質問コーナー(AnsQ)分類

1.航空機関係 101 - 200


No.
内容
101 坂井三郎氏の話で零戦は200時間でオーバーホールするらしいですが
零戦以外の日本の戦闘機のオーバーホールの時間はどのくらいでしょうか?
また米国の戦闘機は何時間でオーバーホールするのでしょうか?
102 私の最近知り合った方の親父さんが紫電改の尾翼を設計していたと聞きました。

そしていつもプラモデルなどを見ては尾翼が違うと話していたそうです。


そこで質問なんですが紫電改の設計図などは残ってないという事でしょうか?
知ってる方がいましたら教えてください。
103 特に戦間期単発機における、機載無線についてお教えください。
フューリーからハリケーンでもHe51からBf109でもいいのですが、「両翼端と尾翼、操縦席後方を結ぶ空中線」から、「操縦席後方の支柱と尾翼を結ぶ空中線」に変化しています。

1 この変化は、周波数の変化によるものなのでしょうか、それとも、例えば半波長→1/4波長の変化によるものなのでしょうか?

2 当時のおおまかな波帯をお教えください。

3 、「両翼端と尾翼、操縦席後方を結ぶ空中線」では、「片翼端から空中での接続箇所を経て他翼端」までが空中線の実効長で、「空中での接続箇所から操縦席後方」は引き込み部分、「空中での接続箇所から尾翼」は通電しない単なる支持線と考えてよいものでしょうか?
104 続けてごめんなさい。
Potez 452/453 、特に452ですが、どのような意図のもと、エンジンをあれほど前進させたのでしょうか?
105 紫電改三一型(N1K3-J)、紫電改の艦上機型(N1K3-A)は、いずれも
試作機どまりで、その試作機での機首の13mm装備も実際に装備されたか
解らないとの説が現在通説の様ですが、計画では13mmの装弾数は
どの様になって居たのでしょうか?もしくは、装弾はどの程度可能
だったと予想されるのでしょうか?

無理な質問で申し訳ありませんが、ご教授ください。
よろしくお願いします。
106 ロッキード・ハドソンのドアについてお教えください。
たとえばostal Command 1939-1945, Carter の26ページの写真を見ると、同機の後部左側ドア厚は30cmほどもありそうです(すみません、ネット上の写真は見つけられておりません) 。
対して、原型のスーパーエレクトラはこんな感じ
http://www.everythingpanam.com/images/Lockheed%20Electra%20on%20ramp%20open%20door.jpg
で特別厚くはありません。
なぜハドソンでは分厚いのでしょうか?
もし、不時着水時に便利屋ように浮舟が内蔵されている・・・等の場合、他の機体でも海上行動が多い場合には同様の改造などされることがあったものでしょうか?
107  終戦間際に造られた秘匿飛行場について、調べています。
 文献が非常に少ないのですが、一つの飛行場に、どのくらいの地上員が配備されていたのでしょうか?部隊としては、飛行場大隊や対空無線隊などがあります。
 飛行場大隊の場合、戦争末期は警備中隊1、補給中隊2で編成されていました。でも、秘匿飛行場にはそんなに多くの人員は必要なかったのではないかと思います。
 また、対空無線隊については小隊単位だと思うのですが、どのような装備で、どのように配備されていたあのでしょうか?
 ご教示を頂けたら、幸いです。
108 又P―39絡みの質問です。P―39からターボを外した理由なのですが、良く言われるのがUSAAFの運用思想の変化ですが、ターボの技術的問題、レイアウトの問題とかは無かったのでしょうか?つまりここで外さなくても、高空性能と引き換えにトラブル続出だったとかなのですが?
109 warbirdsの皆様こんばんわ。さて、この度自分は「烈風と烈風改」を読んでハ45を取り付けた翼面荷重150の翼の私案が27uから26u程度なので陣風二興味を持っていろいろと調べてみました。その中でなるべく正確な資料を得たくWikipediaの引用元である「丸1993年の7,8月号」を購入して見ましたが数字に納得できません。「質問」一体陣風は何リットル燃料を搭載する予定だったのですか?@自重が3500kg、「幻の戦闘機」では「搭載量」が873kgで全備4373kgとなっていますが、A7M1やN1K2J-aと比べてこの自重は重すぎる様な気がしますますし、A一部ネットで全備が4800kgの数字がありますがどちらが正しいのでしょうか?B「搭載量873kg」という数字はN1K2-Jaが1300kgもあるのにおかしいと思っています。陣風の航続要求は1250カイリで5時間なのでたぶん250ノットなのだろうと思うのでこの「搭載量873kg」が「燃料搭載量」だと思っています。自分で調べるとなるとあとは資料として松葉 稔氏の「精密図面を見る」を購入するべきでしょうか。何卒ご回答の程よろしくお願い申し上げます。
110 FMシリーズにおける、グラマンとGMの関係を教えて頂きたいのですが?下請外注みたいに、グラマンが軍からお金を貰い、グラマンは手数料を引いた金額をGMに払うのか、GMが一機辺りのライセンス料をグラマンに払い、GMが軍から金を貰うのか、最初にグラマンがGMに権利を売り、GMの機体として納入なのか、どうなんでしょうか?あとアベンジャーやF4Uにおけるグッドイヤーの関係はどうなんでしょうか?
111 1000km 余を往復するラバウルよりガダルカナルの航空戦ですが、ゼロ戦21型の航続距離(機内燃料:2222km、増槽付:3350km)をもってしてもラバウル上空で数分程度の空戦程度が限界で、機内燃料のみでは1800km の航続距離でしかない32型は投入不可であったとの話ですが、21型は増槽付で出撃したのでしょうか?
また、かねがね疑問に思っていたのですが、32型でも増槽を付ければ 800 km 程度以上は航続距離が伸びるものと考えております。増槽をつけてもガ島への攻撃に参加できないというような理由が何かあったのでしょうか?
例えば、P51D のように空戦するためには、機内の燃料が一定量以下である必要があるとか?
112 風防あるいは天蓋の素材についてお伺いします。いわゆるガラスは昔からあります(日本ではともかく)が、いよゆるアクリルは1929/1933/1936あたりに開発されたと存じております。
形状サイズからして、たとえばP-51Dなどはアクリル製であったでしょうし、スピットの「バブル」キャノピーもおそらくそうと推測いたしますし、風防が分厚い「防弾ガラス」ならばガラスと推測できますが、たとえばブレニムの、He-111の、ハリケーンの場合、どちらでも可能であろうかと思います。
これらを見分ける方法や資料などご教示いただければさいわいです。
イメージといたしましては、ヨーロッパで、触った時に「冷たくないぞ」とか、ガラスのつもりで扱ったらアクリルで傷だらけにしてしまったとかが、いつ頃まで起きていたものか、砂漠で小傷に困らされたか、どう対処したか(表面硬化アクリル板は当時はありませんよね?)を把握したく存じます。
113 はじめて書き込みますnanasiです。
誰かロアルド・ダールの搭乗機って知っていますか。
教えてください。
114 失礼します。
キー49に装備された羅針盤の種類をご存知でしたらお教えください。
また、キ−81の武装や防弾はキー48に比べどの様に強化するつもりだったのでしょうか。
115 Me109よりもFW190のほうが性能がうえだったのにMe109のほうがたくさんエースを輩出したのはなぜでしょうか?
116  海軍での百式司令部偵察機の採用・使用形態について質問します。同機は陸軍機ですが,その高性能ゆえに海軍でも使用されたと理解しております。そして、それは一つ前の九七式司令部偵察機と同じです。
 しかし、九七式司令部偵察機は海軍では九八式陸上偵察機(C5M)として採用されたのに対して百式司令部偵察機が零式(又は一式)陸上偵察機となったとは聞いたことがありません。
 では海軍では、どのような形態で同機を採用・使用したのでしょうか。
117 ドイツの撃破王のルーデル氏が戦艦を撃破したというのは本当なのですか? 詳しく教えてください。
118 イギリスの「ソードフィッシュ」雷撃機はいろいろなところで大戦果を上げているんですけど。複葉機や低速だと何かいいことがあるんですか?どうして撃墜されないんですか?教えて下さい。
119 はじめまして。教えてください。

零戦が、飴色に塗装されていたとのことで、賛否両論色々な論議がされていたと思います。

ところで飴色って具体的には、どんな色なのでしょうか?私のイメージする飴色とは水飴の色のことで赤茶っぽい色です。ネット上の色々なページにある色見本で言うと「8B0000 darkred」あるいは「B22222 firebrick」あたりで光沢があるものを飴色と認識しています。もしくはもう少し黄色かかった「A0522D sienna」か「D2691E chocolate」あたりかもしれません。

このような赤茶系(あるいは赤茶+黄)の色が、零戦に塗られていたと論議されている色なのでしょうか?それとも私の飴色に関する認識がおかしいのでしょうか?

どなたか、零戦に塗られていたと論議されている飴色がどんな色かお教えお願いします。
120 日本海軍、一式陸攻11型の航続距離と燃料給油方法について教えて下さい。

緒元性能表によりますと燃料満タン 4780リッターで、[攻正]2852km、[攻過]4287kmとなっています。
この意味は攻撃状態(搭乗員7名、火器有)で、爆弾1000kgを携行した攻撃飛行での航続力2852km。
偵察状態(搭乗員7名、火器有)、爆弾携行無しでの航続力4287kmとの解釈で正しいのでしょうか。
この場合、単純計算しますと爆弾100kgあたり航続距離が約140km低下することになるのですが、この考え方は正しいのでしょうか。

また、8個あるインテグラルタンクへの給油口はそれぞれの8ヵ所に分かれていたのでしょうか、それとも給油口は左右1個ずつあって、空になっている1号タンクから4号タンクへ順に満たされていったのでしょうか。

ご存じの方おられましたら宜しくお願い致します。
121 航空機関係の掲示板に初めて質問させて頂きます。よろしくお願いします。
流星の防弾装備についてです。何かの資料で、流星には防弾装備がなされている記述を見たのですが、流星に関する情報量の多い「流星戦記(大日本絵画刊)」には、防弾に関する記述がありません。以下、ご回答頂ければ幸いです。
@防弾装甲のある箇所は?厚さは?
A胴体燃料タンクの防弾装置は?ゴム被覆?自動消火装置?
B翼内燃料タンクの防弾装置は?ゴム被覆?自動消火装置?
C防弾ガラスの取付箇所は?前面?厚さは?70ミリ?
D@〜Cの出典先は?

過去に同じ質問があれば、ごめんなさい。
どうぞよろしくお願いします。
122 ホーカー・フューリーのプロペラ径についてお伺いします。
佐貫亦男「続・飛べヒコーキ(文庫版ではp.71〜)」に
「フューリの形態を見てすぐわかることは、脚の長さである。この長い脚はまた長いプロペラのためで、その直径は約三メートルある。これはエンジンのロールスロイス・ケストレルIIS五二五馬力が減速しているためにちがいない。この程度の馬力で三メートルのプロペラは長い。高速戦闘機のプロペラはどちらかというと短いほうが有利で、軽爆のハートと同じエンジンを使ったフューリの最大速度がもう一歩伸びなかった理由はこの辺にあろう」とあります。
数値を探ってみますと、
フューリーI ケストレルIIS 525HP 207mph
フューリーII ケストレルIV 640HP(690HP?)(マッシュルーム社Fury&Nimrodによる。馬力はウィキペディア英語版のFuryから。On Silver Wing によるとケストレルVI、696HP)  228mph (燃料タンク増設時223mph)

減速比はフライト誌アーカイブ
http://www.flightglobal.com/pdfarchive/view/1937/1937%20-%201712.html
によるとこのあたりの型番で共通で、0.632/0.533/0.477です。ただし、ハート/フューリーでどれが使われているのかはわかりません。
プロペラ径は断片的に記述しか見つけられずにおりますが、
Hawker Fury 10 ft. 6 in
Hawker Hind/Demon 10 ft.10 in
(ちなみにグラジエーターMk I でも10 ft 9 in あります)
といった数字が拾えました。

Q1 ハートとフューリーの減速比はいくつだったのでしょうか? ハート0.477、フューリー0.533でよいのでしょうか?
フューリーの減速比が0.477または0.533だった場合、もしこれを0.632にしてプロペラを小さくしたら、それ自体の効果としてどの程度の増速が見込めたものでしょうか。また脚の短縮も合わせるとどんな感じになりましょうか?
その場合、プロペラ径はどの程度に落ち着いたものでしょうか?

Q2 当時、こうした検討はなされなかったのでしょうか?(マッシュルームのHart Familiy と Fury&Nimrod、On Silver Wings では、エンジン換装や支柱の洗練、後退角つき上翼のテストなど出てきますが、減速比とペラ径についての記述がありません)。
それは、戦間期の予算不足・危機感不足・生産数の小なるに由来し、もしも状況がよりシビアであれば、減速比とプロペラの洗練が検討されたと考えてよいものでしょうか?
123  (ことにイギリス単発機における)コンパスについて改めて質問させていただきます。

 グラジエーターやファイヤフライでは、操縦桿の奥に、盤面が水平になった円筒形のコンパスがあります。これはジャイロコンパスでなく、磁気コンパスか地磁気誘導コンパスと考えてよいのでしょうか? 磁気コンパスと地磁気誘導コンパスのどちらでしょうか?
 対してスピットなどではジャイロコンパス+方位計ですよね。これらはどのような経緯や背景、理由で実用化されたものでしょうか?
124 瑞鶴戦闘機隊・零戦22型・機番「AI-1-108」についてお教え下さい。

初めて質問させていただきます。くだらない質問ですが、皆様よろしくお願い致します。
先日、濃緑色塗装の零戦の金属模型を入手しました。
パッケージには「Type22 Zuikaku AG Truk Island 1944 」と書かれています。
一水兵だった叔父がトラック島で戦死している事もあり、
「叔父もこの零戦の実機をトラック島で眺めた事があったかも」と想像すると、
この機体の搭乗員の方と機体自体のその後に非常に興味が湧いてしまいました。
模型の箱の説明やネット、手持ちの零戦関係の書籍を調べましたが、
この機体については何も情報を得られませんでした。
どなたか昭和18年トラック島の瑞鶴戦闘機隊所属、機番「AI-1-108」の
零戦22型について、何かご存知の方はおられませんでしょうか。
本当にくだらない質問ですが、どうぞよろしくお願い致します。
125 イランのF-14は、ホークを搭載しているとのことなのですが、イルミネーターは、どのようにしているのでしょうか?
(AN/AWG-9が行う?イルミネーターの機能を有するポッドを搭載?地上のイルミネーターを利用する・・・・)
よろしくお願いします。
126 いつも勉強させて頂いております。
以前このコーナーで、中島飛行機では零戦五二型乙を生産していなかったとの記述がありました。
 それでは、学研の「零式艦上戦闘機2」の製造番号リストにある、中島「2852〜2982」「2983〜91214」「41460〜11600」は何型になるのでしょうか。
127 航路計について。

海軍機には航路計、定針儀、羅針儀が搭載されています。
航路計の使い方ですが、いまひとつ分かりません。

真珠湾攻撃の時、飛行中の97艦攻の機上でハワイの音楽を受信し「その電波に合わせて行け」と淵田中佐が指示しているシーンがありましたが、これは航路計の指針を合わせるとの意味で宜しいのでしょうか。

また、攻撃後空母に戻る時に空母から電波を出し、その電波を航路計の示す指針に合わせて空母の方向を特定すると聞いたことがありますが、この場合、敵に空母の位置を悟られないのでしょうか。

いまひとつ、羅針儀と定針儀の違いがよくわかりません。

ご存じの方、宜しくお願い致します。
128 WW2当時の零戦搭乗員について、「零戦には(当然)トイレがないので、落下傘にオシッコした」などという話を聞いたことがあります。
長距離侵攻作戦に従事した彼らにとって、トイレ問題は深刻だったでしょう。

ところで、同じように長距離を飛んでB-29の護衛に当たっていたP-51Dのパイロットたちも、同じ問題に悩んでいたと思うのですが……
どなたか、その辺の体験談などご存じないでしょうか。
129 質問No.120の追加質問させて下さい。

早速「中攻史話集」を購入して1番機の須藤機長の回想を読みました。

その中で不時着のやむなきに至った訳として、
   1.出発前に各タンク燃料の積み具合等整備員に点検させました。
   2.胴体下の増設槽の状態は見ていなかったのではないかと思います。
のみ書かれていました。

燃料を点検させたと書いてありますが、給油させたとまでは書いていません。
また、原因が増設タンクが空であったと示唆しています。

不時着時に「タンクのひとつが空だった」との会話からして、空だったのは増設タンクではとの思いが裏付けられたように感じます。
なぜなら1号〜4号はペアーで2個ずつあり、単体のタンクは増設タンクしかないからです。
また左右の翼内にあるタンクの一つが空の場合は機体の左右バランスが狂って飛行に大きく影響すると思うからです。
硫黄島に郵便を届けた機長の回想からも機体内に積む荷物をバランス良く積まないと墜落の危険すらあると読んだことがあります。

しかも1号〜4号タンクには機内にそれぞれ油量計が設置(8個)されており、簡単に確認できますが、増設タンクの油量確認は別方法だと思うからです。



これを前提にして質問させて下さい。

一式陸攻撃を増設タンクを使用して飛行する場合、9個の燃料タンクを燃料コックで切り替えて順に使用しますが、この場合の使用順番は胴体から遠い順だと思うのですが正しいでしょうか。

1.翼左右4号タンク(翼内で胴体から遠い位置にある)を使用。
2.同様に3号、2号の順で胴体から遠い順から先に使用。
3.翼内のタンクを使いきった後で、胴体内にある増設タンクを使用。
4.最後に1号タンクを使用(全てのタンクの燃料は1号タンクを通してエンジンに供給されるから)。

となると思いますが正しいでしょうか。
私は上記順番との前提に立って、緑十字機が燃料切れで不時着した原因に対し、再度、次の仮説を立ててみました。
皆様の意見をお聞かせ頂けたら幸いです。

1.当初の米軍からの命令は零式輸送機22型L2D3(燃料満載航続距離4860km)であった。
この機体でも伊江島までの片道無給油飛行は可能であったが、日本側は機体変更にこだわった。
2.日本側は命令書に伊江島での給油の記載が無かった為、往復無給油が可能な増設タンクを付けた一式陸攻撃(航続距離6000km)2機を用意した。
伊江島まで行った後で給油が受けられなかったら恥であり、帰路の燃料が無くなってしまうから。
(終戦に納得していない友軍機からの攻撃が考えられる為、途中の給油は不可能だったから機体変更にこだわった)
3.不時着した1番機は出発時の混乱(使用機体が友軍機からの銃撃等で2転3転した。)により増設タンクへの給油がされていなかった。
4.1番機の須藤機長は、増設タンクを含めてフル満タンと理解していた、あるいはフル満タンとの報告を受けていた。
この為、出発前の燃料確認で常設タンクが満タンであった為、増設タンクも満タンとの思いこみをしてしまった。
5.伊江島まで迂回飛行(約2500km)をし、到着時点で燃料確認した所、満タンのはずの増設タンクを含めて、まだ半分強の燃料がある事が確認できた為、伊江島での燃料補給は不要との判断で給油を希望しなかった。
(須藤大尉は横須賀の士官であり、機体変更の経緯を知っていた、また教官も務めたベテランであった為、燃料が半分強あけば余裕をもって飛行可能と判断した。)
6.帰路の途中で2〜4号タンクが全て空になり、増設タンクに切り替えた時点で増設タンクが空であることに気がついた。


この仮説は二人の搭乗員の回想と矛盾する点があります。

1.無事木更津に帰還した2番機機長の河西兵曹長回想(伊江島到着まもなくの出来事)
「分隊士、燃料をくれるそうですが、どの位もらいますか」
「1〜5番まで満載しておけ、100オクタン価の良いガソリンがあるから遠慮しないで良い方をもらっておけよ」
「分隊士、全部で何ギャロンだって言うんですが」
「4リッターが1ギャロンだから換算してみろ」
「ハイ、わかりました」

この後、下士官用の寄宿舎に案内されて夕食を摂った。


2.不時着した1番機の駒井上飛曹回想(伊江島到着の翌日の出来事)

伊江島到着の翌日、午後1時過ぎた頃、軍使一向がマニラから伊江島に向かっているので到着次第出発するので、帰国フライトの準備をしてくださいとの電報あり(要約)。

あわてて帰国準備に入った。
搭乗整備員にガソリンタンクの構造が違う、燃料積み込みを間違えるなよ、日本のガソリンはブルーだアメリカはピンクだ、リットリとガロンだ、計算を間違えるなよ、積載量は「満タン」だとアメリカ兵に頼んでくれ、などなどと念には念を押しましたが、後で大事件になるとは・・・(要約)。

この矛盾点に対し、まず河西兵曹長の回想は具体的で信頼性が高いと思います。
何故2番機は迷わず給油を希望したかですが、河西兵曹長は木更津空の下士官であり、零式輸送機から一式陸攻に変更した往復無給油との経緯にこだわらず、ちゃっかり頂けるものは頂こうとの現実的対応をしたものと推理します。

では、1番機の駒井上飛曹の回想ですが、不自然な点として。
1.2番機は伊江島到着後すぐに給油しているのに、1番機は翌日の午後出発が迫ってからの給油と回想しており不自然に感じる。
2.整備員にこと細かく指示しており、念には念をいれたのなら油量を自分で再確認しなかったのは不自然。
回想は不時着という結果から逆に導きだしている感じもします。

横須賀空で士官の須藤大尉はは往復無着陸を前提とした一式陸攻への機体変更にこだわって、
当初のプラン通り伊江島での給油をしなかったのではないのだろうか・・・。

これが私の仮説です、長文で申し訳ありません。

皆様の意見を聞かせて頂ければ誠に幸いです。

世良拝
130 零式水上観測機が実際に弾着観測に使われたことは本当になかったのでしょうか。
131 十二試陸上攻撃機(一式陸攻)開発の時に海軍は三菱の四発機案を一蹴していますがこれは中島の十三試陸上攻撃機(深山)の開発と関連しているのでしょうか?
132 飛行と雲について2点、お伺いします。

1 電波やレーザーによる測距が実用化される以前には、雲底高度・雲頂高度は(地上から、また機上から)どのようにして計測されていたのでしょうか?

2 ラジオ航法が実用化される以前、昼間に高々度雲上飛行する場合(地面海面は見えないものとして)の偏流補正は、天測のみしかなかったのでしょうか? その場合、観測対象は太陽のみだったのか、それとも他にも使われた天体がありましょうか? 期待できる精度はおおむねどの程度のケタだったのでしょうか。
あるいはまた、天測以外の補正方法もあったのでしょうか?
133 エンジンの液冷水冷の別についてお伺いします。航空機用は液冷、昔の飛行機と自動車は水冷となんとなく把握しておりましたが、根拠が気になりました。
「水でない液体100パーセント」と「水」がそれぞれ液冷・水冷になるのはわかるのですが、例えば50:50の混合、自動車のように水にわずかに水でない液体を加えている場合など、どう呼称されるべきでしょうか? 
Water Cooling と Liquid Cooling の使い分けとも一致するものでしょうか?
また、液冷にするそもそもの理由は何だったのでしょうか? 常圧で沸点を高めることなのか、沸点を高めるために加圧しても漏れにくくなるように粘り気を持たせるためなのか(流れも悪くなるか)、高空で凍りにくくするためなのか、それとも案外、冬季夜間に二時間おきの暖機運転をしないですむように、だったのでしょうか?
134 もう一つ、スーパーチャージャーについて教えてください。

1 Fully supercharged と Medium supercharged はどう区分される(圧縮比? 過給圧? 閾値は?)のでしょうか。

2 http://www.flightglobal.com/airspace/photos/aeroenginespistoncutaways/rolls-royce-kestrel-supercharger-cutaway-5684.aspx なのですが、ケストレルなので、ファルマン式以前フーカー技師以前で、一段一速と思われます。なのに、「LAYSHAFT GEAR AND CLUTCH」があります。これはどう使われたものなのでしょうか? それとも、私が知らぬだけでケストレルにも一段二速式があり、この図はそれを示しているのでしょうか?

3 両段とも機械式の二段式過給機の場合、
3a エンジン本体に近い方が「2nd stage で primary」エンジン本体から遠い方が「1st stage で secondary」でしょうか、
それともエンジン本体に近い方が「2nd stage で secondary」エンジン本体から遠い方が「1st stage で primary」でしょうか。

3b 二段二速式という場合、
ア「低空で小、高空で大」の切り替え、
イ「一段は常に稼働、高空でもう一段を追加して併用」、
ウ「低空で小、中空で大、高空で大小併用」(機構上2速だが選択肢としては3速)
のどれが一般的だったのでしょうか? それともエンジンごとにいろいろだったのでしょうか。

3c 「使わない段」がある場合、羽根車は固定されたのでしょうか、それともフリーになっていて受動的に回転していたものでしょうか? また一段と二段の軸がズレているなどして(http://www.flightglobal.com/airspace/photos/aeroenginespistoncutaways/rolls-royce-merlin-supercharger-cutaway-5685.aspxのようでは”なく”)、バイパス通路が使われた例もあるのでしょうか?

4 ファルマン式過給機の良さというのは、単に二速であるという点にあるのでしょうか? それとも、羽根車や軸受け構造などでも進んだ点があったのでしょうか? 

5 やや関連して、ロールスロイス・ペリグリンなのですが、ケストレスXYZでなく、新たな名称が与えられたのはどういう理由からでしょうか? 単にロ社が力んだだけなのでしょうか?
それとも、過給機が従来のロ社内製からファルマン式(を一速に簡便化したもの)に変更されて、だから、新名称などということがあるでしょうか?

6 http://www.flightglobal.com/airspace/photos/aeroenginespistoncutaways/rolls-royce-merlin-xx-supercharger-cutaway-5686.aspx は、普通のマーリンXXではなく、試験的にターボスーパーチャージャーを搭載したものの図と解してよいでしょうか? これは並列式のツインターボなのでしょうか、それとも左バンクからの排気路は省かれているだけでしょうか? また吸気路からして、機械式の一段目はなかったと考えてよいものでしょうか?
135  WW2での航空基地設営について、質問があります。

 日本海軍では、基地の滑走路を設営するとき、舗装するのではなく鉄板を敷き詰める方法を試したことがあるそうですね。でも爆撃を喰らったときに鉄片が飛び散って「かえって危ない」とすぐやめちゃったとか。

 でも、米軍も同じ手法を使ってるんですよね。穴あき鉄板を並べて滑走路を造っていたはず。

 米軍では鉄片が飛散するのは問題視されなかったんでしょうか。
136 かつてないほどに軍用機が長寿命な現在と違って、WW2の頃は日進月歩で2年ほどが戦闘機としての性能的な限度だと思いますが、実際にこの時期の戦闘機は機体の寿命というか、用廃までに飛行時間何時間ぐらいを想定したんでしょうか?
また、零戦などはその飛行時間以前に、この部分にこんな症状が出たら用廃とかの基準などはあったのでしょうか?
137 零戦のプラグコードについて教えて下さい。
芯線に紙を巻き、塗料を塗っただけ、という記述を読んだことがあるのですが、
坂井三郎氏がフィリピン攻撃の帰途、豪雨の中帰投したと著書の中にありました。
現在の自動車のように点火プラグに抵抗が入ってはいないと思いますが、
防水が不十分であれば高電圧の電流はプラグに流れるよりリークしてしまうように思います。
また、ゴムやビニールを使わずに防水性のあるプラグコードを実用化していれば
それは立派な技術だと思います。
このあたりについてご存知の方、よろしくお願いします。
138 日本海軍機のマーキングの書体についての質問です。
灰色塗装以前・銀塗装の機体に使用された、数字・アルファベット・カナの
標準書体の見本のようなものありますでしょうか。
時期により違うのはもちろん各機ごとに微妙に違いますが、ある程度の
統一性はあるようなので、何らかの標準はあったと思います。
現在使われているフォントには合致するものないようなので、
イラストレーターで作成中ですが資料が少なくご存知の方、お願いします。
139 紫電が開発された背景なのですが、次の2つの内どちらでしょうか。

1. 雷電の失敗に備えるという海軍の明確な意図の下に開発
2. とにかく、川西に戦闘機開発の実績を積ませるという方策の下に開発

また、零戦の後継機が事実上、紫電改になってしまったことについて、三菱はどのように思っていたのでしょうか。
140 ネ20のネとは何の略なのでしょうか?
141  イギリス戦闘機のリング型操縦桿の射撃レバー/ボタンについてお伺いします。 グラジエーターより以前ですと一機銃あたり一レバーがリング下部にあり、両親指で操作するように思われます。グラジエーター以降はボタンひとつになりますが、リング左上に位置し、左手親指で操作するように思われます。つまりいずれも、左手でスロットルを操作している時には射撃しないものとされているように見受けられます(前者において右機銃だけなら撃てますが・・・)。
他方で、いくつかの日本戦闘機では発射装置はスロットルレバーにあります。

Q1 グラジエーター以前の独立レバーは、リング両側を普通に握った際には小指のあたりに位置し、親指で押しにくいように見受けられるのですが、実際はどうなのでしょうか? 誤射予防にあえてそうしていた、ということもあり得るでしょうか?

Q2 戦闘中、英機では原則として両手で操縦桿を握っており、必要な時のみ、左手を操縦桿から放してスロットルを操作する。日本機では原則として右手は操縦桿左手はスロットルで、大きな操舵力が必要な時のみに左手も操縦桿に添える・・・という思想と思われますが、これで合っていますでしょうか?

Q3 2は、英機では「空戦時は大きなエネルギーを失うに決まっているのだから、ずっとフルスロットル。必要時のみパワーを絞る」、日本機では「細かくスロットルを調整する(たとえば宙返りの後半で絞るなど)」といった思想ないし慣習を背景としたものと考えてよいものでしょうか? 

思うところありハンドルネームを変えさせていただきました。頻繁な変更は致しませんのでご容赦ください。
142 1943年6〜11月のソロモン航空戦について調べています。
この時期、同方面で活躍していた零戦装備の航空隊は、201,204,251,253,582の各隊だと思うのですが(母艦飛行隊除く、見落としご容赦)、各航空隊が装備していた零戦の型(21型、22型等)を調べる上で有益な情報があればご教示下さい。
143 (草地管理の関係上、中部ヨーロッパを前提として、かつ、前線の一時的なものでなく、恒久的な飛行場について)飛行場がただの草地から舗装された滑走路を備えるようになっていた経緯についてお伺いします。

Q1
たとえば、滑走距離の増大と運行回数の増大による「踏まれる頻度」の増大、管制して向きやコースを指定することによる特定箇所への踏圧の集中、夜設による特定箇所への踏圧の集中、機体の大型化による踏圧の「圧力の」増大、機体の大型化による転圧の必要性の発生・・・
さまざまな負荷が考えられるように思われますが、何がどの程度の重みを占めていたのでしょうか?

Q2
舗装化はどのような順番を辿るのが一般的だったのでしょうか? 枯れたところを転圧してみて、それでは足りずに砂利を入れて転圧して、それから舗装というように手探りというか、ツギハギ泥縄式に進んだのか、それとも理詰めの「設計」によって一気に舗装へといったのでしょうか?
舗装材料のアスファルトとコンクリートは使い分けられたのか、入手できたものが適当に使われたのか、土にセメントを撒いて濡らして転圧するような簡易的な舗装は使われたのでしょうか?
135では転圧に関して6トン、10トンといった数値が紹介されていますが、この単位面積またはローラーの幅はいかほどだったのでしょうか。

Q3
舗装滑走路が出来てしまった後で、旧式の練習機などの尾ソリ式の機体を運用する場合、尾ソリがすり減るのは構わず滑走路へ下ろすものだったのか、それとも、草地へ下ろしたのか。そうした機体の離着陸距離を勘案して「舗装する部分、しない部分」をデザインするのが当然だったのか、それとも、滑走途中で舗装部を横切っては尾ソリから火花をあげるのは普通だったのか、気にせず作っても降りるための長さは不足しなかったものでしょうか?


144 連続投稿失礼いたします。
英双発機の内翼ラジエター配置のホワールウインドからモスキートへの継承ですが、ウェストランドの誰かが発想したのか、官側からの指示だったのか、デ社からウェ社へなんらかの仁義を切ったのか否かなど、おおまかな経緯をお教えいただけませんでしょうか。
また、モスキートでは外翼前縁より内翼前縁を前進させていますが(ホワールウインドでは前縁ラインはおおむねまっすぐ)、どういう理屈でどういう効果を狙ったものなのでしょうか。
145 グレナダ侵攻についてです。
参加したUH-60が23mm機銃弾を数十発被弾して生還した例があったと思うのですが、それのレポートなどがあれば教えていただけないでしょうか。
146 日本のパイロットについての質問ですが。開戦から終戦まで生き延びた艦攻のりや陸攻のりはいるのでしょうか?艦爆のりは小瀬本など数名いるようですが。
147 大戦機などのレシプロ機を見ると、胴体内タンクが小さいというか控えめなのが気になります。操縦席後ろから尾翼まではスカスカの空洞みたいです。
 SR71とかMig25などが、胴体といわず主翼といわず隙間を稼げるところはギッチギチに詰め込んでいるのとはずいぶん対照的です。ジェットのほうが燃料消費量がはるかに多いとしても、なぜもっと、胴体内タンクをレシプロ機では大きくしなかったのでしょうか。
 燃料消費による重量バランス変化がジェットより過敏なのでしょうか。紫電改など足が短い短いと問題にするならもっと胴体につめばと思ってしまうのですが。どなたか教えてください。
148 松本零士氏の作品の中でFw190のパイロットが高々度飛行中僚機に
「飛行機雲を引いているから排気を絞れ」と指示するシーンがあるのですが
これは具体的にどんな操作なのでしょうか。
自動車用ディーゼルエンジンの排気ブレーキ時に閉じるバルブと同じような
仕組みがあるのでしょうか。
飛行機雲を消す装置があるとすれば軍用機に限られると思います。
決して松本氏の作品をどうこう言う気ではありません。
よろしくお願いします。
149 数年ぶりにお世話になります。

テレビや映画などを見ていると時折レーダーの画面が写り、
航空機が「三角」や「□もしくは×に方向と速度を示す線」などで表示されていますが、それらは何と呼ばれ、どのような規格があるのでしょうか?
また、同様に船舶についてはどのようなものがあるのでしょうか?

地上の装甲車や戦車などの位置を示すミリタリーシンボルというものがありますが、航空機や船舶はどのように扱われるのでしょうか?

よろしくお願いします。
150  (大戦期の全金属製セミモノコック、ストレッチを予期した平行部はない、を前提として)「胴体後部の延長」についてお伺いします。
 エンジン換装や機首部の延長にともなう、重心のツジツマをあわせるための胴体後部の延長ですが、当時、どのように延長するのが一般的だったのでしょうか。
 単純化して、「(コクピット後端や主翼後端などの)胴体後部の前端」と「(尾翼取り付け部すぐ前のリブまでの)胴体後部の後端」まで直線テーパーだとして、
1 「胴体後部の後端」のさらに後ろにリブを追加すると、尾翼まわりまで改設計が必要になります。
2 胴体後部の中間のどこかに延長部を挟み込もうとすると、「テーパー・平行部・テーパー」となってしまい、ラインが崩れます。
3 かといって、「胴体後部の前端」の幅と「胴体後部の後端」の幅を改装前と同じとして、テーパーを緩くして長さを増そうとすると、胴体後部全体が改設計になり、大事です(そしてまた、「胴体後部を延長した」というより、「より長い胴体後部に設計し直した」ということにもなるような気がします)。
 一長一短あるように思えますが、どういった背景に基づいて、どれが選択されることが多かったのでしょうか?
151 大戦後半に日本側高性能エンジンに付加された水メタノール噴射機能ですが、これらのエンジンが水メタを使わない場合の最高出力/回転数はどれぐらいになるのでしょうか?
水メタを使わないベースのエンジン並みでしょうか?
それとも設計見直し等で水メタが無くても凄いのでしょうか?

どうでも良いことかも知れませんが、金星、火星、誉、栄などについて教えて下さい。
152 空中給油についてお聞きします。
1)大日本帝国の陸海軍航空隊において、空中給油の実験が行われたことはあったのでしょうか?
2)給油機として改造された試作機はあったのでしょうか?
なにとぞよろしくお願いします。
153 九七式艦上攻撃機における爆弾の搭載について疑問があります。
「60kg×6」と書かれているものが多いですが、稀に「250kg×1+60kg×6」としているものがあります。
どうも真珠湾攻撃の時「250kg×1+60kg×6」で出撃したらしいのですが、どこにどうやって搭載したのか疑問に思えます。(60kg×6で一杯一杯っぽく感じます)

1.真珠湾攻撃の際、「250kg×1+60kg×6」での出撃はあったのでしょうか。
2.そもそも九七式艦上攻撃機は「250kg×1+60kg×6」を搭載できたのでしょうか。できたとしたらどのように搭載したのでしょうか。
3.「250kg×1+60kg×4」で出撃したと書かれているものもみるのですが、それは実際あったこともしくは搭載可能なのでしょうか。
154 大戦末期の英機動部隊によるバレンバン空襲について教えて下さい。
迎撃する日本側と攻撃するイギリス側の損害はそれぞれどれくらいだったのでしょうか?
また参加した機種を教えて下さい。
けっこう日本側が活躍したということと精油所が大きな被害を受けたということをチラッと眼にしたぐらいなので、正確なところが知りたいです。
155 みなさん、こんにちは。
いつも楽しく拝見させていただいております。
さて、一点疑問があり、皆さんのご意見を拝聴いたしたく書き込ませていただきました。
光人社 NF文庫 ”知って驚く飛行機の話”(飯山幸伸氏 著)においてP-51の性能についての章があります。
概要としては、「P-51の高性能の源は層流翼ではなく、ラジエーターの搭載位置にある」というものなのです。そこから一部引用いたしますと、
「エンジンやオイルの熱を奪った後の排気がはき出されるのだが、これがほかの液冷エンジンと比べると、無視できないくらいの推力を生み出していたというのである。」
「それがムスタングの場合、冷却系の排気まで推力として活用・・・今に伝えられる効果は、排気のシャッターを開いている場合と閉じているときでは、時速にして五十キロほども差があったとさえ言われている。」
(以上、原文のまま)

いったいどういう理屈で、機体内に取り入れた走行風(とは自動車の場合ですね、飛行機の場合はなんと呼ぶのでしょう?)が推力に変わるのか、私には理解できないのです。
「ラジエーターやオイル・クーラーを通過した空気は高温になるから」と読み取れるような文章も見られますが、およそ1000℃にも達するエンジンの燃焼ガスの排気を推力に利用したところで、最高速は10〜20キロ程度しか向上しないようですが、おそらく100℃(現代の自動車で110℃程度)を大きく上回らない冷却水を冷やした空気がそんなに大きなエネルギーを持つものなのでしょうか。
ちなみに、シャッター開閉のどちらの状態が高速なのかの記述はありませんでした。文章を素直に読むと、シャッター開時の方が高速となるように推測できますが、私には単なるシャッター開閉による空気抵抗の変化による最高速度の増減に思えてしますのですが、皆さんはいかがお考えでしょうか?
156 ルーデルの戦績がありえないとおっしゃっていますが、一般のスツーカ乗りの戦績はどれほどなのですか?
157 久々に質問させていただきます。

北朝鮮に対する所謂自衛隊の「敵基地攻撃能力」なのですが、
日本が単独で行う場合
「F-2はカタログ上では可能だが、誘導弾を使用できないことに起因する
爆撃の有効性の問題や情報収集の問題、
発生するであろうイレギュラー(敵の迎撃など)を考慮すると現実的とはいい難い」

との論をよく耳にします。
しかし、イスラエルによるイラク原子炉爆撃の例を見れば、判明しているいくつかの目標に爆弾を落として
帰ってくることは十分可能なように思えるのです。
情報収集や政治的問題はさておき、
北朝鮮が攻撃予告の上核搭載ミサイル(自称)にこれ見よがしに燃料を注入し始めた場合などに
日本が航空攻撃によってこれを破壊することは現実的に可能なのでしょうか。
158
質問その1
F-4代替やF-X導入候補としてタイフーンが上げられる際、

1、メートル・インチの違いによる部品の規格の違いによる整備の煩雑化
2、現在使用されている米国製兵器とのシステムのすり合わせ
3、航路で紛争が起こった際に欧州からのサポートが受けられなくなる可能性

などが問題として挙げられますが、
ライセンス国産と国産電子システムへの改修が認められている状況で
2,3はどの程度の問題になるのでしょうか。
また、複数の系統の機体を運用している国もありますが、1の問題はどの程度重要なのでしょうか。

質問その2
F-22の導入が認められない場合、F-Xにはどのようなものが導入されるのでしょう。
やはりタイフーンでは能力不足でしょうか。
159 彗星の開発話を読むと熱田21型は、高温高圧冷却に変更したのでウォータージャケット等設計変更で苦労したとあります。
しかし、Bf109搭載のDB601はともかく、飛燕のハ40も高温高圧冷却で設計変更したって聞かないと思います。
ハ40とアツタでは基になったDB601の仕様が違うのでしょうか?
DB601も冷却方式が変わっていったようなので、それと関連があるんでしょうか?
He111の冷却はどうだったんでしょうかねえ。
160 Mig25やF15などの二次元型インレットの上面の、主翼と一体に
なった部分に後退角が無くて、進行方向にほぼ正対してるのは
なぜですか? 教えてください。
161 マリアナ沖海戦について質問です。
日本側が爆装零戦を使用しており、零戦の爆装率は79/196機(42.5%)ぐらいだったようですが、翌日のアメリカ側攻撃でも爆装F6Fが使われており爆装率は39/92機(42.4%)と似たような数字になっており、とても興味深いです。

質問1.爆装F6Fが大量に使用された理由は何だったのでしょうか?

質問2.同じくアメリカ側攻撃のTBF/Mにも爆装機があったようですが、57機中の爆装率はどれぐらいだったのでしょうか?また雷装出撃されなかった理由は何でしょうか?


なんとなく想像するに、日本側と同じで航空隊の拡大によって速成性が尊ばれて戦闘機が多かった?軽空母(F6FとTBF/M)からは雷装機の発艦が困難だった?などの理由が考えつきます。
あるいは、命中率等の別の理由で爆撃が優先された結果なのでしょうか?
ご回答、よろしくお願いします。
162 大東亜戦争以前の航空機の計測方法について質問があります。
当時の航空機は正規全備状態、公称馬力で計測されましたが、
この事を証明する資料が下記の資料に記述されていると聞いたのですが、
それは本当でしょうか?

1929年の内令 へい(兵?) 三六(三十六?)号

そうであればこちらの正しい名称と、
このような資料を閲覧できるような場所があるとすれば
どこへ行くべきなのか、教えていただけないでしょうか?
163 B-17Fの側面銃座ですが、射撃時に窓ガラスはどこにどのように収納するのでしょうか?
164 昔テレビ番組で見たんですけど、米軍がジャングルなどの空中にワイヤーをはり、それに引っ掛けて着陸(もしくは着艦?)したという話を見たのですが、それがどんな名称かご存知ありませんか?映像もあったはずなんですけど・・・
165 初心者ですいません。

現代の飛行機で高度15000m以上を飛ぶジェットが多々ありますが、そのような高度を通常通りの飛行をして機体に悪影響は無いのでしょうか?
そんな高度を高速で飛んでいると必ずどこかは故障しているかと思うのですが・・・。
166 零戦52型のカウリングの銃口の脇の細い白線は何の標識でしょう。操縦席からはよく見えないように思いますが、照準用でしょうか。
167  陸軍は海軍よりも航空機用の機銃の生産力が劣っていたのでしょうか?
隼I型では12.7ミリの生産に苦労したり(零戦も20ミリで苦労していま
すが生産数がずっと多い)、紫電が量産期では20ミリ×4ですが、疾風は
20ミリ×2、12.7ミリ×2(後期生産型は20ミリ×4ですが機銃の生産が間
に合わず従来どおり20ミリ×2、12.7ミリ×2のものも多かったと聞きます)

 だとする隼が機関砲を搭載可能だとしても機銃生産的に搭載困難な状態が
想定でき、結果論的に機首12.7ミリ×2は正しかったとの考え方は成り立つ
でしょうか?
機首に12.7ミリ×2しかできなかったのは
168 皆様こんにちは、久しぶりに質問いたします。前の質問の続きみたいですが、
1.日本海軍はホープである紫電二一型以降に対して「ゼロ戦より作戦距離が劣る」ことに不安や改善もしくは「零戦並みの航続距離を持たせよう」との意思を持っていましたか? この飛行機は局地戦闘機としての開発から甲戦闘機としての使用になりましたが、海軍はこの航続距離で満足していたのでしょうか。a,またA戦B戦構想に対して甲乙丙戦には航続距離の規定がありましたでしょうか。 2.「20年度次期戦闘機」の高硬度戦の表をみるとちょうど1000リッターほど機内に燃料を積んでいるようですが、紫電改の外翼や機体後部などにあと250リットルほど燃料は積めますか。何卒ご回答の件宜しくお願いいたします。
169  単発レシプロ戦闘機の射撃照準について質問します。単発レシプロ戦闘機の火器(機関銃、機関砲)から発射された弾丸は何メートルか前方で一点に集中すると聞いています。
 そうなると敵機の真後ろ且つ至近距離に迫った場合、機軸に近い火器(例えば、カウリング上にあるもの)はそのまま撃てば良いと思いますが、主翼のプロペラ圏外にある火器は撃っても、弾丸が敵機の両側をすり抜けてしまうの可能性があるかと思います。
 すると、そうならないように、片側の主翼だけの火器から発射された弾丸が当たるようにパイロットは何らかの工夫をしたのでしょうか、それとも、照準器にそういった場合に使う何らかの機能が施されていたのでしょうか。
170 欧米の戦闘機には巡航速度が400キロ後半から500キロ台が珍しくないのに、零戦やF4F、F6Fといった艦上戦闘機の巡航速度が200キロ後半程度しかないのはどうしてでしょうか?
また、一般に長大な航続距離を謳われている後者が欧米戦闘機並みの高速で巡航させると、前者との差はどの程度縮まるのでしょうか?
171 皆様にとっては常識かと思われるものですが質問させていただきます。
戦闘機での編隊は二機編隊のロッテや三機編隊のケッテなどが有名ですが、爆撃機の編隊(連合枢軸問わず)は何機だったのでしょうか?
例えば、米艦載機のヘルダイバーでしたら、何機で一個小隊で、何個小隊で一個中隊なのか、ということです。
ご教授よろしくお願いします。
172 零戦についての書籍の題名について質問です。
十数年前に発売されたと思うのですが、後半に服部省吾氏の書かれた記事があり、
その中で坂井三郎氏や加藤建夫氏はよい教育者だった、ハンス・ヨアヒム・マルセイユ は
ほとんど僚機に教育しなかったとか空戦十則などの話があったおぼえがあります。
また、扉絵にスピットファイアがBf109かFw190を撃墜しているものがありました。
引越しした際にどこかに紛れてしまったと思いますが、改めて探しても見つかりません。
ネットで検索してもそれらしいものがありませんでした。
「エアロデティール7零式艦上戦闘機」と前後して購入した記憶があります。(1993発行)
どなたかご存知の方、よろしくお願いします。
173 すいません。どうしても解らないのでお教えいただきたいのですが、

Fw190A型は急旋回をしようと試みると高速失速を起こすとありますが、これは単純に翼面荷重の問題なのでしょうか?或いは荷重に関係なくSpitfireの様に翼断面の形状(翼厚?)等が失速を起こしやすいのでしょうか?

宜しくお願いしますm(_ _)m
174 飛燕のパイロットがライトニングに撃っても撃っても中央の穴から弾がすり抜けたというエピソードがあるんですが本当にそのようなことがあるですか?
もしあるとしたら、(飛燕にかかわらず)どのくらいの頻度であったんでしょうか。

175 あのー零戦とか彗星の増倉は燃料を入れた増倉を機体に付けるのでしょうか?
それとも空の増倉を付けておいて燃料を入れるのでしょうか?
176 97重爆2型後期乙の上部銃座について教えてください。

半球形ですが、これは動力銃塔なのでしょうか。



177  アメリカの撃墜王マクガイア少佐の撃墜について日本側から書かれた
資料などはありましたら教えてください。
178 アニメ「大正野球娘。」のエンディングで複葉機が主人公小梅の上空
を飛んでいくシーンが出てくるのですがここに登場している飛行機は
何という航空機なのでしょうか?
179 第2次大戦機のドイツ軍用機のプロペラは3枚のものばかり(見落としがあるかもしれませんが)です。ジェット機時代に入ったからでしょうが、Bf109やFw190の後期型にも存在しません。なにか理由があるのでしょうか。
180 DB605シリーズでA型とD型の違ってなんでしょうか。小モル
181 短期間での2回目の質問失礼致します。

ウエストランド・ワイバーンやデハビランドのツイン・オッター等の水平尾翼に垂直に付いている板のようなものの正体が解らず頭がモヤモヤしております。何か気流をコントロールするものなのでしょうか?

何方かご存知の方いらっしゃいましたらお教え頂きますでしょうか?
よろしくおねがいします。
182 始めまして
以前親が黄色いゼロ戦みたいな複葉機が飛んでいたと言ってましたが、現在国内でその様な飛行機は飛んでいるものですか?
個人的にはピッツ辺りではと思いますが…
此所まで格好良くないとの事で、当方余り詳しく無いので教えて頂けたら幸いです
(親は更に詳しく在りません)
183  翼面積(主翼の面積)について質問します。以前から気になっていたのですが。
 1 多発機のプロペラ機で、主翼にエンジンが直接取り付けられている場合、当該エンジンにはナセルが被せられますが、このエンジン・ナセルに覆われている主翼部分。
 2 主翼と胴体が重なる部分、すなわち、左右の主翼前縁と胴体が交わる点を結んだ線及び左右の主翼後縁と胴体が交わる点を結んだ線、この二つの線に囲まれている部分。
 以上の2つの部分は翼面積に含まれるのでしょうか。
184 日本海軍-中島 特殊攻撃機「橘花」には何故試作機体番号が無いのでしょうか?

機体呼称は機密上から「マルテン」と言われていたようですが・・・

「火龍」キ-201
「秋水」J8M/キ-200
「桜花」MXY7
「剣」キ-115

等々、同様の機体にはちゃんと機番があります

もしかしたら機番あるのでしょうか?

どなたかご存知でしたら教えて下さい
185  続けての質問で恐縮ですが、爆弾倉への爆弾の装着について質問します。以前、Ju88への爆弾の装着作業を写真と図面で見たことがあります(これは主翼下の爆弾架への装着であり、爆弾倉への爆弾の装着ではありませんでしたが)。それによると、爆弾を爆弾架の真下に持って来て、爆弾架からワイヤを垂らし、それで爆弾を引っ掛け、(人力で?)ワイヤを引っ張り上げて装着するというものでした。
 爆弾倉への爆弾の装着もほぼ同様かなと思うのですが、そうなると爆弾倉扉を開き、その下に爆弾を運んでくる訳ですが、B-24のように胴体下面と地面とのクリアランスが小さい機体では大型の爆弾は装着できないことになります。となると胴体側面に扉があって、それを開けて爆弾を装着するのでしょうか。
 また、爆弾架への装着は確実に実施されていなければ危険です。その確認はどうやって行ったのでしょうか。爆弾倉内は、特に爆弾の数が増えると狭くなりますが、その狭い中で、係の人間が目視で確認したのでしょうか。
186 議論ボを見て触発された訳では無いんですけど、P39〜P63のコブラシリーズは最初から最後まで三輪脚ですが、途中重量軽減の為、尾輪式にするという動きは無かったのでしょうか?
187 鹿児島県垂水市まさかり海岸に引き上げられ、鹿屋展示の機体に使用された零戦21型は中島製でしょうか?三菱製でしょうか?
友人に三菱の機体だったと書かれた書籍等が在ると聞いたのですがご存知の方教えて頂ければ幸いです。
また鹿屋展示の元となった垂水市の21型と加世田市の52型の、引き上げ時とその後の修復前の写真等で在る程度判別できる写真が載っている書籍かサイトを教えて頂ければ幸いです。(検索してみましたが小さい写真しか見つかりませんでした)
宜しくお願いします。
188 DB605Lを装備した機体は実在したのでしょうか?
開発状況はどうだったのでしょうか?(ベンチだけ?)
諸説ありますが、最新の研究ではどうなっているんでしょうか?
最近の動向をお尋ねします。
189  いつも拝見しておりますが、皆様に御教授いただきたく思います。
 三式戦(飛燕)について資料を読めば読むほど混乱してきまして、やっとの事で下記の様なイメージにまとまったのですが、この項に関し皆様のご高察を頂きたく思います。

飛燕(キ61)は、
・液冷エンジン(DB601→ハ40)搭載機として計画された。
・軽戦の仕様ではあるが、先発のキ60の影響が彼処に見られる。
・後発の1000馬力級液冷エンジン搭載機としては日本初の試みであり、先に開発された米国のP−40並みかやや優る性能であった。
・機体設計はハ40→ハ140→ハ240への対応が可能なように、冗長性を持たせて設計されていたが、そのエンジン改良は開発、量産の段階で躓き、僅かな数が出荷できたに留まった。
・飛燕は、本来であればハ140を以て初めてバランスの取れた機体となるはずであった。
・数少ない二型改については、速度UPとそれなりの高々度性能を得たが、連合軍のF6F、P51が相手では性能上分が悪かったと思われる。
190 はじめまして。質問させていただきます

戦時中の「飛燕」「疾風」といった帝国陸軍機の名称(愛称?)が一般公募で名づけられたということは、私のような大戦機初心者ですら「常識」として頭にあります。

ですがこの「一般公募」とはいつどのように行われたのでしょうか?やはり当時の公示媒体といえば新聞なのでしょうが、その日付や企画の概要等をご教授願います
191 短期間に再度の質問、失礼します。
このサイトの航空機データベースに、キ64を作る為に飛燕を翼に埋め込み式のラジエターに改造し約40km/h速度が上がったと、書いてありますがその改造された飛燕は何型だったのでしょうか?
それと40km/hも速度が上がったのに何故、改造型は量産されなかったのでしょうか?
192 金曜日に2005年版「キングコング」が放送されましたね
ところで、終盤に複葉機が登場しますが、これの機種は何でしょうか?
所属部隊は機体のマーク(シルクハット)から、恐らくVF-14だとわかりますが…

193 すみません、また質問です
2005年版「キングコング」の劇中で3機の複葉機が撃墜されましたが
パイロットが脱出できたのか気になりました
現代の軍用機にはパラシュートがありますが、この時代の米軍機にパラシュートは
常備されていたのでしょうか?
194 WWII時のターボチャージャー付きレシプロエンジンについて疑問があります。


@航空機の場合、単なる出力向上がメインではありませんが、例えば自動車のようにターボラグがあり、加速性能に若干の支障をきたさなかったのか? (機械式過吸器に対して)


Aこれはターボチャージャーじゃないと思いますが、一部のドイツ軍機に短時間のみブーストをかけて出力アップができると記述されたエンジンを搭載する機体(Me209、Ta152等)がありますが、これはブースト圧を変更できる装置があったことを意味するのでしょうか?
195 連投すいません。急降下爆撃という戦法はいつごろまで使われていたのでしょうか?

戦後の攻撃機を見ても急降下爆撃が想定されてそうなのはAD-1スカイレイダー辺りまでで、ジェット攻撃機だと急降下速度が速すぎて不可能そうに思えます。
空対地・空対艦ミサイルが普及する頃には完全に無くなっているのは明白ですが。。
レシプロ攻撃機が活躍できた時期を考えると1960年代までと思ってます。


196 助けてもらえますか。古いタイや持っていますが どの飛行機のものか、わかりません。「A.M」と書いてありその上に横線がありまたその上に王冠のマーク、サイズが7.50−101/4 戦時中のもだと思います。河口の館長さんにもわかりませんでした。
197 片様 196の返信 及び 写真の送りかたがわかりません。再度書き足します。
アメリカの車のメーカーで「GM]と言う会社があります。それは下に線があります。そのような感じで「A.M」の上に線がありその上に王冠のマークがあると考えてください。また丸の中に「V]の字が書いてあるのもありました。
さきほど間違えたのですが 7.50−10¼でした。ゼロ戦のタイヤより少し大きくつるつるです。ホイルはリヤカー用に付け替えられています。
チューブは当時のBSが入っています。即 ご連絡ありがとうございます。よろしくお願いいたします。
198  プロペラについて質問です。

 プロペラの吸収馬力や推進効率は、やはり高度を上げていけば小さくなっていくと思いますが、大気密度との単純比例関係ではありませんよね?
 プロペラ自体の特性、飛行速度とプロペラ回転速度(プロペラ翼端の対気速度)も効いてくるので一概には言えないだろうとは思いますが、どのように低下していくのでしょうか?
 プロペラ効率の低下よりもエンジンの性能低下の方が影響が大きいためか、適当な資料が見当たらず困っています。
 たとえば、非常に強力かつ軽量なモーター&電池に動力源を載せ換えたプロペラ機で高度を上げていった場合、その飛行性能はどのように変化していくと考えられますか?
199 日本の航空機関連会社が共同で「オープンローター」方式の新型エンジンを開発するそうですが、どんな方式かよく解りません。通常は前の方にあるファンをエンジンの後方にむき出しで設置して大きな推進力を効率的に出せるようにできるとのこと。一応検索もしたのですが2chにいくだけでどうも姿が見えません。よろしくお願いいたします。
200 現在グロスター・グラディエーターの資料を集めているのですが、良く判らない点が有り質問を上げさせて戴きます。

ゴーントレットからの改良部分で大幅に形状の変わった下翼の胴体付け根の後端部分ですが、写真の角度によってはスピットファイアのように「後縁が胴体付近で僅かに逆ガル形状」になっているように見えます。
フィレットも無く、しかも翼根が胴体に向け三段階に絞り込まれる複雑な形状なのでどうもハッキリ判りません。実際の設計はどうなっているのでしょう?

またついで質問になり恐縮ですが、このような翼根後縁を軽く逆ガル形状にする設計は通常のフィレットによる干渉抵抗の低減に対し、どのような空力的利点を狙った物なのかご教授頂ければ幸いです。

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