299 三菱製零戦二一型が生産終了後も、中島製二一型は、烈風実用化まで母艦部隊で運用する目的で生産されましたが、母艦での運用は二二型より適していたのでしょうか。それとも陸上部隊に二二型を優先するための措置だったのでしょうか。
はなみ

  1. 零戦二二型は、翼面積こそ二一型と同じに戻されていますが、機体重量の増加が著しいため実は三二型よりも高翼面荷重という機体です。


  2. 第十一航空艦隊から航空本部への要望等を読むと、二二型の基地航空隊への集中投入は二一型の方が翼面荷重が小さく母艦搭載に適性があったから、というよりも、二二型の高高度性能と装弾数の多さが主な理由のように思います。
    BUN

  3. 十一航艦に対してはそうなのでしょうけれど、中島がほぼ18年度いっぱい二一型を生産し続けることになったのにはまた別の事情があったのではないかと思います。
    四一型になっても、二一型系列が二号銃を積まないのは、重量増加が嫌われていたからなのではないかと想像するのですが。


  4. 中島が二一型を生産し続けた第一の理由は十八年度の発注が三菱に三二型、島に二一型で為されたためで、中島での三二型生産開始は十九年度に様子を見て行うことになっています。
    十七年度末に立てられた計画と史実は、三二型の航続力問題の根本対策(五二型のこと)の評価が定まってから計画を早めたにしても、このように実質、2、3しか月前倒しされたに過ぎません。二一型の生産が19年春まで続いたことも含めて概ね計画通りの生産なのです。
    四一型の兵装は、雷電二一型と同じくほぼ確実に二号銃不足が原因です。

    重量増加は、十七年八月の官民合同の研究会で既に織り込み済みの問題でしたし、あくまでも事実として重いということではあっても計画に影響を与えるような事ではなかったようです。
    BUN

  5. 了解です。


  6. 片様、BUN様 ご回答ありがとうございました。学研の「艦上機・水上機」にも、基地航空部隊重視への方向転換等の記述がありました。
    はなみ

  7. 便乗質問すみません。
    海軍の九九式20mm二号銃は供給数が限られていて、一号銃と併用せざるを得なかったそうですが、栄一二型と栄二一型にも同じような関係(二速過給機に生産上のボトルネックがあったとか)はあるのでしょうか。
    雷鳥


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