690 P・クロステルマン「空戦」(朝日ソノラマ)P.254には
「一九四一年九月二十日、(引用者補、モスキートの)偵察機の原型は、ブレスト−−ラ・パリシ−−ボルドーからパリ経由帰還する困難な撮影飛行を白昼敢行し、非常な成功を収めた。ジョフリー・デハビランド自らが操縦桿を握った」とあります。
他方、少なくとも英語版ウィキペディアによれば、ジョフリー・デハビランドには軍歴がないように思われます。たとえメーカーのチーフテストパイロットといえども、(英本土での試験飛行ではない)実戦に参加させるとなると、機密保持規定やら死亡時の補償やら、いろいろなお役所的困難が生じるように思うのですが、当時の英空軍はこのあたり、どのように処理していたものでしょうか?


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