698  烈風の高性能機伝説はどこから生まれたのでしょうか?

さむさん

  1.  ゼロ戦の後継機である烈風は高性能であるに違いないという思い込みが、
    志賀少佐・堀越技師の発言の部分的引用を根拠にできた意見と思われます。(私も高校生まで信じていましたが)
    さむさん

  2. > 1.
     小福田少佐の間違いでは。
     それと自分の質問に自分で答えられるのもどうかと。
    T216

  3. 戦後の出版事情の中でベストセラーを得た堀越二郎、坂井三郎など一群の人たちが特別視されるようになってしまい、零戦や烈風への特別視もその結果なのだと思います。


  4. ご質問の前提として、烈風の高性能は伝説で、実際は大したことなかったという「厳然たる既知の事実」が存在すると思うのですが、ハ43に換装したA7M2ですら高性能ではないのでしょうか?
    「高性能」という言葉が絶対的な尺度ではなく、特定の友軍機や米国機と比較しての相対的なものならば、その比較対象は何なのでしょうか?
    平山

  5. >5
    15年7月15日性能標準「艦戦350kt/6000m」
    17年7月 6日十七試艦戦への計画要求「345kt/6000m」
    18年2月25日性能標準「艦戦A戦340kt/6000m」
    18年4月10日性能標準改訂追加「対攻撃機能力、高々度性能強化、365kt/9000m」
    18年6月22日陸海軍共同性能標準「甲戦 主任務対敵戦闘機 380kt/10000m」

    こうしたものが、海軍の要求だったのです。

    ですが、A20発動機にA7M2の実測値は339kt/5500mが最高です。
    元々、A7は艦戦だったために速度を低めに要求されていたわけではありますが、発動機換装後にも当初の計画要求をクリアできていません。
    そして、A7M2の時点では艦上運用の用途は放棄されてしまっており、陸上基地で運用する局地戦闘機(甲戦)となっています。
    昭和20年夏以降に登場する新型機としては、低性能といわれても仕方がないのではないでしょうか。



  6. それではなぜ、烈風が整理されずに続行されたかといえば、A7M3-JやA7M3以降といった高高度戦闘機に機体が応用できそうだったから、ということだったのだと思います。その後の発展性に期待された、ということと、紫電改系列への過集中を避けるのが目的だったのだと思います。
    後者の理由については、陸軍の中島九一戦のバックアップとして川崎九二戦が低性能ながらも量産されていたのと似たような感じです。


  7. >6 それじゃ、なぜキ28は生産されなかったんだ
    秋山

  8. >7
    その前に九五戦ってありますよね。
    その時期には、並行整備する戦闘機は半世代ずらす、という方針ができていたからです。


  9. 九七戦の仮制式制定時は九五戦の生産真っ最中ですね。
    九七戦闘が部隊に行き渡るのはノモンハン事件以降です。
    BUN


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