283 誉に関する質問です。

誉の初期不良として挙げられる以下の点、
■大量生産には向かない冷却フィン
■コンロッド軸受の過荷重による故障(当初から懸念されてたそうですが)
■吸排気ポートや吸気系通路の鋳物の型崩れ
■油パイプ径やポンプ入り口の口金がポンプ圧力に対して小さい
■ピストンリング、バルブカム、バルブスプリング、発電機など耐久不足
■エンジンの発熱で電気配線の被覆が焼けて絶縁不良
■低圧燃料噴射でないと解決しないと言われる混合気分配不均衡

これらの不良は、「2回の公式審査」や飛行実験等では、中島/海軍航空廠/海軍航空本部技術部にはどのように認識されていたのでしょう? 正式採用後に問題がいろいろ発生してたエンジンが、正式採用されるプロセスで、全く問題が生じなかった、とは正直考えづらい部分があります。

なお、自分は、誉は「正式採用されたのが早すぎたエンジン」だと思っています。金星や火星のように、初期不良を出尽くしたエンジンですら、水メタ搭載でソコソコ苦労したのに、初期不良を潰しきれていない誉が一一型で水メタを搭載してるとなると、苦労はハンパなかったのだろうな、と思います。そして、運転制限で1300〜1500馬力しか出ないエンジンだったら、金星5x〜6xと比較して本当のところどうなんだろう、とも思う次第です。

金星に対して、直径は40mm弱短いアドバンテージがあるとはいえ、乾燥重量が150〜190kg重いビハインドがある「運転制限がある誉」。部品供給が思わしくないから稼働率が伸び悩んだ五式戦と、油があっても飛べない機体が「続出」していそうな疾風との評判の差を考えると、そんなIFも考えて見たくなる次第でした。
JOKER

  1. 内容がてんこ盛りですけれども、こうした問題を考える時は、設計上の原因から生じた問題と、生産の過程で発生した問題を区別することから始める必要があると思います。
    また、離昇出力と高度馬力との区別も必要でしょう。
    BUN

  2. 少なくとも「吸排気ポートや吸気系通路の鋳物の型崩れ」については量産開始後のものですから、公試や空中運転実験時点では問題は発生していなかったと思います。


  3. すみません、変な質問をさせてください。例えば2000馬力の発動機がほしい場合、安定して入手可能な1000馬力発動機を単純に倍の大きさにすると発動機の出力も単に倍になると考えて良いのでしょうか?
    C#

  4. BUNさんのご指摘もあり、設計上の原因と生産過程の問題を自分なりに仕分けしました。
    設計の問題として挙げられそうな
    ■大量生産には向かない冷却フィン
    ■油パイプ径やポンプ入り口の口金サイズ
    ■エンジンの発熱で電気配線の被覆が焼けて絶縁不良
    ■低圧燃料噴射でないと解決しないと言われる混合気び分配不均衡
    ■コンロッド軸受の過荷重(設計にも問題あり)
    ■ピストンリング、バルブカム、バルブスプリング、発電機など耐久不足(生産の問題でもあり、設計にも問題あり)

    あたりは、「2回の公式審査」や飛行実験等の正式採用されるプロセスでは全く問題が生じなかったのでしょうか?
    テスト用の少量生産で中島が頑張りすぎたために、テスト段階でのアク抜きが上手く行かずに、大量生産過程に問題が後ろ送りされた、かのような疑いを持つ次第です。
    JOKER

  5.  鋳込式の冷却鰭は当時の高性能発動機にはそれほど珍しいものではないのですが、誉の場合は圧力鋳造式を採用しています。戦争後期の日本の空冷発動機のシリンダヘッドは開戦前から計画的にこの方式に移行すべく動いています。鋳込鰭=誉ではないんです。
     そして「中島飛行機エンジン史」に書かれているような「こうすべきだった」という設計側からの改善点以外は誉に限った話ではないと思います。
    また審査過程は他の発動機と同様で特に変わった点はありませんが、戦時に緊急生産した発動機だったことで、おっしゃる通り、本来、時間を掛けて熟成解決すべき問題点が残されていた、と評することは間違いではないでしょう。
     けれども、そうした緊急生産と改善の繰り返しは、ハ43にもマーリンにもDB600シリーズにもあり、戦時の発動機に同じように見られる問題でもあります。

    BUN

  6. >3
     倍の大きさというのが、何が倍なのかで多少は変わりますが、倍の大きさにしただけでは、まともに回すことすら難しく、原型の安定した1000馬力エンジンとは、全く何もかも違うエンジンですから、安定も信頼もありません。
    SUDO

  7. >4
     誉の軸受け過荷重は、潤滑油のスペックと、日本で得られたケルメット軸受けの基本的な耐力の限界に起因します。
     誉以前に日本のケルメットは面圧の限界に達しており、これを小手先の工夫と潤滑油の頑張りで、なんとかやってたに過ぎないんです。
     つまり、軸受けを太くすると、面荷重は緩和しますが、周速が高くなって潤滑油の油膜が切れてしまうんです。誉は高回転なエンジンなので周速も深刻な問題を抱えていましたし、日本は潤滑油の性能があまり良好ではないのですから、軸受け過荷重を解消したら油膜切れで焼きつくことになり、その結果としてエンジンがお釈迦になったり軸受けが折れたりする可能性も否定できません。
     軸受け折損という現象一つをとっても裏には色々と理由があり、発動機全体では、あちらを立てればこちらが立たずというような難しい選択は随所にあったと考えるべきでしょう。つまり設計ミス等と考えるよりは、何故そのような選択をしたのか、その選択の裏にある理由は何かを考えてみると宜しいかと。
    SUDO

  8. >>6
    ありがとうございました
    C#

  9. BUNさん、SUDOさん、回答ありがとうございます。

    さて、SUDOさんに再質問させてください。
    「誉以前に日本のケルメットは面圧の限界に達し」かつ「日本は潤滑油の性能があまり良好ではない」が故に、「誉は高回転なエンジンなので」「油膜切れで焼きつく」可能性が否定できないと理解しました。言い換えると、運転制限を解除するほど安定した誉を「大量生産」するためには、当時の日本には存在しない高性能潤滑油の安定供給が見込めることが絶対条件となるわけですね? 

    ということが昭和16年段階で理解されていても、「何故そのような選択をしたのか、その選択の裏にある理由は何か」とは、数年の時間があれば、中島の技術陣が新工夫を凝らして、日本で手に入る潤滑油の品質であってもなんとかダマシダマシできる技術が生まれるに違いない、と楽観的にゴーサインを出した、という可能性を考えます。それだけ魅力的なカタログスペック(1200mm以下の小型の直径で、離昇1800〜2000馬力の大出力、しかも排気量が小さい)に心底惚れ込んでしまった、というところかな、と。


    2700rpm(栄21型)あたりがケルメット・潤滑油から見る高回転の限界だとすれば、
    当時の日本で順目の開発で2000馬力級を狙うとなると、この程度の回転数に留めて、
    ボアやストロークを大型にして排気量を大きくするのが王道、という話になりそうですし、
    2000馬力級戦闘機は、紫電改のような太めの機体に(五式戦闘機のように)火星25型を無理やり押し込むような手法が実は無難だった、って話に発展しそうですね。
    JOKER

  10. >9
     いえ、日本に無いほどの高性能潤滑油は必須ではありません。誉の安定運用に必要なのは、試作運転時のレベルの普通の潤滑油と、安定した分配と燃焼を保証する燃料と点火系と冷却系、そして各部材がちゃんと作られてることです。
     試作時の誉に供給されていたレベルのものが供給されてないから運転制限になってしまったんです。
     燃料だってオクタン価の低下だけが問題なのではなく、ガンとなってしまった混合気分配は恐らく確実に燃料の蒸留性状規格の変更が響いているはずです。

     また、より良好な品質の潤滑油を用いることで、もしくは高回転を諦めることで、より太い(細くない)軸受けを採用する可能性は勿論あったでしょう。
     しかし、その場合は、その魔法のような潤滑油の入手性は果てしなく疑問ですし、また軸受けを太くすればエンジンの径は大きくなってしまいますし、高回転できないのでは出力も不安になります。
     軸受けが細いことで潤滑油は楽になり、またエンジンの径も小さく、そして高回転が出来たのですから、ダブルどころかトリプルで美味しい判断です。
     この美味しい判断が、戦争中の製造・整備品質のばらつきや燃料分配等の問題から、当初の想定以上に軸受けに負担がかかり破綻してしまったというのはあるでしょうけど。

     またこの誉の軸受けは、後により改善された軸受け素材の登場によって、そこまで頑張らなくても良くなる見通しはありました。
     また限度でいうなら栄だって限度超えてるんです。とっくの昔に限界を超えたところにあり「やってみないとわからない」領域に突入してたんです。
     栄の時代に問題にならなかったのは偶々だったとも言えなくもないし、誉のときになってしまったのも偶々だったともいえなくもないのです。仮にもう少しだけ金属資源が楽だったとか潤滑油が良かったとか製造精度が出ていたならば、誉も大きな問題はなかったかもしれません。
     ギリギリのところだったから、少し悪くなっただけでも破綻したのだから、もう少し余裕を持たせても良かったかもしれないとは、後からでなら何とでもいえますが、絶望的な状況下での大量生産大量消費の戦争をするとまで想像できなかったということを責めることは私には出来ません。
    SUDO

  11. >9
    その火星を使ってパッとしなかったのが雷電ではないでしょうか。
    誉固有の問題もあるでしょうが、余裕のない戦時下で高出力化と大量生産を強いられた日本の航空エンジンは、どれにしたって無難には行かないように思います。
    いっけん

  12. エンジンの直径ってそれほど機体性能に影響するものなのでしょうか?

    C#

  13. SUDOさん、丁寧な回答 >10 ありがとうございました。

    最後にもうひとつだけ質問させてください。
    昭和17〜18年頃、機体の設計を行っている際、エンジンの指定が誉だった場合、運転制限がかかっていないカタログスペックで設計されていたのか、運転制限がかかった実質的なスペックで設計されていたのか、ご存知でしょうか? 恐らく前者だろうと予想していますが。
    JOKER

  14. >12
     前面投影面積は明らかに違ってくるわけですし、戦闘機のように他の投影面積が差ほど大きくは無い場合、無視できない比率で影響が生じてくる可能性も、径次第ではありえます。
    SUDO

  15. >13
     運転制限は後から実情を追認することで出てきたものですから、当初の機体設計は制限の無いフルスペックを前提としているのが普通です。場合によっては試作中・検討中の次世代発動機や発展型を想定した設計すら行われています。
    SUDO

  16. >9、>12
    烈風、彩雲、流星など海軍は艦上機に、小直径で前下方視界が良くなる誉を使いたがっていた側面も見逃せません。
    火星のような大直径発動機が艦上機に適するものだとは、思われなかったのではないかと思います。
    一方で、十七試陸戦や烈風改といった純然たる陸上機には三菱A20を充てる計画だったわけです。


  17. >>14 >>16
    ありがとうございました
    C#


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