189  いつも拝見しておりますが、皆様に御教授いただきたく思います。
 三式戦(飛燕)について資料を読めば読むほど混乱してきまして、やっとの事で下記の様なイメージにまとまったのですが、この項に関し皆様のご高察を頂きたく思います。

飛燕(キ61)は、
・液冷エンジン(DB601→ハ40)搭載機として計画された。
・軽戦の仕様ではあるが、先発のキ60の影響が彼処に見られる。
・後発の1000馬力級液冷エンジン搭載機としては日本初の試みであり、先に開発された米国のP−40並みかやや優る性能であった。
・機体設計はハ40→ハ140→ハ240への対応が可能なように、冗長性を持たせて設計されていたが、そのエンジン改良は開発、量産の段階で躓き、僅かな数が出荷できたに留まった。
・飛燕は、本来であればハ140を以て初めてバランスの取れた機体となるはずであった。
・数少ない二型改については、速度UPとそれなりの高々度性能を得たが、連合軍のF6F、P51が相手では性能上分が悪かったと思われる。
初心者

  1. ・当初は、単葉重戦キ60と複葉軽戦キ61として計画された。
    ・キ60の翼面積を増した案を川崎が提案、キ61はこの案の延長線上の単葉軽戦に変わる。
    ・キ61が重戦キ60の性能向上機として考えられるようになり、重戦としては予想性能が不十分とされるようになる。重戦の基準に合わせたキ61IIが計画される。
    ・まず生産された軽戦型キ61Iが実戦に投入されたが、性能不足。重戦型キ61IIが一層期待されるようになる。
    ・しかし、キ61II用ハ140の安定化が遅れる。

    ・・・・・・という経緯です。

    まったくの最初から「ハ40→ハ140→ハ240への対応が可能なように、冗長性を持たせて設計されていた」わけではありません。

    「二型改」とは二型の途中以降の新計画機に対する川崎社内での暫定的な仮称です。






  2. 片様、
    御回答ありがとうございます。
    陸軍航空機の開発方向性”軽戦→重戦”の流れに一機種で対応した(改造で可能であった)という事なのですね。
    ただ、性能向上の核となるエンジン開発が技術力、基礎工業力、材料制限によりうまくいかなかったということでしょうか。
    おかげさまですっきり致しました。

    「二型改」の呼称も定義を教えて頂きましてありがとうございます。

    便乗質問で恐縮なのですが、
    審査では折り紙付きであった飛燕I型(キ61)が実践投入後、早々に性能不足と判断された事は、やはり信頼性、もしくは対敵能力、あるいは両方、もしくは他の問題だったのでしょうか。宜しければ御教授下さい。
    初心者

  3. 「審査では折り紙付きであったキ61I」、ということではないのでして、そもそも、ノモンハン事変の戦訓により複葉軽戦をやめて重戦化する道を選んだキ61としては、軽戦型キ61Iはあくまで本格的な重戦型が登場するまでの暫定的な階梯機であると初期のうちから見なされています。
    このことは16年12月、完成したキ61Iの1号機が陸軍立川飛行場に空輸される直前にすでに「さらに性能向上が必要。馬力の向上、冷却器の機能向上、武装の強化を実施して来年度中に完成するよう研究すること」と指摘されていることからも明らかです。

    また重戦として扱うには、キ61I原型は航続力不足とされ、発動機出力向上を待たずに、一型のうちから翼下懸吊の落下タンクと、胴体内の第三タンクの増設が行われています。
    この航続力不足と、あくまで応急的でしかないその延長作画が、南東方面への実戦投入で欠陥として露呈し、
    「第三油槽は空に近い状態でなければ、重心がずれて、攻撃動作困難、失速に陥り易い」
    「第一第二油槽だけでは航続力が短小に過ぎ、攻撃後に帰還できない」
    と指摘されてしまっています。


  4. 延長作画→延長策 でした。


  5. 片様、
    わざわざの御回答ありがとうございます。
    御指摘の点を踏まえてあちこち資料を読み直してみると目から鱗でした。
    これですっきり致しました。
    また、ちょうど本項の次にあたる御質問と御回答を拝見した所でして、飛燕(キ61)の開発経緯が複雑であることをあらためて実感いたしました。
    どうもありがとうございました。
    初心者

  6. 失礼しました。
    本項の次にあたるご質問→190番のご質問 の事でした。
    お詫びして訂正致します。
    初心者

  7. 元々、「複葉軽戦キ61」「重戦階梯機キ60」「重戦キ64」という段階的展開がセットで考えられていたんです。
    このややこしさを整理したのが、「単葉軽戦キ61I」→「実用重戦キ61II」という簡潔な経路です。
    その上で、キ61Iの実用時期をできるだけ短くして、キ61IIの実用に早く持ち込みたかった、というところですね。



  8. 代用名称がほぼ連番であるようにキ60、キ61、キ64の計画はほぼ同時にスタートしています。
    DB601搭載戦闘機案に対して土井武夫氏は複葉軽戦案(九五戦のDB601搭載案)とキ28の引込脚案を提示し、そしてフォッカーD23のような変形配置の重戦闘機案、さらにタンデム双発プラス二重反転プロペラ案が検討されています。
    結局、タンデム二重反転プロペラを最終のゴールとして、具体的設計はキ60から着手され、複葉軽戦案は輸入されたDB601がキ64用発動機の実験目的に優先的に用いられてしまったことで搭載発動機を失って消え去り、残されたキ60系のみが発展します。
    キ61という番号はキ60改良案として川崎側から提出された設計に対して振り直されているのです。そのためキ60とキ61はほぼ同じ系統の機体と意識され、陸軍航技研は「キ61をキ60として進む」(16年末)という認識を持っています。

    そしてキ61IIについてですが、弦長を増した主翼は飛行性能向上のためではなく、ホ5を搭載するために計画されたもので、キ61がそれほど余裕のある機体ではなかったことが原因です。この20ミリ用主翼は一型にも組み合わせて二型との中間型を生産する検討も行われており、当時の三式戦に一番求められていたものが何であるかを知る手掛かりでもあります。
    そして、この主翼は恐らく完成していません。
    三式戦二型にキ61IIとII改という二つの試作機があったとする土井武夫氏の回想は存在しても、同時期の陸軍側の記録類にはその区別を行っているものはなく、計画が変更される様子を伝える情報は数多く残されているのに、その存在を裏付ける公文書はまだ見つかっていないのです。




    BUN

  9. BUN様、片様、
    詳細な御回答をありがとうございました。
     これまで実験機的なものだと思っていたキ64の位置づけが(量産を前提とした兵器であり、)川崎のフラグシップ的な計画であった事が良く分かりました。
     それに、キ61の開発経緯が非常に複雑であった事を再認識いたしました。
     また、設計者の回想と、残された当時の資料に食い違いが見られる事も分かりました。
     この度は勉強になりました。

    改めまして、皆様ありがとうございました。

    初心者

  10. キ64は最初の3機を実験機として、翌年度にその成果を取り入れたより実戦的な増加試作機9機を作ろうと計画されていました。
    キ64実験機は予定速度700km/hですが、増加試作機はさらに高速を狙っていたんです。


  11. 片様、更にレスをいただきましてありがとうございました(御礼遅れました)。

    初心者


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