444 キ61 への 20 mm 機関砲搭載の経緯についてご教示ください。

陸軍航空技術研究所 陸密第115号「飛行機竝ビニ試作機武装ニ関スル件」にて以下の提言があります。
 「キ61 初号機より武装強化する、なお昭和18年9月完成予定機よりホ103 2 門をホ5 2 門に改正予定」

いっぽう、昭和17年3月の陸軍航空技術研究所「次期試作機計画表」には以下のように記されています。
 「キ六十一   発動機ハ40  第一号機完成期16−12 審査完了時期17−6 予想最高速580/4800」
 「キ六十一性向 発動機ハ140 第一号機完成期17−11 審査完了時期18−8 予想最高速650/6000」

となりますとこの時点の計画として、
時期的に「昭和18年9月完成予定機」としてキ六十一性向へのホ5搭載は難しそうに思えます。
「昭和18年9月完成予定機」とされているものは性向型でなく無印のキ61を想定しているのでしょうか。
山下

  1. ご想像の通り二型ではなく一型のことです。

    けれども現実のホ五への対応はホ五搭載のために新設計した二型用主翼への搭載計画から始まり、二型主翼の一型胴体への組合せ案を経て、一型の胴体延長という形で実現します。
    BUN

  2. 横からすみません。
    「現実のホ五への対応はホ五搭載のために新設計した二型用主翼への搭載計画から始まり」ということは、一型主翼を設計しなおさないとホ5が搭載できないってことが、わかっていなかったということなんでしょうか?
    HELLDIVER

  3. 重戦闘機への20o搭載計画は輸入のMG151から始まっているからです。
    BUN

  4. すみません、尻切れトンボですね。
    そして国産20o機関砲であるホ五搭載構想の初期は胴体のホ一〇三を換装しようと考えられていたのですが、こちらも改造が必要ですからなかなか手がつけられずに一型丁に至ります。
    BUN

  5. BUNさん、さっそくの回答、ありがとうございます。
    つまり、こういうことでしょうか。
    最初は胴体のホ一○三を20ミリ化しようとしたが、改造に手が回らないうちにMG151が輸入されて三式戦への搭載が決まり、その結果主翼の改設計が必要になった。
    もともと三式戦一型はエンジンの馬力不足がわかっていたので馬力アップした二型が本命として開発中であり、これの完成予定OR完成見込みがMG151の搭載時期と近かったため、主翼を改造して搭載するのも二型からにしようという計画になった。
    HELLDIVER

  6. BUNさん、ご回答をいただきありがとうございます。
    また、お礼がずいぶん遅くなり申し訳ございません。

    学研「三式戦飛燕・五式戦」は何度も読み返させていただいております。
    こちらに、「昭和18年4月23日の武装強化、装甲についての打ち合わせ」について記されており、
    20mm 機関砲装備についての方針が記録されています。内容は、川崎の報告として
    ・キ61に対する胴体機関砲のホ5への換装が7月上旬に試作機完成
    ・翼のホ103をホ5に換装する改造翼が8月上旬に量産可能

    また決定事項として
    ・MG151/20を装備する計画を同時に進行させる
    とあります。ということは、この時点以前に「キ61に対する胴体機関砲のホ5への換装」が陸軍側で構想され
    川崎に指示されていたと考えました。

    その後の4月26日にはキ61の武装はホ103の4門装備を優先し、その実施時期は513号機とされ、
    キ61 1 型としてのホ5翼装備は実施せずと決定され、あわせて2型用20ミリ搭載翼を1型に適用するとされています。
    513号機の生産時期はちょうど昭和18年9月ですね。

    となると、HELLDIVERさんとも被りますが、たとえば昭和17年5月時点の「飛行機竝ビニ試作機武装ニ関スル件」
    における「昭和18年9月完成予定機」への「ホ5搭載」とは、胴体装備が想定されていたのでしょうか。

    キ61については安藤成雄さんがその著書で 陸軍航空技術研究所 昭和16年10月『自昭16年度至昭18年度 
    次期飛行機試作状況並に性能向上に関する意見』にてキ61の「13mm」機関砲装備は命中精度を重視し胴体が適当と
    コメントされており、また附表においてこの段階で軽単戦「キ61」について備考欄に「13mを20mmとなすことを研究」
    とあります。
    山下

  7. 書き込みが遅くなってすみません。

    安藤成雄さんが書かれている構想は一つの意見として存在していましたが、16年12月に実際に川崎に対して研究指示が下されたのは翼内への20o搭載です。その理由そのものを示した記録はありませんが、翼の7.7mmの代わりに20mmを搭載する研究を指示したことは事実で、13mm×4の武装強化案はその翌月の1月14日に「飛行課希望」として記録されています。後に制式武装となった13mm×4案の方が後から出ています。

    20oの搭載が大規模な設計変更を要することがはっきりと認められたのは翌17年5月で、これで20o用の主翼が作られる訳ですが、二型の試作機完成予定はこの時点で18年4月で、12月に設計着手する予定の20mm用主翼をそれまでには完成させたい、とされていますので、二型は一型と同じ主翼で進んでいたことがわかります。計画の本来の姿としては二型=20mmではなかったということです。20o翼は最初からキ61系列全体への追加装備的雰囲気があります。
    けれども、17年5月時点というキ61用ハ140の組立も終わっていない段階で、この予定はかなり苦しく、18年9月の量産予定は漠然と一型への装着を考慮していたのだろうと思います。

    そして20mm用主翼には37mm搭載も考慮されるようになりますが、37mmにモーターカノン式の搭載法も考慮されます。その場合胴体銃を20oとする案が駒村少将から17年11月20日に指示され二型武装強化案はしばらくこの形をとります。20o胴体案が具体的に研究されたのはこの時点ではないかと思います。

    このような形でキ61に関しては性能向上計画と武装強化計画がそれぞれ別個に並行して進んでいるため、その流れを把握するのはけっこう大変です。ハ140、ハ240(三型用)といった発動機試作見通しの不安定さと、国産20o機関砲の試作難航から計画が揺れている様子がそこから窺えます。
    BUN

  8. BUNさん、度々詳細なご回答をいただきありがとうございます。

    学研「三式戦飛燕・五式戦」記載の武装強化計画の経緯を拝見いたしましても、
    20mmについては2型、1型ともに翼内装備にて研究・開発が進んでいるさまがよくわかります。
    そのいっぽう実際に戦力化された実機については1型改、2型(および2型改)いずれも胴体内装備となっています。
    かなり研究を進めていたであろう翼内装備を措いて胴体内装備へ・・・なにが転機となったのだろう?
    という点にとても関心がありました。

    ご回答により、「昭和18年4月23日の武装強化、装甲についての打ち合わせ」における、
    川崎側からのキ61に対する胴体機関砲のホ5への換装、翼のホ103をホ5に換装する改造翼の進捗報告への
    つながりが今まで以上に理解できました。お礼申し上げます。

    駒村少将と言えば昭18.12の第四航空軍への現地派遣説明の中で、三式戦の武装強化について

    「三式戦一型二〇粍機関砲(マウザー)は、来年の四月までに四〇〇の生産を見込(輸入八〇〇門)、
     一三粍四門装備のものは、右と平行生産する。」
    「三式戦二型の部隊装備の開始は来年六、七月ごろの見込。
     二型は速度四〇粁/時増、武装は二〇粍四(又は二〇粍二と一三粍二)」

    として、マウザー搭載版と二型(20mmを胴体にも装備)について触れてはいるものの
    時期的にも現実化していたはずの1型改についてはなぜか触れられていない点が興味深いものです。

    キ61については、バックボーンとなる陸軍戦闘機の軽戦/(中戦)/重戦概念の変転や、
    対英米戦争開戦後の実績もふまえての武装/防弾強化といった要求面、
    いっぽうでその要求が開発/生産の面で実現できるかどうかといった実現面、
    それらの渦中でプラットフォームとしての実機の仕様が紆余曲折しつつある様は
    BUNさんの仰るとおり、とても込み入っていますね。
    山下


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