782 旧日本陸軍航空隊では、地上支援部隊の存在感が薄い気がします。
使用機種についても米軍ならP-47等、英軍はタイフーン、独軍ならFW190
或いは赤軍ならIL-2、独軍はスツーカ
旧軍では少数で98式直協機や97式軽爆、99式襲撃機くらいしか思いつきません。
旧軍では前半は制空、後半は防空で余裕がなかったのでしょうか?
あと地上支援と言えばこの航空隊というのは、ありますか?
まさのり

  1. 地上部隊への直接支援任務は空軍が抱えた課題の中で一番困難かつ高度なもので、その形が定まるのは第二次世界大戦後半からです。
    大切なのは機種よりも、何らかの航空支援が必要となったとき、何処の誰が、誰に連絡をとって、どんな経路で飛行機が爆弾を抱えて離陸するか、という問題なのです。
    この点では、師団レベルの司令部が爆撃能力のある直協機部隊を指揮下に置くことができた日本陸軍は少なくとも大戦前半までは能力、レスポンスともに優秀な部類に入ります。
    「前方の村に対戦車砲陣地あり。爆撃による制圧を乞う」とすぐには頼めないドイツ陸軍に比べて、日本陸軍は同じような場面で即座に航空攻撃を実施することができたのです。
    BUN

  2. また、戦争後半に襲撃機の存在感が薄いと感じられるのは「新しい襲撃機」が登場しないからですけれども、それは戦闘機がその任務を兼ねるようになっているためで、開戦後の試作戦闘機には大概、襲撃機型が計画されています。そして現用機を装備した戦闘機隊にも爆撃任務を主とする部隊が現れるようになり、戦争後期の一式戦闘機装備戦隊などは戦闘よりも爆撃に重点を置いています。「加藤隼戦闘隊」の飛行第64戦隊もそのような部隊の一つです。

    ただ、太平洋の島嶼戦の様相は大陸や南方侵攻作戦時のよう直協や軍偵がこまめに敵火点を制圧して進撃するようなものではなく、航空攻撃は敵上陸軍の陣地よりも、そのすぐ後方にある輸送船を狙うようになります。
    陸軍機による泊地攻撃はヨーロッパで戦闘爆撃機が行っていた阻止攻撃に相当するということで、街道沿いに補給隊列や増援部隊に銃爆撃を行うタイフーンやサンダーボルトと同じく敵の補給と増援を阻止する仕事を実施しているのに、見かけの印象がかなり異なるので、実はそうした活動を情報としてはちゃんと知っているのに何だかピンと来ない、ということではないでしょうか。
    BUN

  3. >米軍ならP-47等、英軍はタイフーン、独軍ならFW190

    これらすべてはもともと地上攻撃用の器材ではありません。結果的に地上攻撃に使われたというだけです。

    ケッセルリング元帥の回想によると、1939年9月のポーランド戦で、ケッセルリングの第1航空艦隊はポーランドの道路と鉄道がワルシャワから放射状に伸びていることに着目し、部隊移動を妨げる目的でワルシャワの鉄道駅と橋を集中的に攻撃しています。その方法は「スツーカ、機銃掃射機及び多くの1トン爆弾」であったとしており、地上攻撃任務(むしろ超短距離戦略爆撃と呼ぶべきかもしれません)がいろいろな機種にになわれていたことがわかります。
    マイソフ

  4. みなさん回答ありがとうございます。私 少数と書きましたが98式直協、99式襲撃/軍偵、97式軽爆、98式軽爆は、それなりの数 生産されてますね。そうなると直協、襲撃/軍偵と軽爆の棲み分けは?とか軽爆でも、いくら98式の方が性能が良いとは言え、稼働率が低く、地上支援には余り向いてない水冷エンジンの98式を生産し続けたのか とか出てきますが…
    まさのり

  5. わたしも、まさのりさんと同じように感じていました。
    ノモンハンではかなりの航空兵力をつぎこんでいるのに
    もどかしいほどソ連「十五加の疾風射」を止めることができない。
    太平洋戦でも、カリジャチ飛行場奪取に貢献した以外、あまり話がない。

    でも一式戦搭乗員の回想録をいろいろ読むと、ビルマでもニューギニアでも九九双軽の護衛についていく話がたくさんあって、苦戦している地上部隊を支援するとか、孤立した部隊に補給品を投下するとか、実にマメに出撃していたみたいです。
    光人社NF文庫おもしろいですよー。
    じゃま


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