455  屠竜(キ45改)が実施した作戦について質問します。屠竜に関する解説を読んでいると、しばしば目にするのが屠竜が船団護衛を実施したという記述です。
 しかし、船団護衛なら海軍の任務だと思います。では陸軍機の屠竜はどのような理由で船団護衛を実施したのでしょうか。陸軍が独自時に実施したのでしょうか、それとも海軍に協力する形で行ったのでしょうか。また武装はどのようなものだったのでしょうか。

二一斎

  1. 戦史叢書のニューギニア航空戦なんか読んでると盛んに出てきます。
    基本的にこの方面に海軍は居ないので陸軍がやるしか無いのです。
    また、船団護衛といっても潜水艦に対する護衛の意味もあります。
    ですので屠龍だけでなく97重爆でも有効ですし、それぞれ出張って頑張って船団護衛を行っています。

    ニューギニアという場所が場所なので陸軍も必死なのです。
    P-kun

  2. 二式複戦については、実戦部隊では『二式襲』と表現されるくらい、攻撃機として酷使されていますよ。
    性能的に、対戦闘機戦としては使えない。元の設計がかなりの部分、九九軽爆の流用ですから、理に適った運用でしょう。
    ニューギニアでの使用部隊は5戦隊で、型式は初期が甲型、実際に戦果を上げ始めたのは乙型になって胴体下面に94式戦車砲を装備した機体のようですね。
    (参考:世傑新版#21 P35、P41等)

    また、フィリピンに展開した45戦隊、27戦隊は、襲撃部隊(対地・対艦攻撃専門部隊)として丙型を主用しており、実際に部隊では二式双発襲撃機と呼称されていたようです。
    (参考:同上書 P42)


    TOSHI!!

  3.  P-kun様、TOSHI!!様、回答有難う御座います。
     ニューギニア方面で船団護衛を実施したのですね。陸軍機としてはなれない作戦で大変だったと思います。担当者の苦労が偲ばれます。
     戦史叢書は周囲にないので世傑を読んでみようかと思っています。

    二一斎

  4. 屠竜に関しては知らないのですが、陸軍の船団でしょうから陸軍機が護衛をするのが当然だと思います。
    加藤隼戦闘隊も陸軍の船団の護衛をしたことが有ります。
    加藤隊長の話しによると「不安で心が一杯になりながら広い洋上を飛び続けて船団を見つけたときはほっとした」そうです。
    「しかし船団の上を旋回するのが精一杯で、もしも敵機に襲われたらひとたまりも無くやられただろう」とも言っていました。
    (船の搭乗員の話ですと)甲板の上では陸軍の兵隊さんたちが、友軍機が来たということで大喜びして力一杯手を振っていたそうです。
    さて、時間が来たので引き揚げることにしました。しかし帰路も洋上のことなので、目標物も無く基地の大体の方角しか分からないので大変に心細く、やっとのことで基地のスペリー灯が夜空に向かって光芒を放っているのを見つけたときは地獄に仏を見た思いだったそうです。
    スペリー灯を誘導灯として使うことは敵機も誘導してしまうため、かなり危険だそうですが、もしこれが無かったら基地に帰れなかったかもしれないと加藤隊長は述懐していました。このときは確か3機が未帰還になったはずです。

    関係ないですが、父の(陸軍の)船はアメリカの潜水艦からの魚雷攻撃を受けて海の藻屑と消えました。
    連隊の中で生き残ったのは父と見習い軍医の二人だけでした。
    叔父は海軍陸戦隊に所属していてレイテの近くの島でゲリラと交戦して戦死しました。
    若干17歳でした。
    陸軍が船を持ち、海軍が陸戦隊を持つ。日本はなんと無駄なことをしていたのでしょう。
    とめ


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