74 飛行機を洗う事に関する疑問です。

第二次大戦中の飛行機を洗う場合、
Q1、羽布は石鹸水で洗うそうですが、道具は雑巾類ですか? 刷毛様の物ですか?
Q2、金属機の場合、洗浄剤は何でしょうか?
Q3、母艦上で洗機は行われたのでしょうか? 塩分除去が必要になると思うのです。

以上よろしく願います。
早房一平

  1. 大戦機ではありませんが、30年前の学連のグライダー(当時はプラスチック機が出始めで、まだ鋼管羽布張り(例:三田式3型改、ASK-13)や全金属(例:レットL-13ブラニク、ピラタスB4)が多かった)の実態としては、
    @:羽布張り機⇒外装はシャボンとスポンジで洗いワックスがけ。内装は掃除機かけて終わり。(溶接部のクラックがまず塗装から来るので点検はするがタッチアップはしない、てか鋼管塗装の剥がれがあったら大騒ぎで探傷)
    A:全金属機⇒外装は羽布張り機と同じくシャボンとスポンジで洗いワックスがけ。内装は掃除機かけて、平面的なジンクロの剥がれはタッチアップ。床面と側板の間などは水が溜まると腐食の原因になるのでパテ埋めしたりした。

    尚、アクリル製のキャノピ等も外して石鹸つけたスポンジと流水で丸洗いが基本。キズ取りに専用のアクリル磨きがあったが、後席の嵌め殺し窓等は曇ると掘り出して交換したりしました。エポキシ接着剤で接着します。

    以上、ご参考までに。(30年前の機体整備担当者)
    TOSHI!!

  2.  海水でも清水でもとにかく拭き取れと零戦の取説にも書いてありますが、早房さんのおっしゃるように、どうやるのか、を示したものは無いかと二式陸中練の取説を読んでいたら、「軟石鹸水で拭浄」とありましたので、やはり布で拭いたようです。
     金属製機は羽布張の機体より耐久性がありますから水上機でも海上に係留したまま使う(当然腐食が進むと報告されています。)こともありますが、推奨される取扱法は基本的に一緒のようですね。
    BUN

  3. >2.
    >水上機でも海上に係留したまま使う

    確か、紫電(紫電改?)の整備関係者の方の回想として読んだ記憶(ソースはちょっと思い出せない)で、「大戦後期の機体は下面が無塗装とされているが、腐食対策で塗粧をしていた。美しいジュラルミンの上に、粗悪なアルミ粉の入った無粋な銀色塗料を塗った」という記述があったような。
    末期には完全無塗装(アルクラッドむき出し?)の機体もあったようですがクリアラッカーを塗ったり、上記のような塗粧をした例はあったのでしょうか。「煙害を受ける海軍機では必須常識」というトーンで書かれていたように記憶しているのですが。
    TOSHI!!

  4. 合せ鈑を使った全金属機の登場以降、陸上機は内外面とも無塗装が標準とされてきましたが、これは「末期」だからではなく、戦前に規定されたものです。
    海軍機は大正13年以来『銀色』が外面基本色であり、紫電等の川西の生産機はこれを遵守しています。二式大艇でも非迷彩面は銀色(この場合は無塗装ではなく銀色塗粧)です。

    一式陸攻の場合、合せ鈑の無塗装銀色の上に内外面とも艦上機と同様の透明塗料(外面は無色透明、内面は淡青色透明)で塗粧されていることが明らかになっています。

    大戦末期には木・鋼製部品、再生軽金属の多用によって、外面全体を合せ鈑の無塗装銀色とすることは不可能になっていますから、当然銀色塗粧が使われています。


  5. >4.
    得心が行きました。ありがとうございました。
    零戦等の下面灰白色は、迷彩の一種なのですね。
    TOSHI!!

  6. 迷彩ということではありません。
    昭和15年頃からの『灰色』塗粧は、零戦で表面平滑塗粧の磨き処理をかけるために始められたのが元々だと思います。
    色としては、機能性塗料用に以前から存在していたものですが、これが一種の銀色の代用とされたのだと思っていただければ。


    追記。紫電も少なくとも初期のものは内面淡青色透明塗粧されているので、外面にも透明塗粧が施されていたのではないかと思います。


  7. >3
    それは昔の世傑に掲載されていた少年時代の思い出を綴った記事ですが、その内容はあまり正確ではありません。
    「塩害を受ける海軍機」というと、何だかもっともらしく聞こえてしまいますけれども、海軍機といえども、陸上機と艦上機、水上機では塗粧の回数、塗料の材質がそれぞれ工作標準で定められていてそれぞれに異なります。海軍機なら全て同じ、という訳ではありません。

     陸上機の代表格である一式陸上攻撃機の下面に透明塗料(よく言われるワニスなどではなく軽金属用特殊塗料の透明)が塗られているのは、この軽金属用特殊塗料が材質上の問題から早期に変色劣化してしまうため、その対策を研究したレポートが残されているからですが、透明塗料が竣工時から塗られていたかどうかは疑問です。そして末期の機体だけでなく初期の機体も一様にアルクラッドではなく、マグネシウム部品もあり、カドミウム鍍金部分もありますからそうした部分には専用の特殊塗料が用いられています。

     また零戦の灰色塗粧は抵抗減少のためであることが各種文書に明言されていますので迷彩ではないですね。
    BUN

  8. >6. & 7.
    零戦についてはその後手元資料でも確認しました。
    丁寧な解説をいただき恐縮です。塗粧については層流翼との関連でP-51でも仕上げが言われていますし、日本機の「飴色」とか、スピットファイアの「スカイ」(一時情報が混乱していた)とか、まだまだ学ぶことが多そうです。
    かのモスキートも、最初期の夜戦型のランプブラックでは表面抵抗の増加で速力が落ちたと言いますし。

    どうもありがとうございました。
    TOSHI!!

  9. 飴色については大した問題ではありません。
    塗った色が対候性が弱くて黄ばむ。それだけのことです。


  10. 皆様、ご回答頂きありがとうございます。

    軟石鹸水で拭浄、ですか、雑巾・ウェスのほかにスポンジ(当時ですから海綿かな)なども使用したのでしょうかねぇ。

    艦載機の場合はふき取るにしても、拭いたそばから濡れてくるような、カムシップ上のハリケーンなどどうしていたのか等、疑問が次々に浮かんできます(笑)
    早房一平

  11. 少し本筋から離れるような気もしますが、陸軍航空審査部で軍属として整備に当たられていた、わち・さんぺい氏の著書「空のよもやま物語」(光人社)には、エンジン周りから漏れだした油をガソリンを含ませたボロ切れでふき取っていたエピソードが書かれています。又、停止直後のエンジンにガソリンをポンプで吹き付け、油汚れを一気に落として漏れている箇所を探す事も行っていたそうです。「ガソリン一滴は血の一滴」と言われた時代、勿体無いと思いながらも日常的に行っていたようです。
    しかしガソリンで直に拭いたとなると、塗装面の傷みは酷いでしょうね。海外でもこのような整備や清掃が行われていたのか興味があります。なんせ日本機の塗料の剥離っぷりは諸外国の機体に比べて半端じゃありませんから…
    下駄スキー


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