695 1936年当時の三菱重工業、川崎航空機および愛知時計電機の航空機開発力について質問します。
1936年に十一試艦上爆撃機として三菱重工業、川崎航空機と愛知時計電機に競作させた場合次の要求を呑める機体をどれかの会社は開発できるでしょうか?
それともどの会社も開発不可能なのでしょうか?
なおこの年に陸軍と海軍が別々に爆撃機を三菱に頼んだためか三菱が十一試艦上爆撃機の開発途中でリタイアしましたが純粋に艦上爆撃機を開発できるかを質問しているためその辺は、考えないでください。
要求
飛龍や蒼龍などの小型空母でも運用が可能であること。

25番爆弾で急降下爆撃が可能であること。

最高速度が205ノット(379.66km/h)以上であること。

航続距離が822海里以上(1522.344km以上)。

武装は、毘式七粍七固定機銃二門および七粍七旋回機銃一門であること。
shadow

  1. > 7.
     様々な実績を見れば、技術的にはどこも可能ではないか(川崎は海軍機開発の経験が少ない分、苦労するかもしれませんが)と思います。
     しかし、三菱の十一試艦爆開発チームは堀越チームなので、開発を続けた場合、十二試艦戦の開発が遅延するか最悪三菱十二試艦戦の開発を諦めなければなりませんし、この頃川崎はキ二八の審査の真っ最中で、しかも翌年からキ四五とキ四八の開発が始まっていますので、キ二八にさっさと見切りを付けるか、キ四五かキ四八のどちらかの開発を諦めなければ、開発は難しいのではないかと思います。
    T216

  2. 十一試艦上爆撃機の三菱開発チームが堀越チームだったのは、知りませんでした。

    同じく三菱製の爆撃機であるキ30がありますよね?
    あれって改良(フラップは穴空き式にしてダイブブレーキを兼ねるようにする)すれば25番爆弾による急降下撃機って可能でしょうか?
    shadow

  3. 九六戦が成功してからしばらくの三菱の単発機は、九六戦の設計を応用してそれぞれの要求に合わせてパラメーターを入れ替えたような感じだということです。例えばキ15がそれであるわけですが、さらにキ15を軽爆の用途でやり直すとキ30になる。同様に急降下爆撃化させれば、史実の三菱十一試艦爆になってくるわけです。
    三菱十一試艦爆はモックアップまでは出来ているわけですから、基本設計がほぼ完了、詳細設計を待つ状態だったと思われます。個人的には三菱技術部の編成が機種ごとに同じ設計班が基本設計も詳細設計もやるというのを早々にやめ、中島その他の会社のように基本設計班と詳細設計半を別立てにしておれば、十二試艦戦と並行して十一試艦爆も完成可能だったはず、と思っております。

    それはそうと、最初の出題で列挙された条件が、すでに実際の愛知九九艦爆でほぼ達成された数値のように見えるのですが、あらためて開発不可能の可能性を問われる理由はなんなのでしょうか?


  4. >3
    そうですね。
    改めてみると九九式艦爆で既に要求をほぼ達成していますね。

    なのでもう少し要求を高くした甲案と乙案を提案してみたいと思います。
    甲案
    飛龍や蒼龍などの小型空母でも運用が可能であること。

    50番爆弾で急降下爆撃が可能であること。

    最高速度が205ノット(379.66km/h)以上であること。

    航続距離が917海里以上(1698.284km以上)。

    武装は毘式七粍七固定機銃機首二門、主翼二門および七粍七旋回機銃一門であること。

    乙案
    飛龍や蒼龍などの小型空母でも運用が可能であること。

    25番爆弾で急降下爆撃が可能であること。

    最高速度が280ノット(約519km/h)以上であること。

    航続距離が1349海里(約2498.348km)以上であること。

    引き込み式主脚を採用すること。

    武装は、毘式七粍七固定機銃二門および七粍七旋回機銃一門であること。
    shadow

  5. 1350浬でなく1349だとか微妙に具体的な数字を挙げるよりも、何を達成したいがための数字なのかはっきり出された方が、話がすっきりすると思うのですが、いかがでしょうか。


  6. >5
    甲案
    最高速度が205ノット(379.66km/h)以上であること。


    航続距離が917海里以上(1698.284km以上)であること。

    この二つは、艦上機でありばがら50番爆弾で急降下爆撃を第一条件として達成するための要求速度と要求航続距離。

    乙案
    最高速度が280ノット(約519km/h)以上であること。

    航続距離が1349海里(約2498.348km)以上であること。

    引き込み式主脚を採用すること。

    この三つは、「敵艦上機より長大な攻撃半径」と「迎撃してくる敵艦上戦闘機を振り切ることが可能な高速力」の二点を達成するための要求速度と要求航続距離。
    shadow

  7. いえ、それくらいはわかるのですが、マル四計画の中身をマル三計画当時に前倒ししてしまおうという世界感のようですね。マル三ですでに重空母を建造してしまおうというくらいの勢いです。
    何がどうなれば世界がそこまで変わってしまうのかわかりませんが、となれば、飛龍や蒼龍などの中空母(飛龍蒼龍は「小型」ではありません)での運用を前提とするのもナンセンス、より大型の中空母から国産化He118を飛ばしてみればよいのではないでしょうか。

    He118国産化の引き受けメーカーとして、実際にこの機体が輸入されたときに組立を請負った川崎を想定して、設問の中にあえて陸軍期メーカーである川崎を含めておられるのかと勘ぐってしまっておりました。


  8. あの、横からで失礼ですが、私も九九式艦爆はもうちょっとどうにかならなかったのかな、というのは以前から思っておりました。固定脚うんぬんといった部分はさておき、不意自転の問題であるとか、要求性能に違いがあるとは言え、三菱がキ51を開発したことを考えると、十一試艦爆の開発辞退についていろいろ考えてしまいます。

    日本陸海軍の戦闘機に関する開発の議論はこれまでたくさんありましたが、天山や彗星の開発遅延はもちろん、その前身の九七艦攻、九九艦爆も決して順調に開発された訳ではない(というか艦爆艦攻は草創期から既に難産の繰り返しであった)ことを考えると、艦爆や艦攻の開発に関してもっと議論してもいいお話かも知れません。
    codfish

  9. 三菱に関していえば、八試複戦からの延長としての十一試艦爆は有り得たでしょうから、十試観測機をやっていなければ、在り得たかもしれません。その場合、佐野栄太郎技師の設計班の担当になりそうですね。
    何より、本格的な高性能艦爆の開発は空技廠が担当することになっていて、民間各社は場つなぎ的なその場しのぎ的艦爆を開発すれば良いことになっていたということが大きいのではないかと思います。
    問うべきなのは、艦爆の決定版を作ることになっていた空技廠の方だと思います。これを十三試の彗星よりもどれくらい前倒しできるだろうか、十三試艦爆を成立させた技術はどの時点で揃ったのだろうか、というところなのではないでしょうか。


  10. 彗星のキモってどこだったんでしょう?
    gk

  11. >7
    確かに飛龍や蒼龍などは、考えてみればみれば中型空母ですね。

    >8
    その前身の九七艦攻、九九艦爆も決して順調に開発された訳ではない(というか艦爆艦攻は草創期から既に難産の繰り返しであった)
    九七式艦上攻撃機って順調に開発されませんでしたか?
    1935年に競争試作を命じて三菱機も中島機も二年後には、初飛行して同年に正式採用されました。
    あの性能でこの早さは、十分順調だと言えませんか?
    普通新型機の採用までは、早くても3年以上はかかるものです。

    >問うべきなのは、艦爆の決定版を作ることになっていた空技廠の方だと思います。これを十三試の彗星よりもどれくらい前倒しできるだろうか、十三試艦爆を成立させた技術はどの時点で揃ったのだろうか、というところなのではないでしょうか。
    僕もそう思いますが要求が高いためなかなか早期実現は、難しいのではと思います。
    shadow

  12. ご自分ではじめから答えを抱いた上で質問されているようですね。


    各廠社とも十試〜十一試当時の最前線の機体開発は、海外の既成機を基にしていることが専らで、ハインケル、ノースロップ、ダグラスなどの参考機の恩恵なしには成立し得ません。(こうした中にあって、例外的に三菱九試単戦が各機種の原型として機能できる存在になっています)
    艦爆に関しては、当時の海軍自身が民間会社の技術力にはあまり多くを期待しないという態度をとっており、多くをハインケルに頼った上でそれを空技廠で国産化しようと考えていたわけです。


  13. >>片さま

    お返事ありがとうございます。

    渡辺洋二氏が世傑で「愛知に十四試(十五試?)で空冷の艦爆を作らせるべきだった」と書いておられますが、空技廠とは別立てで開発させる余裕はなかったのでしょうか。DB601の国産化までの間に、愛知が金星発動機を搭載した無難な艦爆を開発できていればもう少しなんとか・・・とは誰しも思うことでしょうが、しょせん後知恵でしょうか。キ51からキ71の流れを見ると無い選択肢でもないように思うのですが。

    >>shadowさま

    おっしゃる通り九七式一号、二号艦攻の正式採用に至るまではさほどの障害はなかったと思いますが、兵器として十分な信頼を得るためには中島が「栄」を開発するまで待たねばならなかったことを考えれば、果たして順調だったと言えるのかな、と個人的には思ってるのです。

    そう考えると度重なる発動機の換装に追われた九六艦戦も順調と言えたのかどうかちょっとわからなくなるのです。


    codfish

  14. > 13
    十四試、十五試といえばすでにマル四マル五計画用機種ということになるわけで、ここでは陸上基地航空兵力の大幅拡大が狙われており、応じて陸上基地から発進する戦兼爆の開発に目が向けられています。
    本来ならば十三試で中島に単発戦兼爆、三菱に双発戦兼爆を、また三菱にも複戦(急降下爆撃能力を想定されていたはずです)である十四試観測機を作らせる予定でした。
    これらの計画が変わってしまったのは、支那事変で援護戦闘機の必要性が緊急的にクローズアップされたからにほかなりません。これに応じた航続力増大要求も受け入れる形で、中島への予定は双発の十三試遠戦に振り返られ(これはあとで戦兼爆化する予定でした)、三菱のものは翼端援護機である十二試陸攻改や局戦(これは来電ではなくむしろより本格的な十七試局戦の研究です)に向けられることになります。
    「無い選択肢」どころか、空技廠が開発する高性能艦爆以外に、もう少し一般的な陸上爆撃機を備えることが本来の計画だったのですが、ふいの実戦経験に応じてそれがだいぶ狂ってしまったというのが現実の結果なのです。


  15. 小生には、技術面から見て、質問そのものに問題があると思います。あの当時、軍用機の開発は、発動機の開発と一体不可分です。利用可能な、そして当然軽量大馬力な発動機の有無を検討せずして、機体だけの実用化を論じても意味が無いと思われます。また、単なる機体の設計だけならどの会社でもなしえると思います。利用可能な軽量、大馬力の発動機を他の会社が実用化しておれば、その発動機を採用すれば良い。
    このことは、現代でも同様と思われます。ただし、現代では、電子機器、ステルス等の技術も不可欠ですが。
    UK

  16. 発動機のことはもちろんですが、昭和11年当時だと、愛知などは全金属製応力外皮構造の機体設計を初めて手がけるケースになるわけで、想定されているのがそうした段階の時期であることも考えにれたほうが良いだろうとは思います。


  17. >>片さま

    遅くなってしまいましたが、お返事ありがとうございます。

    いろいろ考えてみたのですが、十三試以降の海軍の機体開発に対する姿勢があきらかに背伸びしすぎで、ここから何かいろいろな歯車が狂ってしまったように以前から思っていたのですが、それはやはりおっしゃるように中国との戦争がその大きなきっかけであったのでしょうね。

    私は彗星はもし、空冷の生産容易な艦爆が別建てで開発されていたら(もしくは他機種からの転用で間に合わせていたら)、恐らく彗星は艦爆としては採用されず、十三試双戦と同じ道を歩んでいただろうと思うのです。そしてそれが彗星の生きる道であったのではないかと最近は思うんです。

    日中戦争と日本海軍の機体開発の関係は興味深く、議論ボードで取り上げたい話題ですね。横からの質問にお答えいただき、どうもありがとうございました。
    codfish

  18. 中国大陸で体験した戦闘の結果を受けた変化はあったでしょうが、海軍が陸上基地航空兵力に重きを置くようになる理由としては、昭和10年の第二次ロンドン軍縮会議付近の経緯を見たほうが良いように思います。

    ここで日本側は、彼我を比べればいずれ圧倒的劣勢となることが予想される空母の保有を禁止しようとしますが、うまくいかずに軍縮会自体から脱退してしまいます。
    こうした状況により、12年のはじめころには南洋の島嶼を飛行場化し、航空機で米艦隊を迎撃する方針がクローズアップされて行きます。
    日中戦争以前にすでに十三試戦兼爆のような機種の策定が行われているのはこのような理由からです。




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