218 九七式重爆、百式重爆の防弾について教えてください。
前者は一型の途中から戦訓を取り入れ燃料タンクに防弾被覆、乗員に対して防弾鋼板の設置が行われています。
二型の後期から防弾ゴムや16mmの鋼板、防弾ガラスが標準装備とされていますが、両者とも具体的な装備箇所や厚さ、更にはこの間においての変遷に於いては全く不明です。
百式も陸軍からの仕様にはタンクの防弾被覆は指示されていますが、その後の実態が全く分かりません。
両者共に多くの書籍には「防弾を重視」と言った記述が見られますが、浅学の私にはやはり具体的なことは全く不明です。

宜しくご教授のほどお願いいたします。



CHOSAN

  1.  丸メカの九七重爆によると、一型の防弾被覆の装備対象は燃料タンクと潤油タンクの全てで、前者は外装式防弾ゴムの外側に真綿で被覆した方式、後者は外装式防弾ゴムの外側を羽布を張って更に塗料を塗った方式だそうです。
     二型の防弾ゴムの装備対象は燃料タンクの全てで、ゴム厚は16oで後に外翼及び中央翼タンクには窒素を吹き込む方式の消火装置が追加装備されたとのことです。
     防弾板と防弾ガラスの装備対象は正副操縦者と後上方銃手(具体的な装備位置については記述がありませんが、常識的に考えて前者が正副操縦席後方と銃座の防盾、後者が正副操縦席の風防と球形銃座のガラス部ではないかと)で、厚さはそれぞれ16oと70oとのことです。
     百式重爆については資料がないのでよく分かりませんが、概ね九七式と同じだったのではないかと想像します。
    T216

  2. たしかに九七重の方が資料がよく残っていて、

    ・製番8号(昭和12年10月製)
      操縦者と燃料タンクに装甲 これ一機のみの実験機

    ・製番152号(昭和14年7月製)〜
      支那事変戦訓による武装強化、防弾改修
      尾部銃、側方銃増設 
      燃料滑油タンク防火被覆実施

    ・製番1300号(昭和18年7月製)付近〜
      昭和18年5月8日指示による防弾対策実施
      正副操縦、後上方銃手に16ミリ防弾鋼鈑、70ミリ防弾ガラス
      全燃料タンクに16ミリゴム被覆

    ・製番1351号(昭和18年9月製)〜
      外翼、中央翼タンクに窒素吹込装置装備

    この九七重を米軍は、
    「操縦者防護 上方銃座防護 防漏タンク」
    と評価しており、
    同じ米軍資料における一〇〇式重は、
    「操縦士、副操縦士防護 燃料タンク防護」
    とされています。
    基本的によく似た構成であるようです。




  3. T216様 片様

    すばやいご回答、ありがとうございます。

    九七重の防弾鋼板は薄くて敵弾に対して殆ど無効だったという搭乗員の記録を読んだ記憶があります。

    太平洋戦争初期以前、シナ事変中?だったようです。

    製番152号以降の防弾改修が燃料潤滑油タンクの防火被覆と理解した場合、正式には防弾鋼板は装備されていない可能性が高いのでしょうか。

    部隊での改修という可能性は排除できませんが。

    その場合、どの程度の装備だったのかを知りたいと思っています。

    同時期の九九襲が6mmでしたから、その程度と考えていいのでしょうか。

    また、152号と1300号の間で部隊改修含めて防漏タンク(16mm以下の外装ゴム?)、防弾鋼板の強化が行われた可能性はありますか。

    資料が少なく困っています。

    よろしくお願いいたします。
    CHOSAN

  4.  九八戦隊の九七重については、昭和一九年四月以降操縦席防弾鈑の追加・使用済み燃料タンクの不燃化改修を野戦航空廠で実施した、と当時の戦隊長である野本少佐が述べておられますね。

     なお、TAICレポートの図を見る限りでは、一〇〇式重の方が防弾鈑の装備数が増えていることを含めて、九七重二型より防備が改善されているような気もします。
    大塚好古

  5. 製番152号、すなわち一型乙初号機より燃料タンクと滑油タンク防火被覆を標準化、という意味です。
    18年7月まで防弾鋼板はなしです。製番8号で実験されたのち、採用されていません。


  6. 大塚様

    ありがとうございます。

    これらの部隊改修機体は18年7月以前の製造と言うことですね。

    現在、海外在住で資料の閲覧が困難ですが、TAICを見られるサイトはありますか。

    いろいろ調べたのですが、見つかりません。

    片様

    再度ありがとうございます。

    18年7月まではタンクの防弾も真綿とごく薄いゴムのものと理解していいのでしょうか。

    この時期まで重爆の防弾タンクがこのレベルだとすると戦闘機よりも標準装備化が遅れていることになりますね。


    戦闘機が爆撃機よりも防弾に関しては先を行っていたという図式が現れそうです。

    真綿被覆防弾は九七戦、一式戦1型、二式単戦1型までで18年初頭には外装ゴムに変遷しますが、重爆は半年程度の遅れが見られるということになりますか。
    CHOSAN

  7.  一式戦二型も量産初号機は外装式防弾タンクを装備していた訳ではないようですし、三式戦も昭和18年9月までフェルト+3o防弾ゴムで、燃料タンク全面に12o外装式防弾ゴムを装備したのは昭和18年12月ですから、一概に重爆が戦闘機より遅いとは言えない様にも思います。
    T216

  8. T216様
    全くご指摘の通りです。
    ありがとうございます。

    因みに屠龍が9mmの外装ゴムだったようですが、これなども量産途中からの
    装備なのでしょうか。
    また、陸軍機で最初に本格的なゴムを採用した機種と時期についてご教示いただければ幸いです。
    CHOSAN

  9. > 屠龍
     過去ログより。
     http://www.warbirds.jp/ansqn/logs-prev/A001/A0005090.html
    T216

  10. T216様
    ありがとうございます。
    この種の資料は非常に限定されてしまいますね。



    CHOSAN


Back