844 「ドイツ空軍の終焉」という本を読んでいて気になったことがあるのですが、ドイツ西部からベネルクス、フランス東部の空戦域で行方不明になる搭乗員が多すぎる気がします。中には戦後二十年以上経ってからようやく遺体が確認された方もいるとのこと。広漠たる荒野が広がる北アフリカや冬のロシア、それをも上回る大海洋がある太平洋戦線に比べれば、行方不明になる要因は非常に少ないと思われますが、なぜ多くの搭乗員が寂しい最期を迎えたのでしょうか?
逆に、日本本土防空戦を取り上げた諸書ではこのようなことは記述されていませんが、これはなぜでしょうか?
ペドロ

  1. 全体的に読み難い本ですけれども、12月16日から1月にかけて完全な晴天はわずかな日数しかなく、雲上の制空戦闘で撃墜された機体の墜落地点も把握し難い状態で、しかも戦闘は果たして報告された「○○上空」であったかどうかも判然としない乱戦、地上は山岳、高原地帯が多くを占める地域で主に敵支配地域となれば行方不明とされる未帰還機が多くなるのは当然のように思います。
    そして行方不明判定されたしばらく後には敗戦を迎えていますから、尚更に行方不明者の消息は掴み難いのではないかと思います。

    BUN

  2. 自分が知っている例でいえば、大戦中に東京湾を渡るだけの木更津-追浜間の飛行で行方不明になった例もあります。
    これは実験機により飛行だったので航法計器の装備が十分でなく、離陸直後の天候急変で視界を失ってしまったのが原因でした。


  3. ↑これは戦後だいぶたってから機体が海中から発見されています。



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