407 ミッドウェー海戦後に不足した空母の補てんに大淀を空母化するという計画があったのですが、質問はその艦載機で
文献で紫雲おフロートを取り除いて引き込み脚を設けたものが多いのですが、なぜ紫雲なのですか?また、彩雲や二式艦偵ではないのですか?
蒼龍

  1. 大淀の空母化というか、空母として完成させる案は昭和13年10月頃の前田部員による
    「W一〇五に對する私見」にその記述があります
    ここでは高速偵察機、九七艦攻、九六艦戦の搭載シミュレーションが書かれています
    搭載機が紫雲のフロート無し版であるというのは昭和13年9月13日の「丙巡を空母に改装案研究」に書かれている「高速水偵を艦偵に改装」という記述を解釈したのだと思われます
    (もっと具体的な資料があるのかどうかは解りません)
    このように大淀の空母化は昭和13年の秋なので彩雲も二式艦偵も存在しないので候補になりません
    ミッドウェー海戦後には重巡も空母改装候補にあがり、高雄型や妙高型も空母化検討されたようですが、具体的に検討されたのは利根型、伊吹のみのようです
    大淀の改装計画も存在したのなら詳細が知りたいですね
    ふあはん

  2. なるほど昭和13年度の計画でしたか。自分はミッドウェー海戦後と勘違いした可能性もありますね。
    なにぶん資料がないので。どうもありがとうございました。
    蒼龍

  3. 何か一片の書付を見つけて、鬼の首を取ったかのように騒ぎ立て、海軍全体でまじめに検討されていたかのような書き方をする最近の若手のセミアマチュアの風潮は苦々しい限りです。

    大淀の起工は14年2月、完成は18年2月です、甲標的母艦などと同様に艦隊決戦の秘密兵器的な存在の巡丙が起工前に空母化の計画があったという話にどれだけの意味があるのでしょうか。

    大淀は完成前にその存在理由を失っていたというのは事実であり、可能ならば空母への改造を行いたかったでしょうが、彼女は最小の軽空母と言われた伊吹よりもさらに一回り小さい艦型です。
    伊吹同様機関は半減され、速力は30ノット弱になると思われますがこんな艦に使用価値を見出すのは難しいでしょうね。

    14年の試作である紫雲について言えば、巡丙と対でのみ意味を持つ機体であり、艦上機への転身を図る気持ちもわかりますが、実際には強風/紫電以上に困難な話です。

    紫電改を信濃でテストした事例はあるものの、艦上機として重要な視界、離着陸性能に難を持つ紫雲を既成機を改造した上で空母大淀上で運用する事は不可能でしょう(例の補助空母構想の話はおいておいて)、大幅な設計変更の上新規に生産する事は競合機(2式鑑偵等)があ以上なおさら意味のない事です。


    サイクロン

  4. >鬼の首を取ったかのように騒ぎ立て、
    たつもりも無いですし
    >海軍全体でまじめに検討されていたかのような書き方をする
    つもりも無いです
    これらの内容は市販の「日本の空母パーフェクトガイド」でもプロのライターの方が触れられてます
    何故にこのような悪意剥きだしの絡まれ方をするのか解りません
    資料の紹介をするのが、そんなに悪いことなのでしょうか?
    ふあはん

  5. ふあはん様を批判したわけではなく、紫雲の陸上機化などという話を取り上げている、そのプロのライターと言われる人種の資質の問題なのですが。
    サイクロン

  6. 「どれだけの意味があるのでしょうか」というのであれば、例えば、空母で運用する艦上複戦を開発していたはずの三菱がなぜか(経験が極めて浅い)水上観測機を作ることになってしまった経緯を読み取ろうとするとき、大淀のような艦を「水上機搭載で作るのか」「飛行甲板をもたせて艦上機搭載とするのか」ということで海軍の内部に両方の選択肢があり、綱引きが行われていたという事実はきわめて重要と思われます。

    昭和19年の様相と、13年当時の用兵思想の揺れを同列に見てしまうことこそどうかと思います。



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