質問コーナー(AnsQ)分類

1.航空機関係 501 - 700


No.
内容
501 終戦直前の第二十戦闘飛行集団の111、112戦隊が四式戦ではなく五式戦で編成されたのはなぜでしょうか?
502 零戦52型は翼端を詰める際、垂直に切る32型と異なり、円弧上に形成してあります。わざわざ円弧状に形成する性能上のメリットは何かあるのでしょうか?
503 連投質問失礼します。第二次大戦時のドイツ空軍双発機のうち、主脚を下ろした時、ナセルのギアの部分は当然収納ドアが開いてますが、タイヤ収納部のドアが閉まった形状になっているのがあります(Ju88とかFw189とか)。タイヤを上げ下ろしするために小まめに開け閉めすることになると思うのですが、あれはどうしてああなっているのでしょう?少なくとも日本の双発機のナセルには見られないものだと思うのですが…。
識者の皆様、毎度くだらない質問をとお思いでしょうが、どうかこの理由を教えてください。
504 四式戦は沖縄戦の時、どの辺りまで飛んで活動していたのでしょうか。
505 九九式艦上爆撃機一一型と二二型の正規・過荷・増槽装備など各状態の航続距離について教えてください。
条件によって変わる為、一概に言えない数値かもしれませんがよろしくお願いしたします。
506 零式艦上戦闘機五十二型の給油口がどこか教えてください。
683 中島飛行機の「護」発動機についての質問です。

護がわずか200基程度の生産数で打ち切りとなったのは、、海軍から誉、栄の生産に集中するよう指示(もしくはその意向)されたからなのか、天山の発動機が火星に換装された時点で、単純に他方面からの受注の見込みが無いと中島側で判断されたからなのか、どちらなのでしょう。
684 艦船関係と迷いましたが、こちらで質問させて頂きます。

艦上爆撃機で敵航空母艦の飛行甲板破壊を狙ったものと思われます。
日本海軍が敵航空母艦攻撃の際、通常爆弾で攻撃する事が多かったですが、陸用爆弾の方が飛行甲板破壊に適しており、飛行甲板破壊する事で敵航空母艦の無力化に繋がるとつい考えてします。

ですが、
http://www.warbirds.jp/ansq/41/D2001711.html
によると、陸用爆弾は「防御砲火の牽制には適当なり」という評価との事であり、陸用爆弾は対空火器破壊には効果はあるも飛行甲板破壊には適さないという判定を日本海軍がしていたと言う事だと思います。

飛行甲板が非装甲である場合、艦内深くで爆発する通常爆弾より、艦内浅い場所で爆発する陸用爆弾の方が飛行甲板の破壊が大きいとつい思ってしまいます。
陸用爆弾は「飛行甲板の破壊には適当なり」とならなかったのは、何が不味かったからなのでしょうか。
685 昭和15年2月9日「兵器名称付与ニ関スル件申進」として「紀元二六〇〇年ニ完成又ハ採用ノ兵器名称ハ零式トシ紀元二六〇九年迄ハ夫々一式、二式ヽヽヽヽ九式トス」ニ改メラレ候」という通達が出ています。これはアジ歴の「海軍(二復)公報」(「昭和十五年二月九日官房機密第一〇三〇号(海軍公報三四二五号登載)」)で確認できます。

これに基づき、昭和15年採用になった十二試艦上戦闘機は、零式艦上戦闘機(厳密に言えば、零式一号艦上戦闘機のようですが)という名称で採用されたことは、皆さんご承知のとおりです。そして零式艦上戦闘機は略して零戦と称されていることもです。当時の公文書を見ても零式艦上戦闘機(零戦)以外の表記を見たことがありません(当たり前ですが)。

ところが何故か、「零戦」ではなく「ゼロ戦」と表記する本やウェブサイトが非常に目に付きます。一例を挙げるなら著名な戦史家である秦郁彦氏の書いたものは、すべて「ゼロ戦」となっています。どうして制式名称である漢数字を使わないのでしょうか。無論当時でも「レイセン」以外に「ゼロセン」と呼ばれていたことは知っています。しかし呼び方と表記は別物です。例えば戦艦「大和」を戦艦「ヤマト」と表記する人はいないでしょう(宇宙戦艦ヤマトはフィクションですから、関係ありません)。

明らかに誤りと言えることが、なぜまかり通っているのか残念でなりません。「ゼロ戦」と書く人は、秦氏も含めてカタカナにすると、かっこういいとでも思っているのでしょうか。もし私の気が付かない理由があるならご教示ください。
686 下のNo.683で老兵さまからのお返事をいただいた際にふと思い出した事を質問させてください。現存する大戦機についてです。

もう30年ほど前(年がバレますね・・・)、叔母と山口の秋吉台へ旅行に行ったのですが、そこにある秋吉台サファリランド(これは現在も営業しているようです)内に遊園地があり、さらにその片隅に博物館のような施設が併設してあったのです。そこには大戦中の様々な兵器や軍装などが展示してあったのですが、詳細はもう覚えていません。ただ一つだけはっきりおぼえているのは、天山が展示してあったことです。幼い私でも天山が現在では希少な機体だと知っていたため、興奮してその機体を見ていたのでこれだけは鮮明におぼえています。説明文には確か愛媛県沖(松山基地所属?)に沈んでいた天山を引き上げ展示したもので、損傷や汚れがひどく、レストアはほとんどされていないような状態でした。しかしキャノピーは割れていたものの全ては失われてはいなかったし、機体の原型はきちんととどめていたように思います。現在日本国内には現存する天山は無いそうですが、それでは私がかつて見た天山はどこへ行ったのでしょうか。維持不可能と判断され廃棄されてしまったのでしょうか。
687 今流星艦攻のプラモをを作っていて気付いたのですが、エンジンの単排気管の出口がカウルフラップの下からカウルフラップを切り欠いて突出する零戦、雷電、紫電改、疾風(五式戦は特別)と異なり、カウルフラップの一区画後ろの区画から突出しています。この違いはどうしてでしょうか。単排気管のロケット効果を最初から計算に入れた流星と、集合式排気管から変更した前者の違いでしょうか。それにしては、同世代の機体、試作機体に流星類似のものがありません。識者の皆様でエンジン関係に詳しい方このことについて何かご存じでしたら教えてください。
688  烈風の写真は戦後20年以上たって始めて発見されたと聞きます。
当時、ミリタリー雑誌だとどのように取り扱われたのでしょうか?
その当時の丸誌など読んでいた方など、ご記憶にございましたらおしえてください。
689 今日(11・25)大きな爆音がするので見上げると、ボーイング・バートルが奈良盆地の上空を南西に向かって飛んでいました。めずらしいヘリコプターが飛んでいるな、八尾空港に向かっているのかなと思いながら30分程散歩をしていると今度は南西から北東の方に多分同じバートルが飛んでいきました。あの方向には空自の奈良基地ぐらいしかないのにと思いながら20分程歩いていると今度は私の上空を南西に前より西よりのコースを飛んでいきました。機体下面が無塗装なので陸自のヘリではないのかと思いながらスーパーに寄って帰るとき、また同じバートルが北東に向かって飛んできました。このバートルはなんで行ったり来たりしているのか分かりませんか。推測で結構です。グーグルアースで奈良基地を見て見ましたが、教育機関なのでHマークのヘリポートはありませんでした。広い球技グラウンドや陸上用グラウンドはあります。
690 P・クロステルマン「空戦」(朝日ソノラマ)P.254には
「一九四一年九月二十日、(引用者補、モスキートの)偵察機の原型は、ブレスト−−ラ・パリシ−−ボルドーからパリ経由帰還する困難な撮影飛行を白昼敢行し、非常な成功を収めた。ジョフリー・デハビランド自らが操縦桿を握った」とあります。
他方、少なくとも英語版ウィキペディアによれば、ジョフリー・デハビランドには軍歴がないように思われます。たとえメーカーのチーフテストパイロットといえども、(英本土での試験飛行ではない)実戦に参加させるとなると、機密保持規定やら死亡時の補償やら、いろいろなお役所的困難が生じるように思うのですが、当時の英空軍はこのあたり、どのように処理していたものでしょうか?
691 Wikiのオスプレィで、固定翼について、下記に引用したような説明がしてあります。


<固定翼機での主翼に相当する高翼配置の固定主翼はわずかな上反角といくぶん前進翼である点を除けば単純な矩形翼であり、地上駐機時の占有スペースを小さくするために、中央取り付け部を中心に右方向へ90度回転するようになっている。>

質問したいことは、「地上駐機時」についてです。

この、地上駐機時とは、文字通り解釈すると、地上に駐機している時、であり、航空母艦や輸送船などの艦上ではない、ですよね。
翼を回転するためには、それだけ機体の重量を増やし、積載能力の減少をまねくことになります。

艦上のことであれば、占有スペースを救済するため、重量増加もやむを得ない、とは思います。

しかし、地上でも、翼の回転は必要なのでしょうか?地上基地のスペースは、困窮しているのでしょうか?

教えて下さい。

692 キ61の開発時、搭載が検討されていた三菱の水冷エンジンのハ21とは三菱の社内名称で言うところのB4もしくはB5エンジンのことでしょうか。三菱はイスパノ650馬力を元にいろいろな水冷エンジンを試作していたようですが・・・
693  陸軍の大東亜戦争決戦機疾風は第二次大戦最優秀機と呼ばれたアメリカのp51ムスタングより優れた戦闘機というのは本当でしょうか?
694 質問683のケンジさんのご回答に関連してなのですが、陸軍においてエンジンの海軍名を使うということがあったのでしょうか。
695 1936年当時の三菱重工業、川崎航空機および愛知時計電機の航空機開発力について質問します。
1936年に十一試艦上爆撃機として三菱重工業、川崎航空機と愛知時計電機に競作させた場合次の要求を呑める機体をどれかの会社は開発できるでしょうか?
それともどの会社も開発不可能なのでしょうか?
なおこの年に陸軍と海軍が別々に爆撃機を三菱に頼んだためか三菱が十一試艦上爆撃機の開発途中でリタイアしましたが純粋に艦上爆撃機を開発できるかを質問しているためその辺は、考えないでください。
要求
飛龍や蒼龍などの小型空母でも運用が可能であること。

25番爆弾で急降下爆撃が可能であること。

最高速度が205ノット(379.66km/h)以上であること。

航続距離が822海里以上(1522.344km以上)。

武装は、毘式七粍七固定機銃二門および七粍七旋回機銃一門であること。
696 急降下性能が低い零戦はサッチウィーブ戦法によって『空飛ぶ七面鳥』と呼ばれるほど大戦中期では沢山、撃墜されてしまったようですが

同じく一式戦闘機も操縦マニュアルには降下速度制限600kmと記載されており急降下性能は高いとは言えないように思えますが、米軍の隼に対する評価は低く無いようです。

米軍は隼に対してサッチウィーブを持い無かったのでしょうか?
または、あくまでもマニュアル上のスペックに過ぎないと言う話でしょうか?
697 F6Fヘルキャットの主翼端が直線なのに対し、尾翼端は円弧状に形成されています。私の記憶ではF4Fワイルドキャットの場合は両方とも直線だったはず。この相違はどのような理由によるものかご存じでしたら、識者の皆様どうか教えてください(一応過去ログは調べたのですが)。
698  烈風の高性能機伝説はどこから生まれたのでしょうか?
699 九七式重爆撃機について二つ質問します。
@よく九七式重爆撃機は、「爆弾搭載量が少ない」と批判すると「九七式重爆撃機も1トンの爆弾搭載が可能」という反論がきます。
しかしハードポイントを増やせば九七式艦上攻撃機、天山や流星でも1トンの爆弾の搭載が可能だと思います。
そこで質問ですが九七式艦上攻撃機、天山や流星に1トンの爆弾を搭載させることはハードポイントを増やしても不可能なのでしょうか?

A九七式重爆撃機は、「航続距離が短い」という批判も見られますが実際の運用に支障はきたしたんでしょうか?
ちなみに二式単座戦闘機を配備されたかわせみ部隊は、航続距離の問題から加藤隼隊ほどの戦果をあげることができませんでした。
700 少し疑問に思いましたので質問させてください。
よく空戦中でゼロ戦の7.7ミリ銃と20ミリ砲は同時に発射されたと言われていますがその時海軍のパイロットはどこを狙っていたのでしょうか。
当然弾道が違うので敵を照準器にとらえたとしても2種類の銃の弾は違うところへ飛んでいきますこれでは当るものも当らない気がしますがどうなんでしょう、それとも逆にそのようになる弾幕で命中を願うということでしょうか。
そもそも相手との距離によっても本来は照準の中心を変えるべきなのですがあの照準器にはそのようなシステムはありません2種類の銃を持つゼロ戦の照準器の調整方法も合わせて教えていただけますでしょうか

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