713 中島飛行機の戦闘機開発技術力について質問です。
中島飛行機には、1934年当時に一式戦闘機を開発できる技術力はあったんでしょうか?
無論エンジンは、まだハ25が制式採用されていないのでハ1乙を装備することにします。
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  1. この場合「一式戦闘機」を特徴づけるものは何だと考えれば良いのでしょうか?
    キ二十七を一年早くして引込脚化すれば「一式戦闘機」にあたるのでしょうか、違うのでしょうか?

    引込脚のみを考えるなら、ヴォートV-143以前なのですから、史実のキ四十三と同じものは作れません。


  2. 過去にも似た質問を幾つもなさっていらっしゃいますが、貴方の御質問に解答する以前に、御質問の意図、趣旨が解りません。@戦闘機開発技術力とは、どのような概念でしょうか。会社の技術水準(質的なもの)でしょうか、技術要員(人員の数、量的なもの)のことでしょうか。A何故、かかる御質問をなさるのでしょうか。B現代でも、(一応、名の通った会社であれば)機体の開発自体は、そう難しくはないことを、理解なさっていらっしゃらないのではないでしょうか。例えば、我国のF2は、米国からジェットエンジン関連の技術の供与を受けられなかったために、止むを得ずF16を大幅に設計しなおす態様で開発したとも聞きます。F15とF16は、F100エンジンと一体的に開発されています、F22とF35、F23の開発もジェットエンジンと一体不可分で開発されています。1934年当時の航空機は、軍人から示された性能を有する機体だけの開発だけなら、極めて容易であり、どこの会社でも出来ます。例えば、我国でありませんが、フォッケウルフ戦闘機は、極僅かの人員と期間で設計されている様です。これは、現代でもそうですが(大筋では、間違っていないと思われますが)困難なのは、実用可能な発動機やジェットエンジンの性能、及び予算や期間の制限の範囲内で、将来のあるいは目下の戦争で役立つ要目(速度性能、航続距離、爆弾等裁量や武装等)を選定し、あるいは決定することです。また、同じく予算や期間の範囲内で好ましいジェットエンジンや発動機の要目(出力、燃費、重量等)を決定することです。極端なことをいうならば、(現代においても)、軍人や顧客から示された性能を満たす航空機を、(対応するエンジンやシステムの有無を無視して、あるいは在るものとして)単に機体を設計するだけならば、一応名の通った会社であればどこでも可能です。
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  3. まあ、その通りなのですけれど、昭和9年頃というと技術の過渡期ですから、「対応するエンジンやシステムの有無」だけでは済まない構造面の基礎レベルが違ってしまっているという問題もあります。

    実際に昭和9年に中島が開発を始めた単座戦闘機といえばキ十一や九試単戦になってしまうのですがこの時点では片持ち翼も実現できておらず、翌年のキ十二を待たなければなりません。

    質問者の方には、技術が一段ずつ積み上がって成立してゆくのだということをご理解いただきたいように思うのですが。

    ハ一乙についても同様ですね。キ二十七ですら昭和12年3月の試作機性能向上に当たっての発動機指定まではハ一乙なんて存在していないのですから。昭和9年の寿といえば旧称の三型、つまり九四式のハ八だったりしてしまいます。その後ハ一甲が前面に立つようになり、それとはまた別物のハ一乙が出てくるという現実にたどられたややこしい道筋があったことも理解しておいていただきたいように思います。

    一足飛びに「架空の歴史」を求めるよりも、まずは実際の歴史がどうあったか眺めて飲み込んでからにした方が含みははるかに多くなるはず、と思うのです。



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