零戦再考


旧式兵器勉強家 BUN
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いまさら零戦である理由


 零戦については毎年のように新しい関連出版物が現れ、最近は何ともめでたいことに新金型のキットが32で発売されるなど、零戦を見ただけで十秒以内に泣くと言われる私BUNなどはひたすら感慨に耽る毎日ですが、この零戦という飛行機、実は何年経っても解決しない疑問をいくつか抱えたまま今日に至っているのです。ゼロと聞けば金利の話でも耳をそばだて、ラバウルと聞けばカレー口に運ぶスプーンを下ろし、出版物は出る度に即時購入し、零戦と題名がついただけでその実何の関係も無い笑止な現代外国文学作品まで買い込んでは呆然とする毎日を送りながらも、これらの疑問には誰も答えてくれません。今回はその辺を少し調べてみることにしました。


零戦一一型は局地戦闘機か?


 零戦11型は取扱説明書などに局地戦闘機として記されているようですが、これは何故なのでしょうか。初めから艦上戦闘機として開発された機体が、単に陸上基地の部隊に配備されただけで機種まで変わるものなのでしょうか。モデルアート増刊「零式艦上戦闘機モデリングマニュアル」(モデラー以外の方にも良い資料でしょう)での野原茂氏の解説文にも、陸上基地に配備されクルシーや着艦フックを省略したので局地戦闘機として扱われ、その為か生産が64機で早々に打ち切られた、とありますが、果たして本当でしょうか。
 また、秋本実氏の「日本軍用機航空戦全史 第5巻 大いなる零戦の栄光と苦闘」(長い題名ですね)においても一一型の取扱説明書には局地戦闘機と記載されている、とあります。しかし秋本氏はその理由については触れていません。
 そういう時には普段忘れていた勤勉さを取り戻し、自分で調べるのが一番です。
 この疑問に対して回答を与えてくれると思われる資料がありますので、その一部を抜粋します。


昭和14年10月11日
航本機密第10479号

新型機多量生産に関する本部長決裁覚


 首記の件 別表新型機実験進捗予定見込及応急戦備促進並に現支那事変の要求に鑑み左記の通実施することとす

1. 十二試艦戦
(1) 最近の敵機W空襲に基く支那方面艦隊の要求に応ずる為 局地戦闘機として30乃至40機を速に多量生産に着手す
 この為生ずる三菱の生産に対する影響は九六艦戦、九七式二号艦攻、十試観測機、十二試陸攻の順に及ぼすこととし十二試陸攻(改)には影響せしめざるものとす

(2) 爾後の多量生産着手に関しては三号機以降実験の成果に基き追って定むるも概ね三月末に予定す

(3) 尚十二試艦戦三、四号機領収後差支なき時機に至らば一、二号機は戦地供給することあるべきを考慮す

(説明)
1.十二試艦戦

 一号機型は実験中にして概ね其の性状を確かめ得たる所なるも錐揉み性質の不良(風洞試験成績の判定による)重心点調節の為約20kgのバラストを尾部に有する等の欠点もあり艤装方面にも小改造を要する点あり 三号機型においては是等諸欠点を除去する如く計画しありて其の操縦性安定性に関しては一号機型よりも改善さるとも悪化するとは認められず 之を艦戦として仕上げんが為には今後相当の実験を要する可きも局戦としては概ね直ちに実用に適するものと認めらるるを以て発注差支なきものと認む


 更に文中にある別表には次のように記されています。一枚の大きな青焼きの表になっていますが、そこには他の試作機と並んでA6M1について次のように書かれています。


新型機現状及多量生産予定


十二試艦戦

局戦 40 艦戦 275

1. 一号機(瑞星発動機装備)は空技廠にて概ね概略実験の後 横空隊にて兵装実験中 二号機は三菱にて略完成十一月中旬領収飛行の上実用実験に移す予定

2. 三号機(栄発動機装備)は十二月上旬領収飛行の上 空技廠にて性能概略実験実施の予定
一号機の操縦性安定性は局戦としては適当と認むるも艦戦としては研究改善の要あり 最高速は高度000米にて約255ノットなり 三号機にては栄発動機換装の結果260乃至270ノットとなる予定

多量生産予定(十五年度分に対しては目下工事計画中に付 一部変更することあるべし)

現有 2(一、二号機) 11月 1 12月 1 1月 1 2月 0 3月 2 4月 4 5月 6 6月 8 7月 12 以下概艦戦 8月 15 9月 20 10月 20

備考
 現有二機(一、二号機は瑞星) 三号機以降は栄 六号機は折畳式艦戦実験用 十二月末乃至一月には戦地に三〜五機を局戦として供給の予定
一後期乃至八号機は試製機 九号機以降多量生産機

追記
自十一月至二月生産は若干遅延する見込(十一月十五日)



 以上のような内容ですが、零戦の有名な初陣の前年秋、まだ一号機が完成したのみであった14年10月の時点で既に支那事変への投入が決定されていること、そして瑞星搭載のA6M1までもが実戦投入予定であったことも意外なところです。また、零戦の試作機は八号機までであり九号機以降が量産機の予定であったこともわかります。
 十二試艦戦は昭和14年半ば頃までの文書中には十二試単戦と表記されることも多く、昭和13年度飛行機試製計画には十二試単戦と記載されています。これが万が一艦戦として採用できない場合に局地戦闘機として採用することまで検討されてのことかどうかは明確ではありませんが、事実、十二試艦戦はA6M2の実機の完成を待たずに局地戦闘機としての配備が決定されています。これは航空本部が零戦の何処を心配していたかというヒントにもなるのではないでしょうか。
 この航空本部の資料を読む限りにおいては、零式艦上戦闘機一号一型(零戦一一型)が局地戦闘機であるのは、着艦フックやクルシー帰投装置の装備が無い為といったスペック上の問題などでは無く、艦戦としての審査未了の段階で生産が決定された応急生産の戦闘機であった為、艦戦でない単発単座戦闘機すなわち局地戦闘機としての分類がなされているという判断が下せると思います。
 ですから、既に六号機から折畳機構が実験されているようことからも読み取れるように、二一型も「一一型の改良機」ではなく最初から予定されていた艦戦型の本格的量産機だったのです。


零戦三二型とは何だったか?


 その目的が「速度と高空性能、ロール性能の改善にあった」(野原茂氏)とも言われ、「太平洋戦争が始まったら防空(局地)戦闘機として使う」(同)予定だったと言われる零戦三二型とはいったいどんな機体だったのでしょう。一機でも進攻用戦闘機が欲しい時期に防空戦闘機とは如何なものでしょうか。上記記述が本当ならばこんな奇妙な派生型はありません。次は三二型について考えてみます。
 昭和17年3月3日の日付の文書で、以下のようなものがあります。


零式艦戦(A6M2)及仮称零式二号艦戦(A6M3)性能比較


1. 燃料搭載量(リットル)

胴体内 翼内 落下増槽 合計
A6M2 62(135) 390(390) 330 452(525+330)
A6M3 62(60) 420(420) 330 480(480+330)
( )内は燃料満載の場合

2. 燃料消費量並航続力

燃料消費量
全力 190ノット 200ノット
A6M2 345(4000m) 82.5(106.7?) 91.5(120.5?)
A6M3 446(3000m) 85.0(4000m) 94.8(4000m)

航続距離(落下増槽無き場合)
全力正規 全力過荷 全力30分後
200ノット巡航正規
全力30分後
200ノット巡航過荷
A6M2 1.31(4000m) 1.52(4000m) 3.66(4000m) 3.85(4000m)
A6M3 1.08(3000m) 1.30(6000m) 2.71(4000m) 3.25(6000m)

3. 最高速度

1000m 2000m 3000m 4000m 5000m 6000m
A6M2 237 248 259.5 270.5 275 273
A6M3 261 272 281 280 285.5 291.5
 A6M3の成績は翼端折畳部を有するものなるも生産機は翼端を短縮せる型式となる予定にて3〜5ノット増加の見込

4. 上昇力

1000m 2000m 3000m 4000m 5000m 6000m 7000m
A6M2 1分11秒 2分21秒 3分31秒 4分40秒 5分56秒 7分27秒 9分23秒
A6M3 1分00秒 2分00秒 3分02秒 4分12秒 5分27秒 6分47秒 8分25秒


 ここから読み取れることは、二一型は胴体タンクに余裕があり、正規状態では劣る燃料搭載量が満載状態では逆転していること、栄二一型の燃料消費量は巡航運転では栄一二型と比較してさほど差がないのに対し、全力運転ではハイチューンなエンジンらしく燃料消費量が大幅に増大している点です。
 このように全力運転時の燃費に劣る三二型試作機は航空本部が設定した増槽無しの状態で空戦30分を考慮した測定基準の場合、やはり二一型に航続力で一割程度劣りますが、これに増槽を装備した場合にはその行動半径の差はおそらく減少することでしょう。
 また、最高速度、上昇力は三二型試作機の方が目だって良好であり、特に高空性能が向上していることがわかります。三二型の量産移行が順調に進展した理由もこうした性能向上あってのことなのでしょう。また、試作機が二一型と同様の主翼で試験されていることからも、三二型の特徴である短縮主翼による飛行性能の変化に対してはあまり重要視されていないようです。
 これは次に紹介する資料にもある通り、三二型の兵装強化による百発ドラム弾倉によって生まれた主翼下面の膨らみを相殺する程度の期待で翼端切り落としを実施したように考えられ、その主眼は単純に工作簡易化であったのだろうと推測できます。三二型は特別な型式ではなく、栄発動機の進化に伴って登場した二一型の後継となるべき正統的性能向上型であり兵装強化型なのでしょう。
 このようにして三二型は17年5月より量産移行することになり、中島飛行機でも10月から生産開始との命令が航空本部より出ることになりますが、この頃の三二型への評価はまた微妙に変化しています。


昭和17年6月19日
A6M3現状


 正規状態にてA6M2と競争の結果
 最高速度は3000米以下にて約10ノット大 4000米(A6M2の全開高度付近)にて殆ど同等 6000米以上にて約5ノット程度大なり
 上昇力は相当向上しあり 但し二速高々度(8000米 9000米付近)は更に実験確認を要す(A6M3は100発弾倉を附するため下面に膨みあり -3ノット程度 翼端を切り+3ノット程度)

備考
最近A6M2 3000米 260ノットが272ノットとなる
4200米 275ノットが288.5ノットとなる

A6M2の性能向上せる理由
1. 剛性増大が重大原因(下川少佐空中分解の結果主翼板厚を増大せり +0.1mm)全面的に二割程度向上せり(水平全速にて従来はシワ生ぜしも最近のものは殆ど認めず)
2. 発動機の取扱慣熟し調子も亦安定せるものならん

 何と、零戦二一型は下川大尉の殉職事故をきっかけにした改良で性能向上したというのです。裏を返せば初期の二一型までの零戦は水平最大速度近辺で既に機体が限界に近づいてしまう欠陥機であったということですが、この性能向上の為に零戦三二型の存在意義が少し薄れて来たのは事実のようです。まあ、三二型の話をしているのですが、零戦二一型の最大速度は必ずしも288ノット/533km/hじゃないですよ、という結構重要な問題です。

 さて、この夏にはガダルカナルの航空戦が開始されます。三二型にとっては不運なことにこのガダルカナル航空戦の初期の戦闘と登場時期が重なってしまいます。先に書きましたように、二一型は満載状態では燃料搭載量が三二型より多く、三二型の燃費は空中戦など全力運転の割合が大きくなればなるほど悪化しますので、ラバウル初期のような戦闘では二一型との航続力の差は顕著に開いてしまいます。
 それが現地の第十一航空艦隊司令長官からの三二型を局地戦闘機呼ばわりした意見書となって現れ、後世に「三二型は局地戦闘機」という誤解を植え付ける元となるのですが、この意見書に対して当時の航空本部長は海軍大臣宛に提出した進退伺いの中で「正規状態ではあまり差が無かったが、実戦でこのように使われて大きな差が開くとは思わなかった。」という内容を正直に申告しています。
 航空本部長の辞任問題にまで発展したこの事件をきっかけに零戦三二型は新鋭機から一気に性能改善研究の対象に変わって行きます。
 次の文書はガダルカナルの戦闘が頂点にあった時期のものです。


昭和17年10月30日

零戦二二 三二型 二式陸偵 二式水戦 十四試局戦現状


1. 零式艦戦改は零式艦戦二二型及同三二型として兵器採用の手続中

 二二型 翼内増槽を有し栄二一型装備 翼折畳あり 航続力零戦同等以上
 三二型 現在戦地に出ている零戦改
 制限速度360ノット(計器)発動機回転2800を超過せざること
 本機の性能向上に関しては引続き研究中


 この時点で既に12月より生産開始予定の零戦二二型が制式採用手続き中であることが判りますが、注目しておくべきことは文中にある通り零戦二二型があくまでも三二型の主翼に応急的に翼内増槽を増設した機体であり、改良の最終回答ではないことです。あくまでも三二型の航続距離問題に対する解決策としてのみ存在したのが零戦二二型であり、暫定的な改良であった為に、本来なら17年10月より開始されるはずであった所を航続距離問題発生により一旦取り消されてしまった中島飛行機へのA6M3の発注はここでは復活しなかったと見るべきでしょう。
 ですから零戦二二型は三二型の応急改造機であっても、五二型の母体では無いのです。
 こうした位置にある零戦二二型の存在は海軍内でも軽視されがちで、その後の文書中には三二型の中に含めて扱われている例も複数あります。A6M3に三二型と二二型の区別が存在しないのはこうした二二型の「影の薄さ」が影響しているのでしょう。昭和18年4月の横須賀航空隊整備課が作成した取扱説明書の中でも「零式艦上戦闘機三二型」としてその中で

3119号機、3120号機、3191号機(三二型翼内増槽装備試験機)及3344号機以降(二二型量産機)外翼タンク(40リットル)あり

として特に二二型を区別していません。昭和19年10月の零戦各型の取扱説明書にも二二型は同様の記載となっています。


三菱零戦の生産打切り検討


 応急的に航続距離問題を解決した二二型が、主翼外板増厚で速度向上した従来の二一型と殆ど変化の無い、いわばどうでもいいような機体に仕上がってしまった為に、海軍当局は三二型の生産打切りを検討し始めます。


昭和17年12月3日

昭和十八年度飛行機追加注文並昭和十七、八年度生産計画変更に関する件照会


零式艦戦二一型(A6M2)栄一二型装備
中島社に1200機追加発注すること

零式艦戦三二型(A6M3)
本機の生産は十八年八月にて打切り 残数は取止むこととす

零式艦戦二一型(A6M2)
十八年度は本機種とし左記を目途として生産すること
零式艦戦三二型性能向上機の生産を必要とするに至らば十九年度にて
実施することあるべく此の場合事前に打合せするものとす

昭和十八年四月 月産 120機
昭和十八年四月以降 月産 140機

 ついに零戦の本家である三菱生産機の中止が決定されてしまいます。この後の三菱の生産ラインで製造されるのは十四試局地戦闘機改こと雷電の予定のようです。既に前年9月の時点で「航空兵器製造並に供給に関する応急処置の件 仰裁」には十四試局地戦闘機J2M1の生産が中止と記され、武装強化した十四試局地戦闘機改J2M1が18年4月より生産予定に組み入れられています。
 しかし現実には雷電の生産は御存知の通りの事情で予定通りには進まずに零戦の生産はそのまま両社で継続されることとなります。ここで少し話は飛びますが、雷電に関わる件である為、18年に行われた零戦の金星発動機搭載の検討について触れることとします。


昭和18年10月3日

発動機生産状況を考慮し現用機の装備発動機変更に関する打合せ覚


1. 目的
(1) 誉発動機の生産が要望に満たざるを以て栄発動機の生産を取止め金星装備に現用機を変更す
(2) アツタ発動機生産不足対策として一部火星装備に付研究す

2. 期日 十八年十月三日

3. 結論
零戦五二型及月光一一型は現装備を金星発動機五〇型改に変更す
(航続力不足につき軍令部と打合せす)
零戦二一型及九七艦攻は変更せず

議事内容
零戦五二型は上昇 最高速度は向上するも航続力約二〇%減少す
本件に付軍令部と交渉す

零戦二一型は生産数少く金星装備に変更するも之迄に概ね生産終了に近きを以て現状のままとす



同 第二回


零戦に金星を装備する件に関する方針

結論
零戦に金星を装備せず
三菱社にて零戦来年生産予定(1400)のものは概ね雷電の増産を以て之に代ゆ
(零戦180 雷電1200)
中島社のものは艦戦として必要につき現状にて進む
(二十年度は十七試艦戦にて進む)

議事内容
零戦
(イ) 金星装備により機体補強せざるものは航続力四割減且強度6Gにして実用価値なく之を考慮せず
(ロ) 同補強せるものは航続力二割減 速力12ノット増となる
(ハ) ロ項は翼面荷重134程度にて甲戦として使用し得るも雷電に比し性能下る
(ニ) 直に改造に着手するも十九年度夏頃に生産の見込つく程度
(ホ) 今より発動せば雷電増産にて三菱の零戦予定分は補い得
(ヘ) 十七試艦戦出現(二十年初)迄は艦戦として必要につき中島社生産分は現状のまま進む

 このように、誉発動機の生産不足を補う為に栄発動機の生産中止が検討された様子がわかります。零戦は設計当初に金星搭載構想が堀越二郎氏の頭の中には存在したと言われますが、その後、五四型が出現する以前にもこうして一度検討されているのです。そしてそれは雷電の増産計画の中で立ち消えとなり、零戦の生産そのものが雷電に取って代わられることになります。当時の用兵側の部隊編成投入計画に照らしても、この時点での零戦の後継機は雷電だと考えて問題はありません。あ号作戦時に陸上基地航空隊に多くの300番台航空隊が零戦装備で存在するのは、この雷電増産計画の名残といえます。事実零戦及び栄発動機の生産は19年前半に縮小の傾向を見せています。
 金星換装計画は前回の「昭和20年の戦闘機生産計画」にも書きました通り、終戦直前に再び栄発動機が生産縮小される際に復活しますが、その時もこの18年の時点での検討と同じく、性能向上の見地と言うよりも、軍需生産的な都合により実施されているのです。兵器である戦闘機をその性能諸元からのみ眺めてはいけない好例だと思います。
 また、ここで注目すべきことは、三菱で生産中の零戦五二型と中嶋で生産中の零戦二一型とで、別々に改良計画がある点です。開戦以来一貫して二一型を生産し続けることになった中島飛行機製の零戦と、本家の三菱側の零戦は既に別の機体であるかのように別個の生産計画、運用計画の中にあるのです。


零戦五二型と零戦四一型


 次の資料ですが、これは実施の一年前に策定される生産計画の内の一部で、A6M3の発注内示が中島に再び出されています。先に挙げた資料のように、三二型性能向上機は19年度に再び中島で生産するという内示が下されているのです。


昭和18年3月23日

昭和十九年度飛行機機体発動機及プロペラ生産計画並に注文内示に関する件仰裁


昭和十九年度飛行機機体生産計画並注文内示数
艦戦 零戦二一型 A6M2 500 中島
零戦三二型 A6M3 720 三菱
三二型 1300 中島
250 日立
十七試艦戦 A7M1 30 三菱


 この文書中のA6M2はそのままのA6M2ですが、A6M3はただの三二型ではなく、その性能向上機を指すと考えるべきでしょう。既にA6M2とA6M3は別の道を歩き始めていることになるのでしょうか?また型式は明記されていませんが日立生産分250機は零式練習用戦闘機のことを指すのでしょう。最後の性能向上型を生産し烈風につながる生産計画の流れが見えて来ます。それでは、次に以下の文書に注目してください。


昭和18年4月28日
航本機密第五七九一号

飛行機改造実験に関する件仰裁


制式並に試製飛行機の主要改造実験を左記の通予定し可然哉

1. 零式戦闘機
(イ) 零戦二一型
二〇粍固定機銃携行弾数を各銃100乃至150発(ベルト給弾)とす
零戦四一型と仮称し発注先を中島とす
兵装強化の為(ベルト給弾により比較的容易に携行弾数を増加し得る見込)

(ロ) 零戦二二型
1. 二十粍固定機銃を二号銃とし携行弾数を各銃100乃至150発(ベルト給弾)とす
2. 翼端折畳を止め翼幅を約1米短縮す
零戦五二型と仮称し発注先を三菱とす
1. 兵装強化
2. 制限速度 最高速度の向上 旋回性能やや低下
3. 工作の簡易化

 ここではA6M2とA6M3のそれぞれの改造が別個に平行して検討されていることが理解できますが、この二一型改造案に特に注目していただきたい。
 ここには二一型にベルト給弾式への改造を加え弾数増加による兵装強化を果たした機体を「零戦四一型」と仮称する、と明記されています。
 結局、零戦の九九式固定機銃がベルト給弾化されるのはこの文書の約一年程後にずれ込むので、中島での二一型の生産はそれまでに終了してしまい、実際に零戦四一型が生産されることはありませんでしたが、この文書により長い間の謎であった「零戦五二型は何故四二型ではないのか?」という疑問が氷解したことになります。「四二型では「死に」型に通じて縁起が悪い」のではないかと秋本実氏などは推測していますが、そのような理由では全くなく、中島製A6M2二一型と三菱製A6M3二二型との両方に併行して改良計画が存在し、それぞれの計画型に振られたナンバーが四一型であり、五二型であったということなのでしょう。
 長い間謎であった四〇番台の零戦のサブタイプはここに零戦四一型として存在していたことが判明しました。これだけ判ると今晩は美味い酒が飲めそうです。女房を酒屋に走らせましたので解説はここまで。
 これ以上の考察はまた次回に行う予定ですのでお楽しみに。



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