789 中島飛行機製造の零戦が、全体の過半を占めます。
巷間、中島飛行機製の零戦は工作が悪いとか、或いは勝手に設計を変更しているとか、俄かに信じ難い記述をよく見かけます。
実態を記した資料はあるのでしょうか?
実際のところは、どうだったのでしょうか?
よろしくお願いいたします。
100万

  1. 私の知る限りの現物考察では、工作が悪いのは18年以降では三菱も同じです。
    増産必至により細部は見逃されて出荷されていたかと・・・
    中島の部品の設計変更は生産性を向上させる為と推測しています。
    生産性は高いけど三菱の同型機より数パーセント重くなってしまう事が中島の欠点ですが、あの戦局に対応する為に1機でも多く送り出した中島は、機体全体で40〜50kg重かったとしてもその欠点を十二分に上回る事だと私は感じています。
    A6M232

  2. 同じような話は陸軍の一式戦闘機にもあって、立川飛行機製の機体は中島飛行機製の機体より仕上がりが劣るのではないか、との意見をもとに調査が行われていたりします。転換生産を行い、後から造り始める製造所の品質が疑問視されるのは零戦でも一式戦でもそして支那事変勃発直後、九六艦戦の三菱生産機と佐世保工廠生産機の間でさえも見られる現象です。
    BUN

  3. 中島飛行機社内に零戦や銀河などの他廠社設計機を転換生産するにあたって詳細設計に変更を加える部署は確かに存在していました。
    しかし、工作部門が違い、設備や工作方法が違うのですからこれは当然のことだったと思います。より高度に合理的な設備を持っているのなら、旧弊な設計のままそれに合わせず生産してしまうよりも、きちんと新しい工作方法が使えるように改めるべきところは改めた方がよいわけです。
    最終的に海軍監督官の承認を得て出荷されるものなのですから、「勝手に」というと語弊があり過ぎてしまうように感じます。


  4. 皆様、丁寧な回答を有難うございます。
    それぞれの回答、十分得心できました。
    精密機械の大量生産という観点から、色々調べてみようかと思います。
    有難うございました。
    100万

  5. 紡績工場の女工さんたちにも作れる板金細工なのですから、「精密機械」と表現されるものとはちょっと違うように思います。


  6. >設備や工作方法が違うのですからこれは当然のことだったと・・

    片さんの言われる通りの最良の現物が手元にあります、同時期の52型の同位置の機銃パネルです。
    三菱は旧来通りの極小リベットを使用した補強材の固定
    中島はスポット溶接を使用して補強材の固定

    このパネルだけで言えば中島の方が数パーセント軽いかと・・・
    しかも生産性もよくある程度の技術が必要な極小リベット打ちの技術も不要です。
    A6M232

  7. >中島はスポット溶接を使用して…

    これは途中からの仕様変更と思うのですが、中島では(零戦に限らず)いつごろからスポット溶接を導入したのでしょうか」。
    だご猫

  8. 片様、
    回答有難うございます。
    少し以前に図書館で航空技術開発史の本をパラパラと見ていましたら、層流翼関連の記述がありました。設計側では高い工作精度が念頭にありましたが、現場製造サイドでは精密機械でないとの認識だった、というような内容だったと記憶しています。それが残っていたものですから、「精密機械」としてしまいました。
    発動機と機体を混同したわけではありませんが、適切な表現ではなかったようです。申し訳ありません。本の著者や題名も控えてなかったので、もう一度きちんと調べてみます。重ね重ね申し訳ありません。
    工作精度と大量生産というのが、いろいろな問題を惹起しているようですので、このあたりを調べてみたいと思っています。

    100万

  9. 層流翼に関していえば、厚板の外鈑を使って、鋲数を減らせば、いくらかではありますが本来目指すものに近づくことができます。
    そうしたものを設計の段階で取り入れることなく、ただただ工作側に丁寧な板金の扱い、鋲打ちを求めても、それは設計側の傲慢というものでしょう。


    一般論として言えば、より新しい海外の工作技術と工作機械を導入している工作部門と、設計部門とが上手な関係を作っていれば、量産性の高い設計が実現できます。
    この点、支那事変による対日禁輸のぎりぎりまでダグラスの新しい工作技術を導入しつづけていた中島にはかなりの長があります。

    こうした部分で後ろを走らねければならなかったのが空技廠です。海軍の一部門が海外の会社と直接の提携関係を結びづらいからです。そもそもそうしたことがあるために、日本の軍用機の開発に民間会社が使われていたわけでありますし。
    よく「空技廠の設計は精緻」というようなことをいわれるのは、プレスでポンポン打ち抜いて一体成型するような設計ができずに、細かい板金細工からさらに組み立てて部品を作り上げていた部分が大きいのだと思います。性能以前の段階で複雑巧緻であらざるをえなかったわけです。

    三菱は、この両者の中間くらいに位置しています。三菱の海外工作技術導入は、昭和一桁台くらいまでのユンカースからのものに負っているところが大きかったのです。三菱がプレスによる一体成型や電気溶接を設計に取り入れるようになるのは、四式重爆あたりからで、少し遅れているのです。


  10. スポット溶接は雷電から実施されているはずですので三菱にそれ程の遅れがあるとは考えにくいようです。

    上に上げた一式戦の例にあるように出来の良い中島、悪い立川といった事例もあるので一概に三菱がどう、中島がどう、とは言い切れないものがあります。

    また細部の形状、工作の合理化は当時の製造プロセスでは常識的に存在していたものです。
    そして機体生産で先進的な流れ作業を最初に導入したのは三菱の一〇〇式司令部偵察機組立ラインですから、この際にも細部の変更が行われていたと考えられます。Bf109にも基本的に同一なはずのF型とG型の間の主翼に流れ作業導入による設計変更があるからです。
    BUN

  11. そして層流翼型ですが、これを採用した代表的な機体として知られるP-51の主翼外板は当時の日本機とは全く異なります。三菱の平山鋲や中島のダグラスシステム、海軍公式の海空鋲とは打つ方向が逆で仕上げ行程に電動工具でミーリング加工を施すなどとんでもなく手間をかけるまったく異なるやり方です。
    それでもP-51の層流翼はNACAからNGを喰らう仕上がりでしたから精密加工云々という話ではないのです。
    新しい世代の飛行機はそれなりに新しい工作法が取り入れられているもので、その点、話題に上がっている零戦は設計そのものが古い、という大きな問題があります。
    BUN

  12. 回答と逸脱して申し訳ありありません。

    >海軍公式の海空鋲とは打つ方向が逆で

    恐らくラバウル工廠が縦通材交換(廃機から流用)・外板パッチ修理した零戦三二型後部胴体の外板が在ります。
    ミーリング加工までは施していませんが、正に打つ方向が逆で行われている現物がhttps://pbs.twimg.com/media/BQQdunwCIAEO9Kp.jpg:large存在します。

    A6M232

  13. 貴重な画像をありがとうございます。

    でもそれはすでに出来上がってしまった機体を修理する際に使う補修用のリベットで、機体組立時に使う層流翼用のNACAリベットではありません。補修用リベットで機体組立をすれば大変なことになります。

    沈頭鋲は外側から平頭部の入るディンプルを工具で凹ませてそこにリベットを差して裏から打つやり方が主流でしたが、より平滑さを求めNACAリベットはディンプルの裏側から鋲を差して表に出た軸を叩き、余った凸部をミーリング加工で削り取ります。これを一本一本やる訳です。
    表から叩くリベットの方がなじみがあるかもしれませんが、沈頭鋲は裏から叩く一般的なものと、表から叩くNACA鋲があったのです。

    中島が習得したダグラスシステムは広い平頭部を穴に差すと同時に鋲そのもので板を押してディンプルを作り、裏から叩く鋲沈下法を用います。工具でディンプルを作る工具沈下法よりもずっと生産性が良く、要求されるスキルも高くない画期的なやり方で、鋲数がけた違い多い大型機の製造に適しています。
    ただし表面の平滑さはNACA鋲よりも格段に劣ってしまいます。

    飛行機の鋲打ちは打ち損ない率も高く、機体製造コストの1/3から1/2まで占める大問題ですから、ダグラスシステムを早くから用いる中島は大切な鋲打ちの面で少し有利で、他社よりも飛行機を安くたくさん作れるということでもありまます。ただし表面の平滑さはNACA鋲に劣り、目立った層流翼効果は得られない、ということです。

    BUN

  14. 機体の組立は板金加工ですからプレスを多用した方が合理的なのは当然ですが、鋲打ち法や流れ作業のタクト方式のように他にも生産性を左右する大きな要因が存在します。これらの導入に関して包括的に指導していたのは海軍側であったり、タクト方式の採用は中島が最初ではなかったりします。

    要因はいくつもあり、そして、それぞれに導入の後先があるのです。

    また原設計を自社の工作法や下請け環境に合わせて改めることは珍しいことではなく、すべて中島飛行機の先進性を示すとは限りません。下請け依存度の高い中島飛行機はあまり尖がった加工技術を導入しにくい、といった細かい事情もまた存在します。

    そして米軍機最大の量産機であるB-24もライセンス生産を行う自動車工業の流儀に合わせて「銀河」のような(おそらくもっと広範囲な)改設計プロセスを経ています。

    大戦中の飛行機機体の量産は世界の何処でもほぼそんなふうに行われていて、これらの技術が急速に導入されていった、という経緯があります。
    十三試や十五試の彗星や銀河の基礎設計終了後にそうした改革が進んだこともとても重要ではないかと思います。
    BUN

  15. 皆様、興味深い御回答を有難うございます。
    さて、「精密機械」云々の本がわかりました。
    橋本毅彦『飛行機の誕生と空気力学の形成』(東京大学出版会、2012.9)pp.285-286でした。
    表面の凸凹を1/20mm以上にしないでほしい、との説明者に聞き手が「精密機械ならともかく・・・」、説明者が「飛行機は精密機械だと思いますが」という一節が紹介されています。
    続けて、P-51の翼についての当時の記述が記載されています。

    日本の中島飛行機はじめ、各メーカーがより大量生産を為すためについてのあれこれは、
    山本潔 『日本における職場の技術・労働史』(東京大学出版会、1994.2)
    和田一夫『ものづくりの寓話』(名古屋大学出版会、2009.9)
    和田一夫「生産システムの展開」(柴孝夫・岡崎哲二編著『講座・日本経営史4 制度転換期の企業と市場1937〜1955』の第3章)
    から知りました。努力は、なかなか結実しなかったわけですが、それは何故なのか?
    精密機械、多数の高い工作精度が要求される部品からなる工業製品を、大量に生産するということを可能にするための人の認識というか意識が、問題の根底にあったのではとも思います。
    『講座・日本経営史4』には、
    三品和広「アメリカの経験」もありますが、アメリカでも色々問題があったとの記述がありました。フォードなどが、航空機の大量生産に大きな貢献をしたのは事実だけれど、自動車メーカーが豪語していたほどには大量生産がうまくいっていたわけではないとか。
    ただ、三品氏の文章の最終部分に記載された量産工場での頻繁な設計変更を行わせない仕組みについては、大量生産そのものとは別に興味を引かれます。
    質問からは、かなりはずれてしまい、申し訳ありません。
    100万

  16. 13↑
    >層流翼用のNACAリベットではありません

    勿論その通りの応急補修の例を書いたつもりですが、誤解を受ける書き込みで申し訳なかったです。
    A6M232


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