443 キ61改(丁型)と、キ61 2型改には機体後部にバランスウェイトを載せていたという話をききます。
具体的に、どのくらいの重さのバランスウェイトをどこに装備していたのでしょうか。
山下

  1. 確か30kgか60kg。
    今手元に書籍が無いので記憶モードになりますが、碇義郎、渡辺洋二両氏の三式戦通史で読んだ記憶があります。
    今でも出版されていますので一読をお勧めします。
    ただ聞くだけよりよほど面白いしためになりますよ。
    HELLDIVER

  2. HELLDIVERさん、ありがとうございます。
    私の調べた範囲では、設計・製造に近い人の記述として以下のものを確認しております。

    ・土井武夫氏「飛行機設計五〇年の回想」
     「(胴体に対し主翼を移動させることで重心位置を容易に調整できるようにした仕組みについて)
      キ61 I において胴体と主翼との一体構造を採用していれば、I 改においては胴体尾部に 30kg の、
      また II 改においては尾部に 60kg のバランスウェートをそれぞれ装着することになったであろう。」

    ・小口富夫氏(当時 川崎航空機工業 岐阜製作所設計部発動機艤装課長)「世界の傑作機 5式戦闘機 昭和48年版」
     「(ハ112への換装に際して)
      この換装に際して交換されたおもな部分を図2に示す。すなわちキ61の胴体防火壁より前方の発動機架構
      (応力外皮構造部分)、および覆類、ハ40(ママ)、プロペラ、胴体後下部の水・油冷却器および
      付属装置と尾部のバラストなどを取り去って、新たにハ112およびプロペラ、発動機架(鋼管溶接構造)、
      覆類などを取り付けた。」
     あわせて「図2」としてキ61 II 改の略図の尾輪上方に小さな四角が記され「鉛弾バラスト」と記されています。
     (この図は現行の世界の傑作機においても掲載されています)

    碇義郎さんの著作は不勉強にして未確認で、渡辺洋二さんの著作では「尾部の鉛バラスト」と記されています。
    丸メカニックには特に記述はありませんでした。

    土井氏の記述からはバラストは搭載していないとも読める書き方になっています。
    このため、他に資料はあるだろうか・・・と思いご質問させていただいた次第です。
    山下

  3. 「世界の傑作機 陸軍三式戦闘機」には、「マ」弾の腔内破裂事故の対策として、厚い発動機覆を付けることを要求され、その結果、尾部錘が追加された…というように書いてあります。

    設計時から判っていたことなら、主翼位置をずらして重心位置を調整すれば済むことなので、尾部錘が事故対策の結果だというのは、ありそうなことですね。

    五式戦開発時には「マ」弾の信管不良問題は解決されていたのかも、とも思えますね。。。
    じゃま

  4. じゃまさん、ご教示ありがとうございます。
    現行の「世界の傑作機」とは・・・確認が行き届かずお恥ずかしいかぎりです。早速確認いたしました。

    >>2の小口富夫氏の手記ですね。引用いたしますと

    「(胴体上部の20mm機関砲の榴弾が砲口を出た途端破裂し発動機の補機を損傷するという事故にふれて)
     そのため、ものすごく厚い鋼板を使用して発動機覆いの砲溝を補強したのであるが、その結果として
     重量がぐんと増して、3式戦は尾部に平衡用錘を取り付ける必要が生じ(以下略)」

    川崎航空機の発動機艤装を担当された方の手記であること、
    1型改にバランスウェイトが搭載されていたこと、
    その直接原因として20mm 機首装備の暴発対策が記してあることといい、とても興味深い資料です。

    時系列順に見ると、昭和18年4月23日に武装強化、装甲についての打ち合わせ、
    20ミリ機首装備の1型改は昭和19年1月完成、
    ※杉山元帥がどうしても20ミリを取り付けて欲しいと川崎に依頼しに来た
     (川崎航空機設計技師大和田信氏の手記)とされる時期は18年中盤〜後半頃、
    そして2型1号機は18年8-9月初飛行、2型改原形となる2型9号機は19年2-5月完成、
    キ100は、19年春ハ112への換装予備研究開始、19年10月に軍需省から換装指示、12月末設計終了、20年2月初飛行。

    いっぽうホ五の暴発対策としての空気信管導入は昭和19年半ば以降(国本康文氏)とされています。
    キ611型改、2型、2型改の設計時期には間に合わなさそうです。
    キ100の設計や艤装には反映できたかもしれません。

    >設計時から判っていたことなら、主翼位置をずらして重心位置を調整すれば済むことなので、尾部錘が事故対策の結果だというのは、ありそうなことですね。

    機体設計後に発覚した問題であるため泥縄式に尾部にバランスウェイトを積んで調整したのではないか・・・
    私も同じ印象を持っております。
    山下

  5. 単純に13mm機関砲2門が20mm機関砲2門に換装されて、その増加重量とエンジンが200mm前方に移動したために重心を調整するのに錘をいれただけではないのですか。
    河守

  6. >>5
    土井武夫氏「飛行機設計五〇年の回想」には
    件の重心位置の移動に対応して主翼位置を移動させる機構の説明において、以下のように述べられています。

    「果たせるかな戦局の推移に従い武装の強化、防弾装置の追加などの要求が次々と起こってきた。
     主翼に装備した武装の強化および防弾タンク装備による重心位置の変化は無視できたが、キ61 1改においては
     胴体の武装の強化のためこの部分を200mm延長したのに伴い、エンジンが同じく200mm前進したので
     胴体主肋材に対して主翼を40mm前進させたのである。」

    文章からは、キ61 1改における武装強化とエンジン位置前進については主翼の前進で対応できたように伺えます。
    そして以下、>>2の「キ61 I において胴体と主翼との一体構造を採用していれば、・・・バランスウェートを・・
    装着することになったであろう。」に続きます。
    また、>>4の小口富夫氏の手記には、バラスト追加の直接の理由は機首 20mm 機関砲の暴発対策であると
    記されています。

    上記より20mm 機関砲の搭載そのものはバラスト搭載の理由ではないといったん考えました。
    もとより手記の記述が完全無欠ということでもないと思いますので、
    結論を急がず見解と資料の突き合わせができれば、と考えております。
    よい資料などございましたらお教えいただけましたら幸いです。
    山下

  7. 世傑の35ページの丙型の写真と38ページの丁型の写真を見比べても、点検カバーの位置関係から40mmの前進は感じられないように思います。フィレットの形状で調整しているのかと思いましたが、フィレットが特に長くなっている様子もないようです。主翼の位置を変えられる余裕があるなら20mm装備の主翼のほうを選択するほうが楽なように思えるのですがいかがでしょう。
    河守

  8. 世傑の48ページに主翼の取り付け位置が変えられると書いてありました。申し訳ありません。
    河守

  9. 小学校の理科レベルですが、前後で釣り合っている状態で200mm前に伸ばせば重心位置は100mm前進すると単純に考えているのですが、どうして40mmの調整ですむのでしょうか。
    乙型と丁型の自重差は250kgで機関砲の重量差は2門で28kg、残りの220kgはどこに使われたのでしょうか。(機関砲は重心近くにあるのでモーメントには余り影響がないようです。)
    河守

  10. > 乙型と丁型の自重差は250kgで機関砲の重量差は2門で28kg、残りの220kgはどこに使われたのでしょうか。
     日本機では機関砲の重量は自重には含まれませんよ。
    T216

  11. 自重の件ありがとうございます。丁型開発の頃すでに防弾対策やその他のいろいろな対策でバランスが崩れていて、ホ5の搭載スペースを充分に確保することを兼ねて機首を200mm前方に伸ばして重心調整をしたと理解します。
    バラスト分30kgを除く220kgが機首の設計変更箇所、燃料タンク、オイルタンク増設その他で乙型測定時より増加したということになります。
    河守

  12. 当トピックスの質問主としては、
    1型改が胴体砲暴発対策の防護板重量をバランスするためにバラストを搭載していた件は
    じゃまさんよりご教示いただいた小口氏の手記よりまずは確定的かと考えますが、
    その重量が 30kg との話はまだ確定的ではないと認識しています。
    また、ここでバラストは自重なのか搭載量なのか、判断には迷うところです。

    1型乙(501号機〜)から1型丁(4001号機〜)における重量増は自重で250kg、搭載量で90kg、全備重量で340kgとされており、
    自重250kgの差分は、たしかに河守さんのおっしゃるとおり「一体何に使われたのか」と考えるほど大きな量です。

    その差分、自重/空虚重量/搭載量の区分をいったんおいて候補を挙げると
    胴体砲の換装/胴体延長/胴体砲暴発対策の防護板/燃料タンク全周の12mmゴム被覆/操縦席後方8 mm防弾板/
    冷却器後上方 8 mm防弾板/滑油タンクの統合/胴体タンクの除去と復活/爆弾懸吊装置装備/操縦席前方 50mm 防弾ガラス(詳細不明)
    などがあります。

    振り分けの手掛かりとして近日、防研にて取説などを確認しに行こうと考えて居ります(有ればよいのですが)。
    進展がありましたらご報告させていただきます。
    山下

  13. 20mm砲の件ですが、世傑では杉山元帥の搭載要請が18年11月ごろ。ホ103のマ弾の空気式信管が18年末ごろには実戦配備されているので20mmのマ弾もめどが立っていたと思います。4式戦乙型で特に事故があったという記事がないので3式戦I型丁でも解決済みだったのではないのでしょうか。
    河守

  14.  一型丁と比較して自重が250s増加したという一型乙は要目を見ると燃料タンク容量が555Lになっていますので、燃料タンクのゴム被覆が上面9o+側面6o時の数値ということになり、タンク全周に13mmゴム被覆を持つ一型丁(一型乙後期型も)の方が自重が重い要因のひとつになると思われます(推測ですが50〜100s位ではないかと思います)。

     胴体後部燃料タンクについては、↓のような説もあるようです。
     http://www5b.biglobe.ne.jp/~s244f/ho528.htm
    T216

  15. >>13
    ホ5への「空気信管」の開発・配備の時系列については、以下のように理解しております。
    キ61 1改の試作時期における実績反映は難しいのではないかと考えております。

    以下、戦史叢書によります(さらに元出典は「陸軍航空技術沿革史」である由)。
    ・昭和17年5月頃、一〇〇式小瞬発信管付きの航空機用20mm榴弾に腔発が発生
    ・地上信管の権威、東京陸軍第一造兵廠製造所長の桑田小四郎大佐が部下の渡邊三郎技術少佐に命じ原因調査、
     炸薬ではなく信管に原因のあると報告
    ・昭和18年、渡邊少佐が空気信管を開発
    ・昭和19年初頭、航空審査部に天皇行幸のさい、御前飛行中の四式戦の翼砲ホ5が腔発事故を起こした
     真因解明には至らなかったが、信管に原因があるという判断のもと、その後空気信管が使用されることとなった
    ・この空気信管は四式剛発信管とよばれる

    以下、国本康文氏によります。
    ・空気信管は昭和19年半ばよりホ5榴弾へ用いられ、次いでホ103用の弾薬にも用いられた。

    また、キ84の乙型については詳細な試作時期不明、生産機は早くて昭和20年3月と理解しております。
    四式戦の腔発事故例としては上記の例が挙げられるかと考えます。
    山下

  16. >>14
    T216さん、ご教示有り難うございます。
    タンクの容量と防弾仕様については以下のようにまとめました
    (主に「丸メカニック」学研「三式戦飛燕・五式戦」)。

    製造番号  第1 第2 第3 防弾装備
    =============================================
    113-   190*2 175 200  3mm ゴム、10mm フェルト
    421-   190*2 175 200  上面9mm 側面6mmゴム
    514-   190*2 175 なし  上面9mm 側面6mmゴム、冷却器後上方に 8mm 防弾板追加
    650-   170*2 160 なし  全周12mmゴム
    4001-   170*2 160 95  全周12mmゴム

    (1甲:113〜 1乙:514〜 1丙:3001〜 1丁:4001〜)

    零戦の取説においても胴体 140l、翼内 310l の防弾タンクおよび支基として、
    仕様は違えどそれぞれ 43kg, 127kg を数えています。大きな重量要素と思われます。

    また、防弾板のサイズと厚みは、学研「三式戦飛燕・五式戦」に米側資料の図が掲示されており、
    操縦者頭部後方(台形)/操縦者後方(四角)/冷却器後上方(四角)、
    日本側資料と厚さが異なるのですがざっと計算して 60kg 程度にはなりそうです。
    山下

  17. 現時点のまとめとして、いったん
    1型改設計時点(おそらく2型・2型改も)では主翼位置調整により重心位置は調整されており、
    「バラストは暴発対策の鋼板のカウンターウェイト」であるという解釈をとろうと考えております。
    元質問であるバラスト重量は残念ながら不明です・・・
    また、防研での調べものについてはひきつづき進展ありましたらご報告いたします。

    ご回答、コメントをいただいた皆様にお礼申し上げます。
    山下


Back