックス鉱がP(燐)含有の褐鉄鉱であった」からという説
    が紹介されています。

    2)は1)の補足みたいですが、砲の設計や鋳造方案が優れていたんだろうなという想像でしょう。
    3)についてはどうでしょうか。ヨーロッパの鉄鉱石は燐分が多いという情報も見かけますが、時代々々の製鉄法によって燐分の多いものが好まれたり/少ないものが好まれたりしたようなので、「今日的な意味の鉄鉱石」と「その時代の使える鉄鉱石」は似て否なるもののようなんですね。ひとつ言えることは、P(燐)の発見されたのが1669年とされていることから、当時は鉄鉱石中の燐分の量によって原材料を選んだはずはないだろうということです。Sussex鋼を用いた砲で成功したからといって、Sussex鋼が特別だったとは限りません。


    ただ理屈は何にでも付けられると申しますか、燐の含有が有利に働くことも有り得るとも思います。当時の「失敗した」鋳鉄砲の原因が、割れによるものなのか/巣によるものなのか等が分からないので何とも言えないんですが、鋳込温度が(燐分の含有によって)低くなることは鉄の収縮(液体時と固体時の体積差)が小さくなることで有利だとも言えます。その他は「燐は有害」という記述が多いですね。もっとも、高温が出せる現在と/木炭で高温が出せない当時では問題点も変わってくるんでしょう。

    当時の鋳造方案は見つからないんですが、こんな感じで大砲を作ってたんですかね? ↓は6つの砲を鋳造しているイメージかと思います。
    http://www.wrexham.gov.uk/english/heritage/bersham_ironworks/boring_casting_cannon.htm
    日本の大砲と西洋の大砲では砲尾の様式が違うようですが、日本では砲を縦にして鋳込んでいたようです。押し湯の記述からして、砲の先が上/尾が下かと思います。

    まあ何にしても、当時の失敗した砲の分析(材質や鋳造方案)ができないと中々答えはでないでしょう。ちなみにロストワックスで砲の鋳造はしていないと思います。

    太助

  3. >2
     フォロー多謝。
     イギリスのみが鉄製鋳造砲の製造に成功し、そのために、同国が輸出により多くの富を得たが、その理由については定説がないというのは、多少は調べましたので存じていました。と同時に、Wartimeの説が常識に反したものであろうということも感じておりました。というのは、燐、鋳鉄で調べると、燐と鉄が反応して作られるステダイトは、鋳物に巣を作りやすく、もろくすると真っ先に出てくるからです。ただ、この当時と、産業革命以降の鋳造とは温度が随分と異なりますので、仰られるようなことはありえたと思っております。
     理由の2)を拝見していて、1588年のアルマダ海戦でイギリス側が使用していたのがカルバリン砲だったということを思い出しました。この砲はスペイン側が使用していたキャノン砲より口径が小さく、小型軽量だったからです。そして、この砲は鋳鉄製のものがあったと書かれています。
     
    hush

  4. >>3
    さすがhushさん、分かってらっしゃる。

    鉄の湯の温度をみると
    ・1)木炭利用の当時は湯温が低かった。
    →2)石炭を利用するようになって湯温が上がった。
    →3)鉄鉱石中の燐をも燃焼に使うようになって湯温は更に上がった。
    →4)現代は鋳造方法や環境問題の影響で脱燐をするようになった。湯温は厳密管理。
    といった所でしょうか?

    また
    2)の時代は鉄鉱石中の燐を嫌がったようです。
    3)の時代は逆に、鉄鉱石中の燐を大歓迎。
    4)の時代はまた逆転して、鉄鉱石中の燐を嫌う。
    最終製品中の燐は2)3)4)とも×です。

    1)の時代がどうだったのか気になりますね(笑)

    ちなみに1)の時代の鋳鉄砲は、青銅砲に比べて重く/事故多発し、しかし価格は1/3〜1/4だったそうです。
    今日的な燐の悪影響の問題を解決する以前の段階かと思いますが、そこに燐が有益に働いていたとすれば、何かワクワクしますね。

    最期に細かいことですが、
    「The coming of the age of steel」の著者はWertimeさんだと思います(>>1の著書にはWartimeと書いてありますが)。↓その他を確認頂けると助かります。
    http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I065017843-00

    小生の間違いも指摘すると
    ×似て否なる
    ○似て非なる
    ですかね。失礼しました。


    太助

  5. 回答ありがとうございます。

    ちなみに私の見た論文はこちらです
    ttps://www.jstage.jst.go.jp/article/jfes/76/7/76_599/_pdf

    リンの含有量が多い/少ないは私が勘違いして真逆に記憶していたようです。失礼しました。


    >>2
    >ちなみにロストワックスで砲の鋳造はしていないと思います。

    青銅砲ではロストワックス法が使用されていたようですが、ロストワックスで砲の鋳造はしていないというのは、鋳鉄砲に限った話ですか?
    おうる

  6. >4
     戦時さんではないのですね。The coming of the age of steel、Wartimeでヒットしたので、こちらが正しいのだと信じていました。失礼しました。
    >5
     あら、それはそれは。しかし、それは、私がよくやる間違いですね。
     
    hush

  7. 鋳鉄ではなく鋼鉄製造時の脱炭素の話になりますが、2について「初期の転炉は転炉用の頑丈な耐熱煉瓦が石灰と反応するのでリンを除去できなかった」とあるので、融けているうちに石灰を投入すればスラグになって除去できるようです。

    もう一つ重要な点として、転炉の発明者のベッセマーはイギリス人で、上記の欠点に気がつかずに完成させてしまった(=実験段階で問題にならなかった)のを見ると、当時のイギリスではリンの少ない鉄鉱石の入手が容易だったようです。
    (それまで行われていたパドル法や、転炉と同時期に生まれた平炉は稼働部位がないので耐熱煉瓦が強度は落ちても石灰と反応しないものが使えたのでこっちを使えばリンの含有を気にせず鋼が出来たが、両方とも転炉に比べると酸素との接触が遅く生産性が劣る。)


    ホーク


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