219 三菱の18気筒・22気筒プロジェクトに関して質問です。
金星4xはS11年に試作、5x型がS15年試作、6x型はS16年試作と聞きます。
一方、金星のボアストロークを拡大した火星は、
初号機をS13年9月に完成した後、S14年には早々とハ42(火星18気筒)の計画がスタートし、たった1年後のS15年に陸軍に採用、というスピードでした。
更にA22(火星22気筒)も、金星や瑞星よりも先行してプロジェクトをスタートしています。

三菱の18気筒プロジェクトが、金星ではなく、火星でスタートしたところに、深い理由があるのでしょうか?
例えば、火星→ハ42の替わりに、昭和15年に金星5xをベースに金星18気筒の開発をスタートし、誉に対抗しようなどと無理に2000馬力を狙わずに、1700馬力あたりをターゲットにして、昭和16年末に陸軍or海軍に採用される、みたいなのスピードで開発するのを妄想したくなるんですが、現実にならなかった原因は何だったのでしょう?

水メタ無しで離昇1700馬力級の実用エンジンがS16年末にあれば、水メタや排気タービンなどを付加・熟成すれば、日本も2000馬力の中型エンジンを手に入れることが出来たのではないか、などと思う次第であり・・・

宜しくご教授のほどお願いいたします。
猿人・三菱

  1. 金星、火星の性能向上には水噴射装置、燃料噴射装置の完成などいくつかの関門があり簡単には前倒しできない要素がいくつもあります。

    火星ベースで18気筒化が進められた理由は支那事変初頭に実施された渡洋爆撃の大損害を受けた防御力強化を主眼とした陸上攻撃機の緊急開発(一式陸攻のこと)の後に本格的な新陸上攻撃機構想があり、その発動機として火星よりもさらに大馬力が要求されたことによります。戦闘機用発動機よりも陸上攻撃機用新発動機の方が優先順位が高かったのです。
    そのために2000馬力を超えるフルカン過給器装備を完成形として試作が進んでいた訳で、この時点では三菱名発もその試作の前途をさほど心配していなかったようです。

    そんな事情で大型機用の大馬力発動機の試作が優先されたのですが、もともと航空発動機の開発は馬力優先で行うもので、最初から中程度の馬力増大を狙った開発は開発途中で陳腐化して放棄されるのが常でもあります。栄よりボア・ストロークの大きい金星をベースに18気筒化を進めるのであれば、当然、一年も先行する誉よりも大馬力を狙わなくては採用される見込みも無く、試作に対しての技術的援助も得られません。
    実際に試作計画の中では、金星18気筒化計画で生まれたハ43は、より大馬力のハ44によってすでに紙上で取って代わられていますものね。
    BUN

  2. BUNさん、早速のご回答ありがとうございました。
    拝読させていただきましたが、追加で質問があります。

    ■「航空発動機の開発は馬力優先で行う」件
    金星を搭載した九九艦爆や九七艦攻(主力は栄搭載のB5Nにせよ)の後継機用のエンジン、という意味での金星18気筒化に関しては、誉計画を聞いて慌てたハ43開発よりも先行できなかったわけですが、それは艦爆や艦攻の試作に関する情報が、陸攻と比較してロクに三菱に情報が入らなかった、という理解で大丈夫そう、でしょうか?

    ■S16年8月以降のハ43に関して
    石油の輸出禁止が発動され、100オクタンガソリンの輸入が完全に止まり(在庫はあるにせよ)、100オクタンガスの「大量自給のメド」が立っていたとは言いがたいS16年8月以降に限定しての質問です。
    ・海軍航空本部技術部や空技廠、もしくは三菱は、誉が定格通りの出力を確保するのが困難になる、という予見は持っていなかったのでしょうか?

    ・ハ43の社内試作は、深尾淳二さんの記録だとS16年に完成してる、とのこと。2800〜2900rpmまでブン回すエンジンだから、不都合が多く熟成に苦労した、ということなのでしょう。この際、2600〜2700rpmあたりにデチューン(1700馬力?)して(陸軍か海軍に)正式採用を勝ち取り、水メタ・燃料噴射・過給機の改良で2000馬力級を目指す、という作戦は無かったのでしょうか?

    「中島で誉ができたとき、最早三菱は作る発動機がなくなった」と豪語する高官がいた海軍に関しては、量産「誉」の定格割れ続出が発覚するまではどうしようもなかっただろう、と容易に想像しますが、ハ211として正規採用した陸軍側に関してはチャンスがありえたように思えます。

    最もハ43に関し、2200馬力目指しての開発した、となると、誉の仕様は三菱に相当流れていたと想像できますし、100オクタン仕様ということも耳に入っていただろう、と想像します。開発の現場を担当してる空技廠はどうしようもないでしょうが、まだ冷静であっただろう航空本部技術部あたりに「誉の定格の現実性は怪しい」と注進するような策士が三菱にいたら…
    猿人・三菱

  3. 十三試大攻が護を装備したように十四試艦攻も護を装備しています。火星の18気筒化が次期陸攻と次期艦攻に装備されても別に不思議はないのですが、実際には実用化が早かった誉で十六試艦攻が試作されています。けれどもハ43の量産の目途が立つと十六試艦攻にもハ43換装計画が生まれ、流星改二が生まれる、といった具合に試作計画は発動機の開発進捗と平行して進んでいます。そのように移行できたのは、ハ43が誉よりも大馬力を目指していたからで、最初から1700馬力を狙っては制式採用はおろか試作そのものが進みません。
    情報が入らない、といったお話ではないんです。

    また火星クラスであっても離昇運転はオクタン価100が要求されています。誉だけが特別にオクタン価100を想定していた訳ではなく、当時の航空発動機としては常識的な水準です。そして戦時の燃料供給を考慮して導入されたのが水噴射装置ですから、これも不思議なことではありません。
    そして誉のような多気筒発動機は混合気分配の点で欠陥を抱えていると最初に指摘したのは他ならぬ中島飛行機の社内研究報告なのです。だから低圧噴射装置の研究が中島と海軍の間で急がれた訳です。誉を一人前にするための方策はすでに着手されていたということです。

    またハ211といった代用名称の付与は制式制定とは無関係です。この時点では制式でも何でもありません。同じように「誉」という名称の付与も制式とは無関係です。そして発動機試作で三菱が中島より冷遇されていたという具体的な事実もありません。十七試艦戦が誉であるならより高速を狙う十七試陸戦は三菱A20すなわちハ43が指定されているのです。同じ理由で十七試局戦もA20です。

    誉が(あるいは全ての多気筒発動機が)安定した性能を発揮するには低圧燃料噴射装置のようなデバイスを完成させなければならない、と考えたのは中島飛行機自身と海軍でしたし、その燃料噴射装置開発で一歩リードしていたのが三菱なのです。


    BUN

  4. >・ハ43の社内試作は、深尾淳二さんの記録だとS16年に完成してる、とのこと。2800〜2900rpmまでブン回すエンジンだから、不都合が多く熟成に苦労した、ということなのでしょう。この際、2600〜2700rpmあたりにデチューン(1700馬力?)して(陸軍か海軍に)正式採用を勝ち取り、水メタ・燃料噴射・過給機の改良で2000馬力級を目指す、という作戦は無かったのでしょうか?

    三菱A20の初号発動機完成は、実のところ17年2月なのではないかと思うのですが、4月には十七試艦戦の三菱側プランとして、まず通常型のMK9Aですすみ、フルカン接手装備の高空用MK9Bが完成し次第これに切り換えるという雁行案が海軍に対して提案されています。
    この時点で海軍がこの案に対して否定的だったのは、艦上機は小直径で前方視界の点で都合の良い誉で統一しようとしていたからと思われ、MK9Bは川西十七試陸戦の発動機に指定されて無事生き残っています。
    簡単にいえば、三菱は、川西に発注されるべき高高度陸上戦闘機プランを烈風の中に盛り込んでしまっていたので、海軍の意向とのあいだに温度差が生じてしまったというだけで、MK9Bが否定されたわけではないのです。

    しかし、このMK9Bが実用化困難(フルカン接手関係故障続出・予定性能が出ない・燃料消費量が計算を上回る)ということで、十七試陸戦は中止に追い込まれてしまい、かわって誉のフルカン接手装備型で十八試甲戦を作る話になりますが、これもエンジンがダメで中止されます。
    さらにかわって、「来年度から確実に生産に入り得る局戦、又は進攻用戦闘機を得る」という目的を掲げて烈風改が計画され、これにMK9Aを使おうとしつつ、しかしなんとかMK9Bを使えないかという未練を残したままの状態がしばらく続きます。

    三菱A20で何がうまく行かなかったかといって、要するに高空用発動機のフルカン接手がうまくいっていないのです。
    しかし、この高空型MK9Bの実現こそが三菱A20発動機の肝なのであって、これが実現しないことが全体を滞らせてしまっているのです。
    躓きは、単に実用的に回るエンジンを手に入れるかどうかという問題とは違ったところで発生しています。


  5. 片さんがおっしゃるように、MK9Aの社内1号機が完成したのはどう見ても17年2月より遡ることはできないように思います。何故なら海軍は1号機の完成を17年4月と認識している文書が残されているからです。
    そして完成したからといってただちに採用できる訳ではなく、それから時間を掛けて耐久試験を行い合格しなければ試作機の計画要求に盛り込めません。
    昭和12年の十二試艦上戦闘機の計画要求を審議する際にも、十七試とは立場が逆になりますが、中島のNAM(栄)は耐久試験に合格できず、瑞星が指定されています。昭和17年7月の十七試艦戦の計画要求審議でも今度は三菱のA20が耐久試験未済の状態だった訳です。
    そこに極端な不公平は見出せないのです。

    また離昇1700馬力で高度馬力1300馬力程度の発動機が欲しいなら、誉一一型を運転制限すれば済むことで、わざわざ金星のボア・ストロークを受け継いだ新しい発動機を作り直す必要はありませんから、資材の配給も技術支援も行われないだろうということなのです。
    BUN

  6. すいません、リロードしたら、>>6が書き込まれてしまいました。
    重複ですので、削除お願いします。

    BUNさん、片さん、回答ありがとうございました。
    アツタがなかなかモノにならなかった際、金星が6xシリーズまで改良が進んだことで代替になった史実を踏まえ、「誉」の代替となれるようなエンジンが戦時中に用意できる技術的な背景があるのかどうか、という観点で、A20デチューンなどを考えて見たのです。妄想としては2500rpm程度に抑えた栄・瑞星の22気筒、みたいなモノもあった次第(苦笑)
    猿人・三菱


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