276 昭和19年1月9日の253空の戦闘行動調書によると、この日スピットファイヤー11機撃墜(内3機不確実)と書かれてあります。 P40と誤認か?と思いましたが、同書には他F6F、F4U、P40、P38、TBF、B17の来襲が記録されています。

ひょっとするとこの日がP51の初来襲なのでしょうか? もしくは本当にスピットファイアだったのでしょうか? オーストラリア空軍の当機がタロキナまで進出してたのでしょうか? 航続距離からしてタロキナより近くないとスピットには厳しいミッションかと。 やはりP51Cの誤認でしょうか?

スジャータ

  1. スピットは占領したばかりのマーカス岬から飛んできた? とも想像できますが。。。
    スジャータ

  2.  当時豪州空軍にはP-51はおりませんし、同空軍のスピットファイア装備部隊が豪州本土からニューギニアに進出したのは1945年ですので、どちらも可能性はないでしょう。 

     恐らくは当日攻撃に参加したRNZAFのキティホークを見違えたのでは無いかと思います。
    大塚好古

  3. この頃ラバウルにはP-51Cが登場します。 2月には日本軍も確認しています。
    スジャータ

  4.  豪州に武器貸与法でP-51が引き渡されたのは1944年末以降です。それもD/K型のみで、C型以前が引き渡された形跡はありません。1944年11月にRAF経由でマスタングIII(P-51B/C)を受け取って、地中海方面の作戦に従事した第3飛行隊(RAAF)の様な例もありますが、豪州空軍のマスタングIII装備部隊が太平洋に来た様相は、手持ちの資料では伺えませんでした。

     米陸軍戦闘機隊についても、この時期P-51B/Cは欧州方面への配備が優先されており、この他には支那・ビルマ・インド(CBI)方面には少数が廻されつつありましたが、南西太平洋に展開している第五と第一三航空軍の戦闘機軍団については、「The Army Air Force in WWII」の記載を信じる限り、この時期にP-51が配備されている様相はありません。また比島戦直前の一九四四年八月の時点でも保有機の中にP-51の名称は見あたりません。。
     この後第五航空軍では重量過大で比島方面での活動が制限されたP-47の代替として、マーリン搭載型P-51の配備が開始されますが、これらの部隊が実戦に出たのは一九四五年に入ってからです(写真偵察型は一九四四年十一月末以降配備)。同時期以降の第一三航空軍の各機種毎の配備状況は手持ちの資料では分かりませんが、米国ウィキペディアの第一三航空軍の編成表によれば、大戦中にP-51系列を装備した部隊が配備された様相は無いようです。

    http://en.wikipedia.org/wiki/Thirteenth_Air_Force

     この他に第七航空軍の一部部隊がローテーションで第五/第一三戦闘機軍団の指揮下に来たことがありますが、「America's Hundred-Thousand」のP-51の項と、オスプレイの「太平洋戦線のP-51マスタングとP-47サンダーボルトエース」を見る限り、その時期にP-51は使用していないようなので、これも除外できるでしょう。また「America's Hundred-Thousand」には、「一九四四年十一月の時点で、太平洋戦区(CBI以外を指す)に配備されていたマーリン搭載型P-51は8機のみ」という記載もあります。これらの点から見て、南西太平洋にいた第五と第一三の両航空軍に、一九四四年末までマーリン搭載型P-51が部隊規模で配備されていた可能性はまず無いかと思われます。

     仮に1944年初頭からP-51B/Cが南西太平洋方面に出ていたのであれば、当時激化していたニューギニア・ラバウルの戦闘で何らかの戦火を収めているはずです。オスプレイの「太平洋戦線のP-51マスタングとP-47サンダーボルトエース」には、その時期に同方面に配備されて云々を含めて、その様な記載は見受けられません。また太平洋戦争の航空戦を日毎に纏めた「Chronology Air War Pacific」においても、該当時期における「Bismarck Archipelgo」欄の作戦参加機の中に、P-51の名称が無いのは何故でしょうか。

     逆に1944年初頭に「P-51B/CがCBI以外の太平洋方面に配備されていた」、とする明確な資料があるのであれば、個人的に調査してみたいので、お手数をお掛けしますがその出典を教えていただけないでしょうか。
    大塚好古

  5.  ↑追記。RAAFミュージアムにある同国のマスタングに関する解説に

    http://www.raaf.gov.au/raafmuseum/research/aircraft/series2/A68.htm

    >In November 1944, RAF Mustangs were first flown
    >by the RAAF's No 3 Sqn in Italy.

     とありますから、豪州空軍のマスタングIIIが、一九四四年初頭のビスマルク諸島上空に現れる可能性は無いかと思われます。

     あとここの解説によれば、豪州空軍がP-51D/Kを受領したのは1945年の様ですね。ここにお詫びの上、訂正させていただく次第です。
    大塚好古

  6. 岩本さんの零戦撃墜王でP-51出てきますね。 ラバウルです。
    スジャータ

  7. ニュージーランド空軍のP-39なども来ていたようですから、誤認の可能性が高いのでしょうね。
    私もその253空の戦闘行動調書を見てみたいのですが、何処で見られるでしょうか?防研ですか?
    あぱっち

  8. アジア歴史資料センターのHPで見られます。

    トップのキーワード検索で
    戦闘行動調書 253空
    と入力すれば出てきます。
    出沼ひさし

  9. 出沼ひさし様有難うございました。
    何時間も見入ってしまいましたw

    便利になりましたですぅ。
    あぱっち


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