665 旧日本陸軍の駄載具と運用についてお尋ねします。

各年式あるようですが、誰が、何を参考に(仏/独陸軍駄馬具? 日本の荷鞍? どの地方?)、どういう意図を保って設計したのか。
具体的な構造上の工夫は? (伝統的な荷鞍の背当てに比して鞍辱+鞍下毛布は遙かに薄いが、たとえば前後の穹木中央に蝶番あって調整できたりすることで補っているのか)?
http://blogs.yahoo.co.jp/kisopony/59703284.html
のかたが触れている明治21年の資料の正式名と所蔵は?
(国会図書館デジタルライブラリーで「駄馬具」検索だと、「輜重兵兵器駄馬具教程」1896 や 「輜重兵々器教程」1900 ぐらいしか出ません)

また、具体的な運用法は?
荷積みにさいしてつっかえ棒は使ったのか?
ロープの結び方は? いわゆる南京結びでも、上の輪を絡めて作る場合と、引き解け止め結びとあるが、どちらだったのか?
一人で多頭を引くことはあったのか。尻尾と引き綱の結び方は民間で見られる「二重つなぎ」でよいのか。

砲兵・輜重兵に限らず、歩兵でも小荷駄隊や連隊砲等で駄載は行われていたと思います。体験記等の断片的な情報でも結構ですのでよろしくお教えください。


Back