20 キ61について質問いたしたく。
ここwarbirdsでも何回か記述がありますが、キ61の”アンダーパワー”について教えてください。
通説として「機体重量=約3500kgfに対し、発動機出力1100PSで、最高速度はそれなりだが
余剰馬力がないため、戦闘機動は中途半端なレベルに留まっていた」というのをよく聞きます。
発動機ハ40の信頼性、稼働率に起因するこれらの評価についてはまずまず理解できるの
ですが、試作段階、特に陸海軍共同の戦技研究会に出た頃の評価についてご教授いただきたい
のですが。

BnZ

  1. 質問者です。補足させていただきます。
    上記質問文中に書いた「陸海軍共同の戦技研究会」の中に出てくる海軍側のキ61に対する”感想”
    として「三舵のバランスは良い」というのを目にした記憶がありますが、発動機の出力不足に言及された
    ものは見たことがありません。戦記もの等には「離陸直後はほとんど上昇できない」等といった表現を
    よく見かけますが、発動機の調整は万全な状態で臨んだであろう「戦技研究会」では、このような
    ”アンダーパワー”について何かしらのコメントなり、認識はあったのでしょうか?
    実は”妄想”の類かも知れませんが、「ハ40がカタログスペック通りの性能を発揮していれば、
    アンダーパワーということはなく、充分に戦闘能力を発揮できたかも?」といった期待を持って
    おります。

    BnZ

  2.  そりゃ陸軍さんや川崎さんに「非力でどんくさい」と直接的に否定的な表現をするわけにもいかないでしょう? スペック上零戦より速いはずの飛行機なのに「速い」とか「パワフル」とか言わないあたりで、概ね推して知るべしではなかろうかと。
    SUDO

  3. 元々、キ61は試作時から最大速度が550km/hしか出せないと見積もられていた都合上、そんなに期待されていない機種でした。
    それが、試作第一号機標準全備状態(重量2950kg)で591km/hも出してしまったため採用の道が開いたというのがあります。
    この当時はあまりアンダーパワー云々という評価は聞きませんが、
    605km/h出した二単二型の改修完成が昭和17年2月なので、600km/hにもう少しで届く最高速度が昭和16年に出せたことが七難隠すという状態だったもの思われます。
    これが量産機になると、満載重量時で3270kgと計測時より320kgも増えてしまいます。
    おそらく海軍との戦技研究会は量産機だと思われますが、このときから既に「性能向上を要す」「上昇悪い」と海軍側から明らかにアンダーパワーを指摘されています。
    そして三式戦1型丁ともなれば、重量3470kgとなり、タンク積んだ状態だと3800kg近くとなり、この場合地上での馬力加重3.23と、四式重爆の地上での馬力加重3.44に近くなってしまいます。
    (離陸中に4式重爆においてかれたなんて話も聞きますよね)

    三式戦は軽戦にも拘らず、そしてハ40がカタログスペックを出していても、アンダーパワーだったのです。
    そしてだからこその三式戦二型の昭和18年12月の量産開始だったということでしょう。
    P-kun

  4. あともう一つ付け加えるなら、同じくハ40を搭載したキ60が、重戦ではなく重戦中間機と呼ばれていたことも上げられるでしょう。
    ハ40が馬力不足なことは、当初から折り込み済みだったのです。
    だからこそ目をつぶったと言うことなのでしょう。
    P-kun

  5. 早速に回答いただきありがとうございます。戦技研究会での海軍側の指摘でそのような内容のものがあったということなら、理解できます。ただ、ハ40の馬力不足が当初から折込済みというのは、余り聞いたことがなかったもので(後から重量が嵩んでダメダメになったというのはよく聞きますが)、「飛燕 技術開発の戦い」にも出てこなかったように記憶しています(もう一回読み直してみますが)。昭和16年で全備3000Kgfで591Km/hはうまく行き過ぎたとしても、当時の日本機としてはかなりの高速だと思いますが、それでも”折込済み”なんでしょうか。。。だとすると、キ61は構想当初から「当ればめっけもん」的な位置付けということなんでしょうか。。。
    回答いただきありがとうございました。自分なりにもう少し調べてみます。
    BnZ

  6. 17年にまでならなくとも、16年12月の時点、つまり福生に実機が来る以前の段階ですでにキ61は「予想性能では不満足、性能向上が必要、馬力向上が必要」という評価なんです。陸軍部内で。
    キ61とは、最初から、近い将来キ61IIに性能向上することを条件に、開発続行が許されていた機種だったのです。


  7. キ61Iの1号機は16年12月完成ですが、のちにキ61IIとなる性能向上案はそれ以前、11月の時点ですでに提出済みとなっています。キ61IIははじめから「重戦闘機」としてはっきり区分された機種です。
    この頃から名目上の軽戦であるキ61Iに対しても、将来的に重戦へと性能向上させてゆくべき機種なのだから、と、重戦並みの装備が要求されるようになっています。重戦に規定されいる航続力を満たすための落下タンク装備の追加であるとか、機関砲4門への武装強化であるとかです。高速だけでは重戦闘機としての資格を満たさないのです。
    重量増加といわれるものの大部分は重戦化に必要な装備を付加することで意図的に作り出されたものなのであり、それは本来、半年後には実物が出現する予定になっていた1400馬力級のハ140によって相殺されるべきはずのものだったのです。
    いわば、三式戦闘機一型とは、最初から零戦五二丙型(武装強化は果たしたけれど水メタ噴射による馬力向上は後日にまわされている)を作ったようなものだったのでした。



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