290 いつもお世話になっております。
最近の研究で、「零戦とF4Fは、同数なら互角であった」とする言説があります。
一方で、「零戦とF6Fは、同数なら互角であった」とする説も耳にします。
そうなると、F4FとF6Fの違いがどこにあるのか、怪しくなってくる気がします。戦闘力に差がないか、もしくは零戦の21型と52型程度の違いしかなかったのでしょうか? また、両機は模擬空戦をやったことがあるのでしょうか? お教えください。
隼兵

  1. 零戦とF4Fの空戦については、日米両側の記録を突き合わせてみると、総合的にみてどちらかが一方を圧倒したとは言えないことが判っているということです。

    また零戦とF6F、F4Uクラスの新型機との空中戦で零戦が互角以上に戦った例もありますが、零戦とF4Fのように総合的な比較を行えば零戦が圧倒的に劣ります。それは誰にも否定できません。

    ということで、どこにも怪しくなるような部分はありません。
    両者の比べ方が間違っている訳です。


    戦闘機はそれぞれ優位に立てる領域で戦えば勝ちやすく、不利な領域で戦えば苦戦するということで、対零戦の戦いにはF6FよりFM-2(F4F)が有利だと主張する乗員があるのはそうした事実を示しています。

    逆に日本側には零戦ではF4U、F6Fに対抗できないという認識は色濃くあります。「同数なら互角」といった楽観論はあくまでも少数派です。
    BUN

  2. ありがとうございました。
    まとめると、千馬力級の戦闘機同士では決定的な差はなく、千馬力級の戦闘機と2千馬力級の戦闘機ではどうしても後者に分がある、ということになるのでしょうか。
    勉強になりました。
    隼兵

  3. 便乗質問ですが、零戦後継機がコンセプト的に全く異なる雷電、紫電、烈風で迷走に迷走しまくったのは、海軍上層部に「零戦は米軍新鋭機とも互角に戦っている」という幻想と、対米軍新鋭機に対する定見のなさがあったからのような気がしますが、どうなんでしょうか。
    雷鳥

  4. >3
    零戦の後継には中途半端な機体じゃ駄目だ、という意識があったからこそ、後継機の出現が遅れてしまう状況だった、と、とるべきと思います。
    雷電にしても、J2M1の性能では駄目だ、と、実機完成前にすでに指摘されており、J2M2の計画が始まっています。そのJ2M2が振動トラブルに見舞われてしまう。
    コンセプト的な違いがあるのは当然で、雷電は1500馬力級局戦、紫電は対戦闘機戦闘のできる2000馬力級局戦、烈風は2000馬力級艦戦なのです。しかし、その中では対戦闘機戦闘ができる局戦・紫電がもっとも有利なのは目に見えています。そこで、実際に雷電、烈風は中止に向かい、海軍の主用戦闘機は紫電に統一する方向に動いています。
    雷電、烈風が生き残ったのは、対B29用の高高度戦闘機として使えそうな見通しがあったからにほかなりません。


  5. 戦時中に書かれた大本営参謀の日誌の中にも、ソロモン戦のあたりで、
    「ここで雷電が投入できたらなあ」
    という趣旨のことが書かれています。
    少しでも新型の零戦ができたと話されれば、前線からは「即座にそれを送って欲しい」といってくる。
    「零戦は米軍新鋭機ともかなり苦しく戦っている」という認識は当時一般のものだったのだと思います。


  6. 片様、お返事ありがとうございます。
    零戦の限界を認識していた、雷電に対する期待があったということは分かるのですが、いまいち私に理解出来ないのは、開戦後に前線に次々登場してきた米軍新鋭戦闘機(F4U,P-38,F6F,P-47,P-51等)に対して、海軍戦闘機はどういうコンセプトの機体でどういうふうに戦おうとしてたのか、です。

    航続距離の長い高速重武装の重戦闘機で一撃離脱、編隊空戦という第二次大戦時の主流かつ(おそらくは)最適解とはちょっとずれてるような気がします。

    細かいディティールを眺めると、舵を重くして運動性をあえて鈍くした四式戦と比べて、紫電は腕比変更装置や自動空戦フラップで運動性にこだわってますし、昭和19年後半以降の雷電がようやく使い物になるようになった時期においても、対戦闘機戦闘は全く期待されていませんし。
    紫電改が優秀だったのは分かるのですが、この機体もどういう使い方をしたいのか、想定したのかいまいち理解できません。(当時の状況で迎撃戦で使うのには優秀だったのは分かります。)

    海軍が艦上機以外の陸上戦闘機や局地戦闘機を持つ日本の状況が特殊なのかもしれませんが。
    雷鳥

  7. その陸海軍戦闘機に対する理解はどうかと思います。
    四式戦闘機が好まれた理由は常陸教導飛行師団の指導文書にあるように、二式戦闘機に比べて安心して操縦桿を引ける、という点がきわめて重要な要素を閉めているようです。
    雷電と紫電改の間にあったよな関係が、二式戦闘機と四式戦闘機の間にもあったということなのでしょう。
    それは大雑把に言えば、高速機の設計技術の進歩と見ることができます。
    史実の展開か見れば違和感がありますが、日本陸海軍が求め続けていたものはとにかく敵より高速な戦闘機であったことは間違いありません。
    BUN

  8. 「四式戦は重戦でありながら軽戦的にも使えた」という感想を当時のベテランの方から伺ったことがあります。
    紫電改にしても四式戦にしても、雷電や二式戦よりもさらに高速でありつつ、それでいて極力軽快な運動性で対戦闘機戦闘に備える方向を目指しているように見えます。
    これは、敵にもF6Fのような機体が出て来る以上、的外れではないと思います。


  9. 高速と運動性の調和を目指した、ということなのでしょうか。
    レシプロ機の実用的な最高速度の限界が時速700km/h前後として、四式戦や紫電改は速度はちょっと足りないけど、速度と運動性のバランスとしてはいい線いっていた、と。
    雷鳥

  10. そうした紫電改的なものと並行して、運動性要らないからひたすら高速を目指す閃電、震電、Me163の系列をも進めてたんですよ。
    こちらは400ノット(740km/h)以上が目標です。

    こうした流れからはみ出てしまった烈風や雷電、天雷は当然のように開発中止、生産終息へ向かうべきところだったんですが、排気タービン積んでB−29に対抗できそうだったのが烈風雷電だったので、この二機種は残されているのです。

    堀越さんの著書では、三菱の烈風生産が縮小され、紫電改生産に置き換えられようとしていたことに歯噛みするような悔しさが述べられていますが、三菱・川西・愛知・昭和など多数廠社で一斉に紫電改生産を行おうとし、そのほかさらに秋水、震電、橘花局戦用の生産ラインも残していた、というのは、それなりに合理的な施策だったと思います。

    ただ、紫電改の登場そのものが遅すぎたんです。


  11. オリジナルの質問に戻りますが、仮に同位・同速度の模擬空戦を行ったとすると格闘性能、上昇力から 21型>F4Fかほぼ互角, 52型>F6Fとなると思われます。
    しかし、ヘッドオンで撃ち合うならいずれの場合も米機有利と思われます。

    実戦では1対1で模擬空戦のような状況で勝負がつくまで続けるというシチュエーションはまず生じませんし、全体でいかに有利な体勢で戦うかで勝負がつくため、機体としての戦闘力の優劣は考えにくいでしょう。たとえばF6Fが高位からの一撃離脱に徹すれば圧倒的有利です。それを実現するためのレーダー管制などの要素も入ってきます。

    一方、ほぼ同数の勢力で戦ったガダルカナル〜43年前半あたりでのスコアは、
    ゼロ戦喪失数 < F4F,F4U,陸軍戦闘機喪失数 だったと記憶しております。
    とおり

  12. >11
    ありがとうございました。
    模擬空戦と実戦の違いを考慮に入れていませんでした。
    隼兵


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