281 零戦など、大戦期の艦載単座機の航法について教えてください。
機長機銃手航法手を一人三役する単座機で、さらに推測航法をして母艦に帰れるものなのでしょうか。母艦の将来位置は事前のブリーフィングで教えられるにしても、さんざん空戦をやったあとで「たぶん母艦はあっちの方角。あとは燃料切れまで飛びつつける」なんてことをしていたのでしょうか。
tan

  1.  「零戦隊長」(光人社)に、南太平洋海戦前にクルシーを用いた帰投訓練を徹底して行い、実戦においてもクルシーと母艦からの無線誘導で零戦隊が帰投していく記述があります。
    T216

  2. ご回答ありがとうございます。

    無線誘導は、敵にESMされるから出来るだけやらないとの記述をどこかで読んだ覚えがあります。
    戦略規模ならHF/DFが有名ですが、戦術規模での米軍のESM能力って、どうだったんでしょうか? 日本潜水艦のESMは方向はわからないが電波が飛んでいることだけは探知できたそうですが。
    敵に位置がわからないのなら無線誘導でとりあえずOKですね。

    引き続き皆様ご回答をお願いします。
    tan

  3. 追記です。

    クルシーって米国製なんですね。長波なら数百キロ、中波なら数十キロ届くとして、母艦が電波発射を決断するのはちょっと微妙な気がします。でも時期は南太平洋海戦の頃ですか……もう少し勉強してみます。
    tan

  4.  1.で書いた「クルシーと母艦からの無線誘導」というのは、正確に言いますと「母艦からの誘導電波をクルシーで受信しての帰投」と「母艦からの電信または電話を用いた誘導」と言う意味です。
     クルシーは帰投の成功率を上げる有効な装備だったようですが、被弾せずとも空戦機動だけで作動不良を起こすことがあるほど故障しやすいことと、米国の装備を原型にしているために逆探知の恐れがあることを念頭に置かなければならない(海戦が始まると索敵機に対して母艦が電信で敵情を問い合わせる、ということもありますので、少々気にしすぎな様に思えますが)という弱点があったようです。
     因みに中隊長クラスには、発進時の母艦の位置が記されたが渡された航空図が渡されており、電信や電話を用いた誘導では、母艦が「母艦の現在位置、発進位置から方位○○へ××浬、速力△ノット、針路□□。○○時」といった放送を繰り返し流し、それを受信した各機が現在地点から合流地点を推測していたようです(至近距離まで来ても母艦位置が分からないときは、無線で母艦に黒煙の展開を要望することもあったようです)。
     因みに、南太平洋海戦において、日本側が米艦隊を捕捉した際の南雲艦隊本隊と米艦隊の距離は215浬(約398.2q)だったとのことです。
    T216

  5.  当時の航法は推測航法が基本です。推測航法とは現在飛行している対地速度及び実航跡(つまり地球に対する速度及び針路)を元に出発地点からの現在位置を常に推測しながら飛行する方法です。この諸元を算出するには航法計算板(飛行に特化した計算尺の様なもの)と飛行高度における予想風が必要です(外気温度等は推定できる。)。海軍の操縦士及び偵察員は教育部隊と実用機部隊で推測航法を徹底的に教育されており、偵察員の乗っている航空機に比べその精度は落ちるものの、単座機操縦士による目的地への飛行は十分に可能でした。今回の問いの場合、列機で飛行して進出し戦闘が発生した場合でも、戦闘発生時までの針路、速力、上層風、戦闘開始時刻の記録を元に戦闘開始位置を推測できます。戦闘終了後の帰投は、まず、自機戦闘開始推測位置から現在(出来れば更に帰投に必要な所要時間分の母艦進出を加える:これを会合法という)母艦が進出しているであろう位置へ針路を向けて母艦までの距離を飛行します。計算上の位置に到達しても母艦を発見できない場合は、先ほどの戦闘中にどの程度機動したのかを推定し、生じた位置誤差を半径とした圏内に母艦が存在する可能性が高いと見て、到達点を中心として渦巻状に半径を徐々に拡大飛行して目視捜索するのです。(実際には方形拡大捜索という4方位直線飛行の連続による拡大捜索で、それぞれの航跡間距離は目視視認距離の2倍とする)それでも母艦を発見できない場合やすでに燃料が乏しくなっている場合で敵のESM探知を恐れる必要がない場合は、電波を利用した航法を行います。自機から電波を出して母艦からの方位測定結果を元に針路を指示してもらう。または、母艦の発射電波をクルシーにより測定してその方向へ向かうことが可能です。
     なお、方形拡大捜索は現在においても海難救助等における航空機の目視捜索に使用されています。
    つっち


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